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(58)長井~米沢直通列車廃止(平成9年)

  • (58)長井~米沢直通列車廃止(平成9年)

 山形新幹線が開業したのは平成4年(1992年)7月 1日である。赤湯駅が新幹線の停車駅になったことを地元では大変喜んでいたのだが、そのマイナス面も明らかになってくる。平成5年6月23日の山形新聞によれば、熊野大社参拝の臨時列車の乗入が出来なくなり大半がバスでの参拝になった結果、初詣客が4割程度減少し商店街への回遊も減少したという。

 

 さらに平成9年 (1997年)3月22日には、JR米沢駅からの今泉~長井間乗入が廃止となった。当該列車の利用者数は不明であるが、JRとの運行上の連携も難しい状況になっていたようである。米坂線の長井駅経由が実現できていたらどうなっていたのだろうか、と思う。

 

 JRになってからの米坂線は走行車両もホームのサインも変わってしまった。国鉄時代の光景を色濃く残すのは今泉駅の長井線のホームにしかなくなったようである。1番・2番ホームに残る国鉄時代の看板等は、歴史の証人でありフラワー長井線の宝物である。

 

 

 米坂線の長井駅経由の運動はこちらから

 → 長井線リポート(17)  白川橋梁からの眺め:おらだの会 (samidare.jp)

 

 今泉駅に残る国鉄時代の遺構はこちらから

 → 長井線リポート(18) ザ昭和 in 今泉駅:おらだの会 (samidare.jp)

 → 長井線リポート(19)  面白景色の宝石箱 in 今泉:おらだの会 (samidare.jp)

 

2022.08.25:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(57)列車内綱引き(平成5年頃)

  • (57)列車内綱引き(平成5年頃)

 山形鉄道㈱は昭和63年(1988年)の開業当初こそ収支とんとんであったが、その後は厳しい状況が続いた。開業5周年を迎えた平成5年からは、国の補助も打ち切られることとなり、さらに社内的には不正事件が発生するなど内外に問題を抱えることとなった。

 

 平成6年3月3日の山形新聞社説欄には「長井線利用運動は原点に」との見出しで、「この厳しい状況から脱するには、やはり沿線住民、沿線市町の理解と協力が欠かせない。設立当初に誓ったマイレール意識の普及といった原点に立ち返った再度の運動が必要ではないか。」と指摘している。

 

 人口減少に加えて、コロナ禍によって団体客が期待できない現在の状況は、当時以上に厳しいものがあると思われるが、当時のような危機感があるようにも思えない。列車の中で綱引きをするような企画は、民間でなければ浮かばない発想だと思う。綱引きではなくとも共に汗をかく覚悟が必要と思われるがどうだろうか。

 

 

【おらだの会】写真は、小口昭遺作展「長井線の今・昔」より。

2022.08.23:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

ゴミ拾いはスポーツだぁ

  • ゴミ拾いはスポーツだぁ

 朝8時半から、スポGОMI拾い大会が成田駅周辺で行われました。この日は鮎貝駅周辺、蚕桑駅周辺でも早朝から実施されたとのこと。100年前に長井駅から延長して建設された3駅が清掃作業を行ったことになります。こうした連携事業も良いものです。

2022.08.21:orada3:コメント(0):[イベント情報]

100周年記念のゴミ拾い

  • 100周年記念のゴミ拾い

 8月31日(日)に羽前成田駅周辺で「スポーツゴミ拾い大会」が行われます。成田公民館と山形県/美しい山形・最上川フォーラムの主催。羽前成田駅100周年記念事業実行委員会と蚕桑地区コミュニティーセンターが共催となっています。

 

 羽前成田駅100周年記念事業実行委員会は、駅協力会と成田公民館そしておらだの会が組織するもので、今回が最初の協働事業となります。関係する団体が協力して成田駅を守り、元気な地域づくりにつなげていくきっかけになることを期待したいものです。
 

2022.08.19:orada3:コメント(0):[イベント情報]

(56)吊るし柿とゲートボール場(駅に集う人々)

  • (56)吊るし柿とゲートボール場(駅に集う人々)
  • (56)吊るし柿とゲートボール場(駅に集う人々)

 成田駅脇のゲートボール場の写真は平成4、5年頃のものだろうか。自分たちでゲートボール場を造り、夏の暑さをものとせずに元気な掛け声が飛び交っていたことを思い出す。一方、蚕桑駅には吊るし柿が飾られていた。「食ってもいいよ」としていたが、縄ごと持って行かれることが続いて廃止したという。

 

 以前、「家族との時間」と題したエッセーの中でユーチューブ「女子高生たった一人の駅が廃止」を紹介したことがある。その中で、「駅に集う人々」を紹介しながら、「駅には残しておきたいものがある」と語られる場面がある。2枚の写真を見て、フラワー長井線が開業してから地元の人たちは、「駅に集おう」としていたように思われる。また各市町でも公民館などと合築する形で駅の改築を進めてきたようである。

 

 蚕桑駅では、開業100年にちなんで100個の吊るし柿の復活を計画しているそうだ。四季の郷駅の七夕飾りやイルミネーション、鮎貝駅の水仙ロードの取り組みもある。長井線全通100年をきっかけにして、長井線の全駅が住民が集う場所となって欲しいものだ。

 

 

 駅茶こぼれ話での紹介記事はこちらから

 →家族との時間:おらだの会 (samidare.jp)

 

 ユーチューブはこちらから

 →さよなら・・・女子高生たった一人の駅が廃止 - Bing video

 

 

【おらだの会】小口昭遺作展「長井線の今・昔」は8月19日より再開致します。週末(金・土・日)の午後1時半から4時までの開場です。なお都合により事前の告知もなく閉館とする場合もございますのでご了承ください。

2022.08.17:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]