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広田泉伝[7] 撮影ツアー2018年、2019年

  • 広田泉伝[7] 撮影ツアー2018年、2019年

 広田さんの事業企画は写真展にとどまらなかった。山形鉄道㈱と利用拡大協議会からの要請を受けて「フラワー長井線撮り鉄の旅(2018年9月22日)」、「フラワー長井線夜の撮影会ツアー(2019年10月19日)」をプロデュースしてくれました。

 

 夜の撮影会では木造駅舎をライトアップさせ、さらには鉄橋上で貸切列車を停車させて撮影するなど想像も及ばない企画でした。広田さんはそのために何度も現場に足を運び、ライトを自ら準備して舞台を設定したのでした。それは写真家としての経験と感性に裏打ちされたものでした。

 

 一見すれば単なる“お祭り”のようにも思えるが、鉄道写真家として何ができるか、を考え続けてきた末にたどり着いたことのように思える。「実際に列車に乗ってもらわなければ鉄道会社のメリットにならない。夜の最終列車までの事業を行えば、地元に宿泊してくれるかもしれない。」、「これからは『ポスターを創る旅』も面白い。ポスターには地元のラーメン屋もお菓子屋も紹介することができるから。」とは後になって教えてもらったことだ。

 

 

【おらだの会】撮影ツアーは、山形鉄道㈱との協働事業として行われたものです。

       「広田泉伝」は、広田さんへの感謝を込めて「広田泉写真展」の開催に合わせ

       てまとめようとしているものです。写真展の案内はこちらをご覧ください。

         → 広田泉写真展を開催します:おらだの会 (samidare.jp)

2023.04.13:orada3:コメント(0):[がんばるニャンズ]

広田泉伝[6] 3駅合同写真展 2016年10月

  • 広田泉伝[6] 3駅合同写真展  2016年10月

 ちゃぶ台写真展に続いて10月22日から23日に3駅合同写真展が行われた。3駅とは西大塚駅、時庭駅、羽前成田駅であり米屋こうじさん、123の会、広田泉さんが各駅で写真展を行うものです。今思うと「駅を繋げる」、123の会のメンバーも含めて「人を繋げよう」との考えだったと思います。山形鉄道社員も含めて行った前夜の交流会はとても楽しいものでした。

  合同写真展の様子はこちらから

  → 三駅合同写真展:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 

 上の写真は事前の打合せ時のものですが、この夜、広田さんは初めて熱い想いを語ってくれました。この言葉はコロナで自由な活動ができなかった時に私たちの心の支えになってくれたものです。そしてきっとこれからも・・・・。

<広田さんの言葉>

・駅は、地元の人のものだ。でも今、地元の人も駅を見捨てつつある。

・成田駅は、東北の中でも最も“攻めている駅”だ。

・ローカル線は地元の人に愛されないと残っていけない。

・だから私は、駅を愛している人を応援したい。

・そして私は、駅を盛り上げてくれる“人”も含めた基盤を地元につくりたい。

・地元の人に言いたい。皆さんは何をやっている?ここで生きる覚悟がありますか?

  → 広田泉語録・・・:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

2023.04.12:orada3:コメント(0):[がんばるニャンズ]

広田泉伝[5] ちゃぶ台写真展2016年4月

  • 広田泉伝[5] ちゃぶ台写真展2016年4月

 平成28年4月29日から5月8日まで「ちゃぶ台写真展」が開催された。期間中、成田駅前のハイエースが広田さんの宿舎になった。差し入れの山菜を「うまい、うまい」と言って食べてくれた顔が懐かしい。この時は吉川病院の作品展示会とも同時開催となったが、オープニング時の広田さんの挨拶が心に残っています。

 

 「この写真展を通して、山形鉄道やおらだの会の皆さんとよりしっかりと付き合ってくれる仲間の輪が、少しでも大きくなってくれることを願っています。」「僕たちの仲間が『近くまで来たから顔を見に来たよ』と言えるような、山形の親戚みたいな関係であって欲しい」と。広田さん、123の会の皆さんとの“絆”のスタートだったのではないだろうか。

 

 

 今回トークショウをお願いする米屋こうじさんが、鉄道ダイヤ情報2022年6月号に寄稿している。
 「(広田さんの訃報を知って)思い出したのは朝の光に包まれた木造駅舎。山形鉄道羽前成田駅の旧駅務室が、彼の写真展会場だった。2016年5月のこと。話が聞きたくなって会いに行った。

 彼の撮る写真は躍動感に溢れ魅力的だった。前向きで、一歩先を走り、自分に正直な生き方が羨ましかった。育った環境も、生き方も違うけれど、同じ時代に同じ被写体を追いかけた写真家・広田泉を生涯忘れない。」

