HOME > 記事一覧

写真展「あの時の長井線」

  • 写真展「あの時の長井線」

 駅茶では、「あの時の長井線」が開催中です。山形鉄道の元社員が撮影した作品です。車庫内での整備風景には、山鉄社員のもう一つの素顔が見えてきます。また仕事の合間に撮られた盆地の中を走るフラワー号やもっちぃの写真には、山鉄愛も感じられます。

 

 山鉄社員の入社当時のコメントが記され、仕事に対するひたむきさを改めて感じることができます。また青春18きっぷポスター風の作品には、山形鉄道が提供する「旅」に向けてのメッセージが込められているようにも思えます。全線開通100周年、これからも社員と地元の思いを一つにして、歴史を重ねていきたいものです。

 

 

【おらだの会】写真展「あの時の長井線」は7月30日(日)までの週末(金・土・日)、午後1時半から4時まで(最終日は3時まで)です。

  山鉄社員をイメージしたエッセーはこちらからどうぞ

 → 第13話 ある運転士のこと その1(夕暮の長井駅):おらだの会 (samidare.jp)

 → 第13話 ある運転手のこと その2(夕暮の長井駅):おらだの会 (samidare.jp)

2023.07.20:orada3:コメント(0):[イベント情報]

2回目参上

  • 2回目参上

「2回目参上!!」と書いてくれたのは、デハニ金(?)さん。昨年の12月においでになったようです。今回は205D→210Dとあるので、下り9時37分で降りて、10時38分の上りに乗って行かれたのでしょうか。「もっちぃ駅長ありがとうー」のメッセージが嬉しいですね。また素敵な絵を見せに来てください。

 

 → 35分の仕事か?:おらだの会 (samidare.jp)

2023.07.18:orada3:コメント(0):[駅ノートイラスト館]

汽車通してました

5月20日 18:16

フラワー長井線長井⇔荒砥を乗り、長井駅から当駅に。かつて高校生の時に利用していた米坂線犬川駅の駅舎にそっくりで、大変なつかしく感動しました。いつまでも当「羽前成田駅」の駅舎を後世に残して欲しいものです。(shima)

 

5月21日

長井駅から総宮神社に参拝してからこの駅まで歩いて来ました。とても風情がある駅だと思いました。(大阪府yy)

 

5月28日

五十川出身です。久しぶりに見に来ました。なつかしいです。汽車通もしました。今日はあいにくの曇り日です。また見に来たいと思います。

 

2023.07.16:orada3:コメント(0):[停車場ノート]

祖母に会えたような気持になって

  • 祖母に会えたような気持になって

5月15日

雨の日に来ました。とても歴史ある小さくも大きな駅に包まれて幸せな時間を過ごしました。これからも長生きしてください。また会いに来ます。100歳おめでとう。(46歳上山市民)

 

5月15日

羽前成田駅、大正11年に建てられたとのこと、初めて知りました。私の祖母も生きていたら100歳になっていたのかなぁと、祖母にも会えたような気持になってうれしくなりました。また家族みんなでフラワー長井線に乗りたいと思います。楽しい時間を有難うございます。(チュリン)

 

5月18日(木)

とても落ち着く駅です。いつも素通りしていたので立ち寄りました。

 

 

 

【おらだの会】アジサイも見頃です。

2023.07.14:orada3:コメント(0):[停車場ノート]

第20話 百年後のこの景色を その2(荒砥駅)

  • 第20話 百年後のこの景色を その2(荒砥駅)

 請願書には、私たちの憤懣をぶち上げた。衆議院で採択された我々の請願書にも「荒砥まで延長する」ことを明記していた。そして鉄道会議並びに鉄道院の告示にも「長井荒砥間」とあるではないか。翻って明治44年に、延長請願のために鉄道院に出頭陳情の際、当時の理事の三氏は「財政上の都合により目下は延長至難なるも、将来適当の時機において見るべく。而して線路は、その筋において30余年間、最上川出水表により左岸は一般に低地にしてかつ川流水源の関係上、水害多く殊に鮎貝村付近は洪水地域と認めあるをもって、線路には不適当なるのみならず停車場設置は到底不可能なり。これに反し右岸の東部は最上川水面より約十メートル以上高い。害の患いなきのみならず、後日、西村山郡の平野線に連絡上、至大の便利あるをもって、鉄道線路は無論右岸たるべく、停車場また荒砥町に設置せらるべきは何ら疑うべきにあらず。」と言明したではないか。我々の記憶には今も鮮明に残っているのだと。

 

 私はこの請願書を提出した4か月後に町長の職を辞した。この段において、荒砥駅までの延伸を実現するためのリーダーは、地元出身者でなければならないと思ったからだ。後年の地元の皆さんや歴史家からは「よそから来た町長は、何もできなかった」とのそしりを受けるかもしれない。けれどもそれは甘んじて受けなければならないであろう。

 

 町中の大通りには青杉の緑門が建てられ、軽便鉄道の開通と共に営業を始めた2軒の運送会社が、酒樽を山と積んだ大八車を、ねじり鉢巻きの若衆に引かせて練り歩いている。「大正の年も 十二の春浅く 桜にさきがけ開通の 荒砥の駅も・・」との歌が、祝賀パレードの人々によって歌われ、祝賀気分をいやが上にもわき上がらせた。町中の歓声を聞きながら、本間は改めて三番坂からの景色を眺めた。そこには荒砥の繁栄の基礎を築いてくれた最上川の流れがあった。そして未来への希望をつなぐ長井線のレールが朝陽を浴びて光っていた。本間は思った。この景色を守るのはここに生まれ、ここで育った人たちなのだ。すべてはここに生きる人々の手にあるのだと。そして思った。十年後、百年後のこの景色を見てみたいものだと。

 

 

 

【おらだの会】今年の2月13日に赤湯駅を出発したエッセーも、終着駅に到着いたしました。長らくお付き合いくださり誠にありがとうございました。長井線の旅で、これからもそれぞれの物語が紡がれていくことを期待したいものです。(本稿は荒砥町誌、白鷹町史、山形鉄道㈱、ふるさと資料館、荒砥コミュニティセンター様からの資料をもとに創作しました。)