HOME > 記事一覧

風と大地と猿の写真展

  • 風と大地と猿の写真展

 羽前成田駅開業100周年を記念する事業の第一弾は、西村佳世徒さんの『猿物を追う 風と大地と猿の写真展~ビジバイで駆け抜けた記憶~』。今回の開催は、西村さんと親交の深かった鉄道写真家・広田泉さんが企画していたもので、“猿物を追う”は広田さんが名付け親です。

 

 お二人の交友は、羽前成田駅が縁で生まれたものです。100周年にあたって改めて駅舎が結んでくれた“縁”に感謝し、心の絆を確かめ合う一年にしたいと思っております。「存命の喜び、日々に楽しまざらむや」。西村さんの作品をとおして日々の暮らしの尊さと有難さを考えてみたいものです。(開場の日時にご注意ください。)

2022.04.05:orada3:コメント(0):[イベント情報]

新年度スタート

  • 新年度スタート

4月3日、朝8時から駅の雪囲いの撤去と杉っ葉処理作業を行いました。終了後は総会を行い、いよいよ新年度のスタートです。今年は開業100年の記念すべき年です。明るく楽しく、元気よく活動できればいいなぁと思います。

2022.04.03:orada3:コメント(0):[イベント情報]

広田泉さん逝く ~ 線路を繋げて人を繋げて

  • 広田泉さん逝く ~ 線路を繋げて人を繋げて

 2011年の出会いから羽前成田駅とおらだの会を応援してくれた広田泉さんが亡くなられた。『がんばるニャンズ~線路をつなげて』と題した記事の最後に「広田さんを真ん中にして、同窓会がやれればいいですね。」と書いていたのだが、それは果たせない夢となってしまいました。せめて広田さんとの想い出を駅舎に飾って追悼したいと思っています。

 

 広田さんが残してくれた言葉を改めて記したい。

○今年は大変なことになってしまいました。思い出の場所や大好きな場所が津波や豪雨により被害を受け、線路もまた・・・。何とか線路を繋げ、人を繋げてニッポンを繋げたい。本気でそう考えていますので、応援よろしくお願いいたします。(「元気が出る写真展2011」出品者メッセージより)

○駅は、地元の人のものだ。でも今、地元の人も駅を見捨てつつある。

○成田駅は、東北の中でも最も“攻めている駅”だ。

○ローカル線は地元の人に愛されないと残っていけない。

○だから私は、駅を愛している人を応援したい。

○そして私は、駅を盛り上げてくれる“人”も含めた基盤を地元につくりたい。

○地元の人に言いたい。皆さんは何をやってる?。 ここで生きる覚悟がありますか?

 

私達は、この問いに真剣に向き合わなければいけないと思う。広田さん有難うございました。 合 掌

 

2020年6月の『線路をつなげて』の記事はこちらから

 → がんばるニャンズ:おらだの会 (samidare.jp)

 

2020年10月の「広田泉特別写真展」の様子はこちらから

 → イベント情報:おらだの会 (samidare.jp)

 

 

 

【おらだの会】写真は長井高校写真部の生徒さんにアドバイスする広田さん。(2019年6月18日撮影)

2022.04.01:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

(25)長井線を守ろうカラオケ大会も

  • (25)長井線を守ろうカラオケ大会も

 今年は羽前成田駅が開業してから100年になる。そんな節目の年に、これまでの歩みを振り返ることはこれからの活動を考えるヒントも得られそうな気がする。そんな思いを抱きながら、羽前成田駅協力会の資料をみていきたい。

 

 羽前成田駅協力会が発足した昭和59年度の事業報告を見ると/4月22日 長井線まつり参加(長井駅前)/4月30日~5月1日 長井市民号参加/7月28日 長井線を守るカラオケ大会協賛(成田駅前広場)/8月8日 羽前成田駅前ゲートボール場開き、とある。

 

 長井線まつりは荒砥までの全線開通の日(4月22日)に合わせて実施。第1回は昭和56年に行われており、以後昭和61年まで長井市、白鷹町、南陽市が会場持ち回りで開催したという。また長井市民号という事業も企画されている。

 

 成田駅ではゲートボール場を整備し、カラオケ大会が開催されるなど駅協力会と公民館、老人会などが一緒になって運動を盛り上げていたことが伺える。ある意味では羨ましく思う点がある。コロナ禍もあって困難な状況ではあるが、こうした雰囲気を創り上げていきたいものである。

 

 

【おらだの会】 写真は昭和60年の「長井線を守ろうカラオケ大会」(「写真でみる致芳のあゆみ」より)

2022.03.30:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(24)駅協力会のスタート地点

  • (24)駅協力会のスタート地点

 羽前成田駅協力会が簡易委託駅化に対応するために昭和59年4月11日に設立されたことは前回お話したとおりである。しかしながら西大塚駅は成田駅よりも早く昭和46年に簡易委託駅になりましたが、駅協力会が発足したのは昭和63年10月である。蚕桑駅と鮎貝駅も成田駅と同じ年に簡易委託駅となりましたが、駅協力会は発足しなかったようである。一方、時庭駅協力会は昭和63年9月、長井駅南長井駅協力会が平成元年1月に発足しているのをみると、各市町の考え方の違いがでているようである。

 

 それはともかく、羽前成田駅が沿線の中で最も早く駅協力会という地元組織がつくられたことは注目しておきたい。上の写真が昭和59年の羽前成田駅の様子である。玉置清吉さんはこの建屋の駅務室に入って仕事をしたのである。見るからに雨漏りがしそうなこの駅舎こそが、玉置さんと羽前成田駅協力会が立ち向かったスタート地点であり現実だったのである。

 

【写真提供:故玉置清吉氏(昭和59年8月13日撮影)】

羽前成田駅舎の変遷についてはこちらからどうぞ

→ 停車場の追憶写真帳:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

2022.03.28:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]