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(3)線路は右岸か左岸か

 長井線は大正3年部分開通で長井町まで開通したが、その先荒砥までどこを通るか地区住民の非常な関心事であったが、測量しないうちは誰にも判らなかった。憶測やデマが盛んに乱れ飛んだ。住宅にかからないように西表の真ん中を通るそうだと言う人も居り、又遍照寺の東に街を斜めに横切って、竹林あたりで松川を渡り、森、東五十川から東根に行く等と誠しやかに言うものもあった。ちょうどその頃東分教場建築が決まり敷地も大体内定したけれど、若し汽車が東を通る場合、線路は必ず校舎の前後を通らなければならない。校舎建築を見合わせたらということを真剣に論議されたこともあった。

致芳郷土資料第三集 沙石集(横山文太郎翁覚書) 致芳郷土史会編より

 

 

【おらだの会】長井~荒砥間の建設は、大正6年12月の鉄道会議で大正8年から3か年で行うことで決定されている。当初鉄道院では最上川の右岸を通って荒砥に向かう路線を計画していたようである。最上川を挟んで鉄路の争奪戦が激しさを増すことになる。

 

2022.01.19:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

帰りたくなったら・・・

  • 帰りたくなったら・・・

12月18日 

怖いもの見たさに冬の東北へ。昨夜からの雪が積もる中、はぎの湯で人生初の雪の露天風呂を体験 (from 福岡)

 

12月21日

ここは今まで何回も来ていました。本当にお世話になりました。思い出深い駅でした。私は一生忘れないと思います。これからたくさん苦労すると思いますが、絶対に負けたくない。前向きに明るく進んで行きたい。心の中にいつも炎を燃やし続けたい。時には消えそうになるかもしれないけれど絶やすことなく自分を励まし、自分を信じて行動あるのみ。頑張るぞー!! (kaze)

 

 

【おらだの会】

この時期、新しい道に進もうとする若い人たちの声が駅ノートに書かれるようになる。人生の峠を越えようとする若い人たちに、真壁仁の「峠」という詩の一部を紹介したい。(でも帰りたくなったら帰って来ていいんだよ。)

 

峠は決定をしいるところだ/大きな喪失にたえてのみ/あたらしい風景がひらける/峠にたつとき/すぎ来しみちはなつかしく/ひらけるみちはたのしい/みちはこたえない/みちはかぎりなくさそうばかりだ

2022.01.17:orada3:コメント(0):[停車場ノート]

3年間お世話になりました

12月17日金曜日

今日、終業式を終えて1時の電車で帰って来ました。今日でフラワーを使うのは最後でした。3年間お世話になりました。

 

自分はAndwinpsという人たちの曲を毎日聞きながら登校してました。ぜひ聞いてみてね。

 

 

【おらだの会】昨夜は山形新幹線が立ち往生したようですが、フラワー長井線は頑張って運行しているようです。今日は大学共通試験日、それぞれの3年間を糧にして目標に向かって羽ばたいて欲しいものです。

2022.01.15:orada3:コメント(0):[停車場ノート]

鉄道アイドルMomoさんでした!

12月11日 くもり

お友達の故郷に来ました。こんなところで育ったからあんないい人になったんだなぁ~。

 

12月12日

ふらりと降り立ったらイルミネーションの準備中でした。こうして一人一人の手で飾り付けられている処を見て感激。渋いだけでなく丁寧に手入れがされていて、愛されているんだなあと。また来たいです。 (伊藤桃)

 

 

【おらだの会】後で知ったのですが、伊藤桃さんは鉄道アイドルとしてとても有名な方でした。羽前成田駅でのワンショットは、12月12日のツィッターでご覧になれますよ。

2022.01.13:orada3:コメント(0):[停車場ノート]

(2)ガタ汽車・緑門・芸者踊り

  • (2)ガタ汽車・緑門・芸者踊り

 第1話の記事に「ガタ汽車」と「緑門」という言葉が出てきたが、この説明をしておきたい。まずは「ガタ汽車」である。これは、長井線を最初に走った列車のことである。本線を走った本格的な列車(ボギー車)と違って、マッチ箱と呼ばれた列車は横揺れが酷かったようである。この時の蒸気機関車は600型といわれるものであり、次の投稿をご覧いただきたい。

 ⇒ 軽便鉄道あれこれ:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)

 

 もう一つが鮎貝駅に設置されたという「緑門」である。辞書によると「祝賀の際などに建てる常緑樹の葉で包んだ弓形の門。グリーンアーチ。」とある。ふと思い出したのが上の荒砥駅の開業時の写真である。残念ながら羽前成田駅には緑門は作られなかったようであるが、致芳郷土資料第三集沙石集によれば、「役場前に芸者踊り等の余興もあり大変な賑わいであった」と記されている。

 

 長井駅開業時には壮大なアーチが造られていたようだが、あまりにも大きすぎてそれが緑門なのかは確認できない。「村に鉄道がやって来る」ことへの地元の人々の期待の大きさがわかるようである。長井駅開業時の写真はこちらからどうぞ。

 ⇒ ながいまちなみ物語 2 長井駅前通り:長井市観光ポータルサイト | 水と緑と花のまち ようこそ、やまがた長井の旅へ (kankou-nagai.jp)

 

 

 

【写真提供:白鷹想い出写真館】

2022.01.11:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]