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経営者の問題とすべきものは何か

先行きの読みにくい現代において短期、長期の見通しに立って、打つべき手は複雑にして難しい。

これに対処するやり方として、ピーター・F・ドラッカーの発想法を借りると面白い。

①第一になすべきこと
 現在の資源と人員を用いて、できる限り最高の経営成果を上げること。ないものねだりをしていても、解決にはならない。まず行動。それも現状において最大限の努力をせよというわけである。

②必要なもの
・このときに当り、経営者の職務は何かをもう一度考えてみる。
 ・そして、その内でも何が一番大切かを考えてみる。
 ・直面する問題を見極め、分析する原理はないかを研究する。

③知るべき事柄
 ・企業のもつ資源(ひと、もの、かね、時間、環境)と努力を、経済的に意味のある成果を生み出す機会をつくる方向に向けさせる。
 ・能率性ではなく、効力度、価値領域を見極める方法で考え、それに向いての努力を集中するやり方は何かを見定める。
 ・企業は自然現象ではなく、社会現象であることを認識する。社会現象では、事柄が正規分布を示さず必ず異変がある。

④企業のあるべき姿
 ・適正な収益を確保しているか。
 ・労使関係は安定しているといえるか。
  社員が結束して、どのような困難な問題にも立ち向かう活力に満ちているか。
 ・新製品開発や研究開発の力は十分か。
 ・会社の成長力、競争力に自信があるか。
 ・組織の力と企業内のパイオニア精神に不足はないか。

 改めてわが社を取り巻く内外の環境変化を見定め、問題にすべきものとは何かと、このチェックリストにしたがって考えてみよう。
2006.10.23:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

人はみな豊かでなければならない

「人はみな豊かでなければならない」という。どのような豊かさを求め、何のために、日夜、神経をすり減らし、あくせく働いているのだろうか。
中国の古典「易経」は、よりよい生き方、人間の幸せについて、次のようにいっている。

 まず「健康」。人は健康で天寿を全うしなければならない。次に、「経済的豊かさ」。金銭に困らぬこと、つまり、物質的豊かさ。そして最後に「和」。夫婦、親子、兄弟が仲良く暮らすこと、つまり心の豊かさである。と説いている。

 会社に、この原則を当てはめてみると、まず、「生き残る」ことである。どのような環境になっても、企業は潰れないようにしなければならない。ついで、「儲ける」ということ。利益を多く上げること、量よりは質、大きくすることよりは倒産せぬように、儲けるより損するな。の商人の鉄則がここから生まれてくる。最後に、「よき人間関係」とは、労使、取引先、お得意先、地域住民との人間関係を上手く持っていくことである。

 経営者、管理者は経営管理のあり方を誤ってはならない。企業は大きくするよりも潰れないように、そして、永遠に生き残るようにするとなれば、経営理念、長期計画、そして、経営方針のあり方まで違ってくる。


2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

業績はトップの判断と行動で決まる

 企業の業績は、トップの采配の振り方で決まる。何が大事かの判断を誤ると、いくら社員が懸命の努力を払って働いても成果は上がらない。何が大事かといっても、現代のように情報が多い時代では、その価値判断に迷ってしまう。どれが大事で、どれがよいのか判断がつかない。それも地に足がつかないやり方で情報を他に追い求めているからなおさらである。

 一番身近な情報とは、外部から来る郵便物と、内部から出す書類である。これらを中心として業務活動をしているのであるから、郵便物は全部トップが閲覧して価値判断をし、必要な指図をしていかねばならない。これを社員にやらせるところに問題がある。また社員に対しても、何がよいのか悪いのか、行動の基準と勉強すべき事柄を指示しなければ、自分のペースで、自分の能力と自分の判断を中心とした行動に頼っているだけに自信を失くしてしまう。

 トップは率先して足で歩き、自分の目で物を見、価値ある判断と行動について高い視野から社員を指導しなければならない。理論や計画だけでは業績は上がらない。常にやり方を見ていくのだ。報告だけに頼っていては、すべて間違ってくる。トップは先頭に立つ気迫が大切である。「できねば俺がやってやる」という気迫と自信が第一であるといえよう。

2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

その道に終着駅はない

 何事であれ、その道に一生をかける人をプロという。遊びごとではなく、それを人生の目的として追い続ける人には、どこまで行けばおしまいという終着駅は存在しない。

それが芸の道であろうと、物を作るということであっても、政治家、宗教家、管理者、経営者であろうと例外ではない。求道者とは、その道一筋に人生を歩む人であって、それなればこそ立派な業績が残せるのだ。

比較する対象に無限の可能性を追い続ける人と、自分より低い者としか比べてみない人との差は、能力に厳としてあらわれる。人間の持つ力は加速度的に進歩しつつある。慢心のあるところに努力は存在しない。

天狗になってはならない。視野を広くもつことだ。今の仕事に全身全霊をつぎこみ、ある目標を達成し、自分の前に立ちはだかる壁を突破すれば、また新たな世界がそこにはあることを知るだろう。我々の行く手には限界がないのだ。常に謙虚な気持ちで与えられた仕事に全力を投入していく。これがサラリーマンではなく、プロとしてのビジネスマンの行き方である。

天狗は芸の行き止まり、進歩を求めるためには、まず心の持ち方自体を見直すべきであろう。

2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]

倒産企業に学ぶ

 経営家者は、常に会社を安泰にもっていくために安全経営を考える。危険な橋は渡りたくない。人が渡っているのを見ても万が一の事を考え、石橋を叩いても渡らない保守的な態度をとる経営者もいる。そのようにすることが一番安心だと思っているからである。それが、新しい時代になっても、あいも変わらず式のやり方をしても成り立っていくのだからこれでよいのだと、ついつい慢心経営になって時代に取り残されていく。

 産業構造が変わるとき、異種業界に進出するとき、新しい理論や技術革新を軸として事業を起こすとき、これらはすべてベンチャービジネスである。かってスーパー理論が入ってきたとき、百貨店と小売店の間隙を狙ったスーパーマーケットは、ベンチャーであった。

このままで何とかやっていけると思うから、それがたまたま続くと慢心経営になる。頑強なまでに自説を固持しているから、気がついたときにはすでに遅く、それから先は倒産への道しか残されていない。安全経営は安心経営に連なり、それが慢心経営となって倒産していくのだ。企業経営の道は遠く、また厳しい幾山河を乗り越えていかねばならない。それがためには、常に危機感をもつことである。このままのやり方でよいのだろうか、今歩みつつある道は間違っていないだろうかと、政治、経済、経営、管理の移り変わりを内外ともに注視し、自社のやり方を批判し、反省していくことである。

惰性に流れた経営、時代の変化とは無縁の自分のやり方を変えようとしない経営者。一発当てた味が忘れられず、商人の本質を忘れ投機に走る経営は、いつかは蹉跌をきたすものである。商売とは原価と売値の差を追い、経費を支払えるよう、常に顧客の動向をつかみ、顧客指向の姿勢が第一であることを忘れてはならない。


2006.10.20:反田快舟:コメント(0):[経営箴言]