 

 

 

【おらだの会】写真提供:米屋こうじさん

        ちゃぶ台写真展で感じた思いは、こちからどうぞ

 → ちゃぶ台写真展の民俗学的考察?!:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

2023.04.10:orada3:コメント(0):[がんばるニャンズ]

広田泉伝[4] 長井線祭りに再降臨2015年

  • 広田泉伝[4] 長井線祭りに再降臨2015年

 平成23年の元気が出る鉄道写真展の後、広田さんの姿をしばらく見ることはできなかった。全国の被災地支援に飛び回っていたのではないだろうか。再会したのは平成27年の10月25日。羽前成田駅が登録有形文化財に認定され、認定プレートがお披露目された長井線祭りであった。

 

 盛大な祝賀会が終わった後、駅舎の前で固く握手をするおらだの会の宮﨑会長と広田さんの姿があった。広田さんは翌年の春から「ちゃぶ台写真展」や「3駅交流写真展」など、山形鉄道を応援する企画を矢継ぎ早に実施してくれた。この時、二人の間に無言の想いが伝わったように思えてならない。広田さんの再降臨を見届けるかのように翌28年9月、宮﨑会長は旅立たれたのでした。

 

 

 

プレート授与式の様子はこちらからどうぞ → 長井線祭りin成田駅②:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 

広田泉写真展のご案内はこちらからどうぞ → 広田泉写真展を開催します:おらだの会 (samidare.jp) 

2023.04.09:orada3:コメント(0):[がんばるニャンズ]

広田泉伝[3] 元気が出る鉄道写真展2011

  • 広田泉伝[3] 元気が出る鉄道写真展2011

 2011年7月頃、山形鉄道から写真展開催の依頼を受けた広田さんは、これを快諾します。会場はその年の6月に第1期改修事業が行われた羽前成田駅。これが鉄道写真家・広田泉さん、「123(いずみ)の会」との出会いでした。この出会いが、その後のおらだの会の活動を支えてくれることになるのでした。写真展は2011年10月15日から11月13日までのロングラン。しかも12月17日には広田さんを囲んでの忘年会まで行われました。写真展の挨拶欄に広田さんは次のようなメッセージを寄せています。「本気でそう思っています」が胸を打ちます。

 

 「鉄道写真家・広田泉です。鉄道写真を撮り始めて40年ということで色々なことをやろうと考えていたのですが今年は大変なことになってしまいました。思い出の場所や大好きな場所が津波や豪雨により災害を受け線路もまた・・・。何とか線路を繋げ、人を繋げてニッポンを繋げたい。本気でそう考えていますので応援よろしくお願いいたします。」

 

 この写真展はおらだの会にとっては活動のターニングポイントとなったものです。そのため成田駅開業100年に広田さんを真ん中にして同窓会をやりたいと思っていたのでしたが、果たせぬこととなりました。「元気が出る鉄道写真展2011」の出品者メッセージの一部を紹介します。広田さんとつながる参加者それぞれの想いを感じることができます。

 

◆まだ少年だった頃、写真に関心を持ったそもそものきっかけが鉄道でしたから、走り去る列車の影はまるで遠い日の記憶のようです。(eguchi)

◆この展示も多くの人が参加して、たくさんの意志が注がれています。この人と人との繋がりによって、色々な人の元気が生まれることを祈っています。(yohhei)

◆人や物だけでなく文化や経済、人びとの様々な感情も運んでくれる鉄道は元気の源です。何かをすることでエネルギーが大きくなる事を願い、写真展に参加させていただきました。(mayumi)

◆今年はつらい事、悲しいことが沢山ありました。でも「必ず明るい未来が待ってる」そんな思いを込めてシャッターを押し続けました(youko)

◆都会に暮らす中で、故郷での思い出を探すために鉄道写真を撮り始めました。周りの景色が変わっても、鉄道が変わらずそこにあったからです。ホームを歩く人、駅舎で談笑する人、列車の窓に浮かぶ人、そこには間違いなく存在した自分と友人や家族との思い出が重なります。鉄道にはいつも郷愁を、そして先につながる未来を感じます。街と街、そして人と人。大切に暖かく、いつまでもつないでいて欲しいと思います。(hiroshi)

 

 

 写真展の様子はこちらから → ウィークエンドパスを利用して山形新幹線で赤湯駅へ 元気が出る鉄道写真2011の旅 その1 - とくとみぶろぐ (tokutomimasaki.com)

2023.04.07:orada3:コメント(0):[がんばるニャンズ]