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(39)鉄道写真講座と雪灯り回廊ツアー

  • (39)鉄道写真講座と雪灯り回廊ツアー

 忙しかった平成23年度の最後の事業協力が、平成24年2月4-5日に行われた山形鉄道大学(鉄道写真講座)であった。「有名鉄道写真家米屋こうじ先生と行く鉄道写真教室ツアー」と題していた。内容では羽前ニャリ太駅長と成田鯉の駅長のお出迎え、駅舎内喫茶店造りとかまくら造り体験、かまくらで餅焼きなどとある。

 

 この時期に駅前広場を中心にランタンの制作をやっていたが、それに加えてかまくら造りの準備をしなければならなかった。忙しかったからだろうか、ツアー参加者の皆さんと交流した記憶がほとんどない。ただ、これまで一緒に事業に協力してくれた地元短大生が卒業制作としてランタンを作り、この会場に展示してくれたことを覚えている。

 

 彼の夢は「駅舎で喫茶店をやること」と語っていたが、この年の春卒業していった。「駅茶」とは彼の夢を聞いたときに付けられた名前である。100周年にもう一度会いたい一人である。

2022.06.04:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(38)元気が出る写真展~広田泉氏との出会い

  • (38)元気が出る写真展~広田泉氏との出会い

 平成23年度の最高の出来事は、鉄道写真家広田泉さんとの出会いであったろうと思います。「元気が出る鉄道写真展2011」は、10月15日から11月13日までの日程で行われました。山形鉄道の方の話によると、平成23年度のゴールデンウィークに西大塚駅で開催された米屋浩二さん主催の「東北の鉄道応援写真展」に広田さんも参加されていたのがきっかけだったようです。その後山形鉄道社長の提案で山鉄主催の写真展を企画したところ、真っ先に手を挙げてくれたのが広田さんだったといいます。

 

 広田さんとは、その後、「ちゃぶ台写真展(2016.4.23-)」や「3駅(羽前成田・時庭・西大塚)合同写真展(2016.10.22-23)」、さらに「フラワー長井線撮り鉄の旅(2018.9.22)」などを企画していただき、「123(いずみ)の会」の皆さんと共におらだの会や山形鉄道を応援してくれました。おらだの会のリスタートは広田さんと共にあったと思います。開業100年を共に祝って欲しかったのですが、今年3月に53歳の若さで急逝されました。改めてご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 元気が出る写真展の様子はこちらから

 → 停車場ノート:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 → 広田泉さん逝く ~ 線路を繋げて人を繋げて:おらだの会 (samidare.jp)

 

 

【おらだの会】写真は11月13日の写真展打ち上げの様子です。

2022.06.02:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(37)ぼくらの文楽 ~ 若い人たちと

  • (37)ぼくらの文楽 ~ 若い人たちと

 平成23年の第1期改修後、成田駅を会場に多くの事業が行われることになります。沿線住民サミット(7月26日)、ぼくらの文楽(9月17-18日)、元気が出る鉄道写真展(10月15日-11月13日)、歩くセッション(9月24日)、会員の還暦列車(12月11日)、鉄道大学・雪灯り祭りツアー(2月4日)です。会員の還暦列車以外は、山形鉄道や他団体からの要請に基づいて協力したものですが、それにしてもよくこなしたものだと感心してしまいます。

 

 この年の事業は1)沿線の連携を図る、2)長井線の利用拡大を図る、3)駅舎を交流の場として活用する、4)鉄道や駅舎を活用してツアーを実施する、に分類することができるようです。これは今も、おらだの会が目指しているものであることに気づかされます。

 

 活動の転換の年に、ぼくらの文楽というフェスティバルで全国から来た若者たちと交流できたことは、私たちにとって大変良い経験でした。羽前成田駅が原宿や表参道にでもなったような気がしたものです。ある人が「成田駅はどんな人でも受け入れてくれるホストステーション」と評した方がいましたが、訪れる人と過ごす時間の楽しさを、この事業で教えてもらったのでないかと思います。

 

 ぼくらの文楽の様子はこちらから

→ 停車場ノート ⑭来たー!ぼくらの文楽!! :山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

→ 停車場ノート ⑱ 栗コーダ,宮崎会長に感謝:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

→ 停車場ノート ⑲大好きです!成田駅の変なおじさん達:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

2022.05.31:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(36)駅舎改修~どご新しくしたなや?

  • (36)駅舎改修~どご新しくしたなや?

 駅舎の修繕は平成23年と24年の2か年にわたりましたが、初年度は事務室とホーム側の改修、東側トタンの塗装工事を行いました。6月26日に工事が竣工し、地元の人たちもたくさん見学に来てくれました。「新しくしたという話だげんど、どご新しくしたなや?」と言われるのは褒められたということか。

 

 事務室では宮崎会長のご挨拶。待合室は昔の紳士、淑女でごった返し、また車掌の制服大好きマンもお仕事に来られました。さらに竣工を祝して昭和レトロ車が、「高校3年生」を大音量で流しながら登場してくれたのでした。

 

 

 

【おらだの会】これをきっかけに駅ノートを置くことになりました。若い人に教えてもらってブログ(exeblog)もスタートさせました。こちらをご覧ください。

 → 停車場ノート ① 停車場ノート出発進行! : 山形鉄道 おらだの会 (exblog.jp)

 

2022.05.29:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(35)駅舎を再現~ミニチュアが本物に

  • (35)駅舎を再現~ミニチュアが本物に

 平成9年(1997年)4月1日から成田駅は無人駅となり、駅協力会が玉置清吉氏と駅管理委託契約を結ぶことになります。けれども玉置さんの高齢などの理由により平成14年(2002年)には完全無人化となってしまいます。

 

 一方山形鉄道は、平成16年(2004年)のスィングガールズの公開によって、脚光を浴びるようになります。平成18年(2006年)には方言ガイドが始まり、同年10月には日本鉄道賞特別賞を受賞します。さらに平成21年(2009年)には最上川橋梁が近代化産業遺産に認定され、また公募社長に旅行会社出身の野村浩志が就任し営業活動も活発になります。

 

 そんな時、おらだの会の初代会長であった石塚さんが成田駅、長井駅、西大塚駅のミニチュアを制作しました。平成22年(2010年)のことです。「何かやってみよう。」といった気運がおらだの会の中でも生まれていたのかもしれません。このミニチュアが会員の心に火を点けたのでしょうか。ミニチュアが本物になり、実物大の駅舎の再現に取り組むことになったのでした。おらだの会にとってもまた成田駅にとっても大きな転換点となったのでした。

 

 

【おらだの会】わずか12年前の写真ですが、こんな若い時代もあったのかと驚いてしまいます。

2022.05.27:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]