やまがた観光大図鑑より
吾妻兼治郎(1926-)という方をご存じではないだろうか?
ピン!ときた方は、先日放送された「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」というテレビ番組をご覧になったか、よほどの彫刻好きではないでしょうか?
私は前者で、番組内の「笑ってコラえて!の海外支局をつくろう in ローマ」というコーナーで知りました。
コーナーではまず吾妻さんの紹介。
山形市出身。
へっ!?と思いつつ、山形の伝統工芸、鋳物が浮かんだ。
ビンゴ。
吾妻さんは鋳物屋さんに生まれた人だった。跡継ぎではなかったため、どうしようかと身の振り方を思案した結果、特攻隊への志願。試験に合格し、神風特攻隊として出撃の時を待っていた時に終戦。
山形に戻るも戦争体験から虚脱状態、もぬけの殻となってしまった吾妻さん。芸術の道なら何か開けるかもと学校へ入り直し、東京藝術大学を受験、合格。彫刻家への道を進んでいく。
東京藝術大学副手の時に休職してイタリアへ留学する。彫刻家になるのならばフランス留学というのが当たり前の時代であったが、留学準備中にマリノ・マリーニ氏の作品に出会い、イタリアへ行くことに決めた。
国立ブレア美術学校でマリーニ氏に師事するも、満足のいく作品作りはできない。これではダメだと意を決し、職を辞して留学を続ける。
数年後、マリーニ氏に認められ助手として働くようになったが、作品はマリーニ氏のコピーのよう。悩む吾妻さん。マリーニ氏に「君は日本人なのだからそのことを忘れないように」と言われ、自分にしか作れないものを見出していくことに。
ある日、薪用の木片が床に散らばるのを見て、これだ!侘び(わび)寂(さび)の世界観は日本人の自分にしか作り出せない。このひらめきから木の質感をもったブロンズ作品を作る。
吾妻さんの代表作となっていく「MU(無)」である。
彼の作品を見たローマ法王の依頼を受け「十字架」を作成、ヴァチカン美術館に収めることになる。
ヴァチカン美術館に作品が収蔵されている唯一の東洋人となった吾妻さん。ミケランジェロやダ・ヴィンチと並んで作品が展示されている。
そんなすごい方なのですが、山形市は宣伝が足りない!
山形市役所前にも「MU-1000」という作品はあるのですが、Google検索ではなかなかヒットせず。清瀬市は上位にヒット。
図書館に唯一ある吾妻氏の図書(展覧会のカタログ)も書庫ですし(涙)
芸工大との関係は…、と調べましたら客員教授でした。1年に1度くらいは講演をしてくださっているのかもしれませんね。
ほかにも山形出身の彫刻家は数多くいらっしゃるようです。
芸術の秋、吾妻兼治郎氏など彫刻家の作品を訪ねてみませんか?
山形市役所前以外で吾妻氏の作品が見られる主な場所。
仙台市 勾当台公園 「時の広場」
宮城県美術館 「MU-765」
清瀬市 ケヤキロードギャラリー 「水滴」
神奈川県立近代美術館 「YU-4」
富山県立近代美術館 「YU-84」
長野県 セゾン現代美術館 「YU-6」
甲府市 芸術の森公園 「YU-5」
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