HOME > 記事一覧

もっちぃ、ありがとう!!

  • もっちぃ、ありがとう!!

 6月20日、うさぎ駅長「もっちぃ」が亡くなった。昨年の広田泉さんに続いての訃報に、喪失感は半端ないものがある。もっちぃは2010年8月に宮内駅長に就任。うさぎ駅員として一緒に働いた茶色の兄弟「ぴーたー」と「てん」が亡くなってからも頑張ってくれた。乗降客を癒し、山形鉄道を応援してくれた。

 

 6月23日の地元紙には、「(もっちぃは)みんなのために生きた」との見出しが付けられていた。人々に与えた優しさと山形鉄道に対する貢献は、計り知れないものがあるだろう。2020年にアニメ監督のわたなべひろしさんに制作してもらったぬり絵の原画には、もっちぃと2人の兄弟、助役のカメさんがフラワーライナーを応援している姿が描かれている。きっと、これからも兄弟3人で山形鉄道を応援してくれることだろう。私たちももっちぃに恥ずかしくないようにありたいものだ。

 

 わたなべさんの「ぬり絵」についてはこちらからどうぞ

 → 塗り絵に寄せられた思いは・・・:おらだの会 (samidare.jp)

2023.06.24:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

ありがとう、もっちぃ!

  • ありがとう、もっちぃ!

 もっちぃ駅長の訃報が、今日の地元紙に掲載された。もっちぃは13年間、駅長を勤められましたが、フラワー長井線への貢献は大変大きなものがあったと思う。

 羽前成田駅開業100周年の昨年は、鉄道写真家 広田泉さんが亡くなられ、全通100周年の今年はもっちぃ駅長を失うことになった。二人の恩に報いるためにも、みんなで力を合わせて、フラワー長井線を盛り上げていかなくてはならないと思う。

 

 もっちぃ駅長のご冥福を、会員一同心からお祈り申し上げます。

2023.06.22:orada3:コメント(0):[イベント情報]

いなかの白兎(2) 葉山伝説異聞

  • いなかの白兎(2) 葉山伝説異聞

 驢馬さんの日本昔話『いなのしろうさぎ』がいよいよ始まりました。まずは白兎と白狐、お坊さんの出会いの場面から始まります。漫画昔話の楽しさを損なわない程度に、地元に伝わる言い伝えなどを紹介したいと思います。最初に葉山神社縁起をもとに制作されたという「致芳ふるさとめぐり」の記事をご覧ください。この中に歴史の秘密を紐解く暗号が隠されているのかもしれません。

 

//大昔(約1400年位前)朝日岳は、信仰の山として月読命保食命が祀られていました。ところが、約950年前に安部貞任、宗任と源義家が戦いをはじめ、源氏が安部氏を滅ぼして、朝日岳や葉山にかくれていた人々を追いはらってしまいました。そのため約330年は草深い山となり、道もない荒れ果てた山となったのです。
 ところが、明徳4年(1393年)丹後国(京都の南西)の恵法律師という偉い和尚さんが、羽黒山に詣でるために五十川の四ツ家(現袋稲荷神社付近)まできたときに、紫の雲が森の上にたなびいているのを見て不思議に思い、森の中の池をさがすと、澄んだ水の池に金波がたち、岸には良い匂いの草が生えているので、その池に入ると泥にも染まらず衣もぬれずに一体の仏像が見つかりました。この仏像は、閻浮檀金(えんぶだごん:砂金でできた仏像)の薬師如来でした。この仏像を捧げて、白狐と白兎に導かれて西山に登り、平坦な土地(今の葉山平)と農園(御田代)があったので、そこにお社を建てて祀ったといわれています。(「致芳ふるさとめぐり」より:長井市致芳コミュニティセンター)//


 

 ここで白兎ちゃんは、「白兎」という地名は、高僧を葉山に案内した白兎を崇めてつけられたと語ります。これは私たちが伝え聞いている内容と同じです。このためこの地区ではウサギを食することはもとより、捕獲や飼育もタブー視された時代があったとも聞いています。しかしながら「やまがた地名伝説」では、それとは異なる起源説を紹介しています。その概要は次のようなものです。

 

//永禄9年(1566年)の「鮎貝文書」には、ウサギを尊ぶ話とは逆の話が載っている。当時、周囲の村々を支配した地頭の下に役割分担を果たす多くの「在家」と称する集落があった。その中の「白兎」は、白いウサギを飼育して毛皮を領主に献上する役目の村であったことから白兎の地名が発祥したと記されている。(「やまがた地名伝説」より:山形新聞社 平成15年)//

 

 同書の中で長井市文化財調査会長である竹田市太郎氏(当時)は「これほど史実と伝説が混在した地名も珍しい」との談話を寄せている。ふるさとの昔話が伝えるものは何なのだろうか。妄想の旅(?)が始まった。

爺さんたちの花植え作業

  • 爺さんたちの花植え作業

 6月18日、朝仕事に花植え作業を行いました。マリーゴールドなどの可愛らしい花を、爺さん方が、武骨な手で一つ一つ植えられていきます。エリアには昨年植えたあやめの花が、優雅に咲いていました。今日植えた花々は、どんな装いを見せてくれるでしょうか。お客さんは、こんな可愛い花壇がこんな爺さんたちの手で作られていることなどは、予想だにしない事でしょうねぇ。(笑)

2023.06.19:orada3:コメント(0):[イベント情報]

いなかの白兎(3) 葉山伝説異聞

  • いなかの白兎(3) 葉山伝説異聞

 僧を案内した白兎と白狐が登場し、以後、丁々発止のやり取りが交わされることになる。第2場では僧が羽黒山に向かう「修験者」であること、白兎が「葉山の神様の使い」であることが明らかになる。白狐は奥深い葉山に行くのに小動物(ウサギ)の出番はない」と言い放つ。かく言う白狐は、第6頁で「稲荷の神様に頼まれてきたキツネ」であることを明らかにするのである。

 

 第1場のコメントで「約1400年前頃に、朝日岳は、信仰の山として月読命(つくよみのみこと)と保食命(うけもちのみこと)が祀られていました。」と書きました。月読命は月の満ち欠けによって農作業の時期を伝える神であり、保食命は農作物の豊穣を司る神であり、白兎と白狐はそれぞれ、月読命と保食命の使いとされていたのです。月読命と保食命については改めてお話することにしたいと思います。

 

 さて出羽三山の開基は593年と言われるが、今から1400年前の西暦600年頃は、朝日岳も修験道を中心とした山岳信仰の場として重要な場所であったと思われます。そんな霊験あらたかな場所が、安部貞任・宗任が滅ぼされた前九年の役(1062年)などで荒廃してしまっていた。そこに羽黒山(出羽三山)を目指す僧が通りかかり、金色に輝く如来像を発見するのである。そして2匹の使徒に導かれるようにして葉山の山頂に向かって行った、というのである。


 けれども兎と狐が同時に登場する伝説は、全国的にも珍しいと思われるがどうだろうか。そしてその中で「白兎」が地名として残ったのは何故だろう。そもそも何故この地に砂金でできた如来像があったのだろう。

 とりあえず次回は白狐が言った「肌身離さず抱えている賽銭箱」を調べてみたい。妄想の旅はまだ続く。