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ここに来るたびに

8月11日

置賜に住む74歳の初老。タイムスリップした感じです。健康な時、何度でも足を運びたくなるくらい懐かしいです。

 

8月14日 午前7時半

千葉在住の68歳です。出身は鹿児島ですが、妻は成田が実家です。帰省のたびに歩いてここに来ます。ここに来るたびに人生を振り返るひと時です。来るたびに親戚が亡くなっていく寂しさもありますが、ここに来ると何故か前向きになります。孫たちにもぜひ乗せてみようと思っています。ありがたい施設です。

2022.09.02:orada3:コメント(0):[停車場ノート]

(61)この風景が次の100年に(令和3年)

  • (61)この風景が次の100年に(令和3年)

 令和3年5月8日に、新長井駅がオープンした。成田駅でも8月に駅前広場の舗装工事が完成した。数年前から成田自治会が市に要望してくれていたものである。このような大規模事業は、昭和63年の駅前広場改修工事あるいは平成29年3月のトイレの水洗化工事以来かもしれない。さらに駅前の「致芳ふるさとめぐり」もQRコード対応に整備された。

 また山形鉄道㈱では、写真愛好家などから要望のあったホーム手すりの塗装をし、年末にはトイレ前の街灯をレトロな?EDに変更するなど、駅舎のたたずまいに配慮した整備を行ってくれた。おらだの会では駅協力会に協力して、白兎駅にアッピール看板を設置し、12月には白兎駅にもイルミネーションを設置した。開業100周年を前にして、関係機関や団体が協力して環境整備に取り組んでくれた一年となった。新長井駅も含めてこうして整備された風景が次の100年に伝えられていくことになるのだろう。

 

→ 新長井駅、開業!:おらだの会 (samidare.jp)

→ New・致芳ふるさとめぐり:おらだの会 (samidare.jp)

 

 ソフト事業としては、東北DCに関連して大人の休日倶楽部5月号におらだの会が掲載。5月には置賜農業高校生のグループが花壇の整備活動に取り組んでくれた。展示会では駅ノートイラスト展を開催し、大きな反響を得た。また市の地域づくり協力隊隊員との交流がきっかけとなり、北九州市鉄道記念館に保存されている59634号の現在の写真を提供してもらった。長井線最後のSL68691号と59634号の両方の現存を確認できたことはとてもうれしいことである。

 長井線利用拡大協議会では7月にクラウドファンディングによる長井線「足」プロジェクトを成功させた。フラワー長井線祭りではぬりえの車両が動き出す「ぬりてつAR」や列車内に写真等の作品を展示する「アトリエセン」が行われるなど、新たな取り組みも試行された。この年もコロナ禍に苦しめられたのであるが、そうした中にあってもハード的にもソフト的にも100周年を迎えるための準備ができつつあることを予感させるような年であった。

 

 

→ 「さよならSL」との再会:おらだの会 (samidare.jp)

→ (30)最後の86型も生きていた:おらだの会 (samidare.jp)

 

 

【おらだの会】「成田駅100年物語」は令和3年度まで進めることができました。最後の令和4年度分については暫時休憩の後に、報告することに致します。ここまでのお付き合い誠にありがとうございました。

2022.08.31:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(60)小口昭さんのメッセージ(平成26年)

  • (60)小口昭さんのメッセージ(平成26年)

 小口昭さんの「長井線の今・昔」の発行は平成26年(2014年)11月とある。長井市制施行60周年、長井駅までの開業100周年でスマイルプロジェクトが展開された年である。小口さんの胸に何かしら期するものが生まれたとしても不思議ではないように思う。息子さんからは、「父はこの冊子の準備をしている最中に脳梗塞で倒れ、その後の校正作業は私がやることになった。」と教えられた。

 

 父子の共同作業として完成した写真集の最後のページに載せられたのが上の写真である。「現在長井線に在る防雪林は羽前成田駅と蚕桑駅の2か所しかないので文化財的価値があり、時庭駅や長井駅のように切らないで残しておきたい」とのコメントは、小口さんのメッセージのように思える。

 

 「成田駅100年物語」を書き続けてきて、小口さんの本に出会えて本当によかったと思う。さて小口さんは成田駅開業100年の年に何を思い、頼りない「おらんだ」をどんな風に見ているのだろうか。

 

 

 

【おらだの会】「長井線の今・昔」の紹介は、今回で最後となります。また遺作展も9月4日(日)、午後3時で終了となりますのでご注意ください。

2022.08.29:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(59)タイムカプセルに(平成12年)

  • (59)タイムカプセルに(平成12年)

 小口昭さんは長井市役所で長く広報を担当していた。写真撮影も各種展覧会で受賞するような技術を持っていた方であった。写真集「長井線今・昔」の中にも受賞作品が掲載されているが、上の写真もその一枚である。キャプションを紹介する。

 

 「奥羽本線赤湯駅に新幹線「つばさ」が停車し、長井線と連絡するようになった。平成12年に山形新聞社は記念にタイムカプセルを作り、公募写真等で優秀賞になった上記写真をタイムカプセルに埋設、2025年に開封される。」

 

 平成12年は西暦2000年であり21世紀の幕開けの年である。長井線も開業77周年にあたり、サイクルトレインなどの記念事業が行われたという。3年後、タイムカプセルが開封される。小口さんはいないけれども、氏の本物の作品と再会できることを楽しみにしたいものだ。

 

 

【おらだの会】小口昭遺作展「長井線の今・昔」は、9月4日までの毎週末(金・土・日)の午後1時半から4時までです。なお都合により事前の告知もなく閉館とする場合もございますのでご了承ください。

2022.08.27:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(58)長井~米沢直通列車廃止(平成9年)

  • (58)長井~米沢直通列車廃止(平成9年)

 山形新幹線が開業したのは平成4年(1992年)7月 1日である。赤湯駅が新幹線の停車駅になったことを地元では大変喜んでいたのだが、そのマイナス面も明らかになってくる。平成5年6月23日の山形新聞によれば、熊野大社参拝の臨時列車の乗入が出来なくなり大半がバスでの参拝になった結果、初詣客が4割程度減少し商店街への回遊も減少したという。

 

 さらに平成9年 (1997年)3月22日には、JR米沢駅からの今泉~長井間乗入が廃止となった。当該列車の利用者数は不明であるが、JRとの運行上の連携も難しい状況になっていたようである。米坂線の長井駅経由が実現できていたらどうなっていたのだろうか、と思う。

 

 JRになってからの米坂線は走行車両もホームのサインも変わってしまった。国鉄時代の光景を色濃く残すのは今泉駅の長井線のホームにしかなくなったようである。1番・2番ホームに残る国鉄時代の看板等は、歴史の証人でありフラワー長井線の宝物である。

 

 

 米坂線の長井駅経由の運動はこちらから

 → 長井線リポート(17)  白川橋梁からの眺め:おらだの会 (samidare.jp)

 

 今泉駅に残る国鉄時代の遺構はこちらから

 → 長井線リポート(18) ザ昭和 in 今泉駅:おらだの会 (samidare.jp)

 → 長井線リポート(19)  面白景色の宝石箱 in 今泉:おらだの会 (samidare.jp)

 

2022.08.25:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]