HOME > 記事一覧

第8話 日直室のキリスト画 その1(西大塚駅)

  • 第8話 日直室のキリスト画 その1(西大塚駅)

 梨郷駅を出てしばらくすると置賜盆地の北のヘリにあたる山林を右手に、左手には国道113号線が並走し、その先には最上川に架かる幸来橋が見えて来る。昔の街道との踏切を幾つか超えて、最上川に飛び込むように松川橋梁を滑走して行く。眼下には煉瓦積みの橋脚と最上川が見えて来る。ここは長井線の最大の撮影ポイントでもある。

 やがて西大塚駅に到着した。沿線で一番古い大正3年(1914年)建設のこの駅舎は、羽前成田駅と共に平成27(2015年)年に国の登録有形文化財に認定されている。両駅の細部を比較すると、マニアックな楽しみを味わうことができる。特に西大塚駅では車寄せ上部の漆喰意匠と正面に掛けられている木製梯子、そして待合室のベンチの支柱をじっくりと見てもらいたい。さて、見どころ満載の西大塚駅ですが、とても不思議なものがあります。それは宿直室に掲げられているキリストの肖像画です。特別な時以外は見ることができないこの肖像画に隠された物語を紹介しましょう。

 

 昭和12年(1937年)7月、支那事変勃発と同時に、この駅からも毎日のように出征兵士が送られるようになりました。小学校の全校生徒は駅のホームで日の丸の小旗を持ち、兵隊さんを「万歳、万歳」と送るのです。大西洋戦争が激化した昭和18年頃には、鉄道職員の男性も戦争に召集され、女性が国鉄職員として働くことになりました。私が配属された西大塚駅には駅長さんと駅長代理のUさん、一緒に採用されたMさんの4人が働いていました。Uさんは私とMさんの指導係も担当していましたが、私はUさんの優しさに次第に好意を持つようになっていました。

 

 

【おらだの会】 西大塚駅の魅力はこちらがお薦めです。

 → 待合室 ベンチの美脚:おらだの会 (samidare.jp)

第7話 「あっ、ばあちゃんだ」(梨郷駅にて)

  • 第7話 「あっ、ばあちゃんだ」(梨郷駅にて)

 車内アナウンスが次の駅が梨郷駅であると伝えている。梨郷駅は、鉄道娘の「鮎貝りんご」の名前の由来になった駅です。大正2年(1913年)10月26日の長井線開業当初は終着駅でした。当時は島式ホーム1面2線を有していましたが、駅舎側の1線が撤去されて埋め立てられ、現在は入線前の大きなカーブが名残として残っています。現在の駅舎は平成11年(1999年)に、 南陽市が新たにログハウス風の待合所として建て直したものです。それはまるで女の子が花を摘みながら駆けあがってくるような趣がある駅です。

 

 

 幼い頃の私は、おばあちゃんの手を引っ張って、この駅のホームに出かけて列車を見送るのを楽しみにしていたものです。坂を上ってホームに上がると、そこにはいつも爽やかな風が吹いていました。そしてどこまでも続く二本のレールは、私を夢の世界へと誘うようでした。高校に出かける近所のお姉さん達に「バイバーイ」「行ってらっしゃ~い」などと声をかけると、お姉さん方は笑いながら手を振り、顔なじみとなった運転手さんも苦笑いを浮かべていました。

 

 やがて高校生となった私は三年間の汽車通学を終えて、東京の大学に進学し、就職したのでした。年に何度かの帰省の時も、線路跡に植えられた桜並木の奥に、ログハウス風の駅舎が見えて来る瞬間が大好きだった。迎えに来てくれたばあちゃんを見つけて、その胸に飛びつきたい思いが込み上げてきたものだ。その時の思いは、今でもはっきりと蘇って来る。

 

 窓から進行方向を見ていた二歳の娘が叫んだ。「あ、ばあちゃんだ」。ドアが開き、娘はばあちゃんのもとに駆けていく。ばあちゃんとなった母は、腰をかがめて孫を迎えている。東京の人と結婚することを報告した時、「お前が幸せになってくれれば、それで良いのだ。おめでとう。」と言ってくれた母。私ができた唯一の親孝行は、孫の顔を見せてあげられたことだろうか。母と手を繋いで坂を下りていく娘。あれはあの日の私なのだと思った。

 

 

【おらだの会】梨郷駅からの車窓風景もぜひお楽しみください

 → 長井線リポート(24) 不思議に感動できる場所:おらだの会 (samidare.jp)

第6話 落語列車「鶴の恩返し?」(おりはた駅)

  • 第6話 落語列車「鶴の恩返し?」(おりはた駅)

 この地域は古くから養蚕や製糸産業が盛んで、駅から徒歩8分の場所には「鶴の恩返し」の伝説が伝わる鶴布山珍蔵寺がある。珍蔵寺には鶴の羽で織った織物を寺の宝物にしたと伝えられ、梵鐘には鶴の恩返し伝説が描かれている。また地区には、「鶴の恩返し」伝説が書かれた江戸時代の古文書が残されているが、文書で残っているものとしては、日本で最も古いものだという。さて、山形鉄道に落語の得意な車掌さんがおられまして、「落語列車」を楽しんだことがあります。「鶴の恩返し」ならぬ「鶴の恩返し?」の一席をお楽しみください。

 

 昔々のこと、鶴を助けた若者がじぃさまになって、また罠に掛かっている鶴を助けたそうだ。じぃさまは助けた鶴を家に連れ帰り、休ませたそうな。やけに静かなので障子を開けてみると、もぬけの殻で、家財道具一切がなくなっていたけど。じぃさまは鶴だと思っていたげんど、鶴に変装したサギだったそうだ。これに懲りずにじぃさま、また鶴を助け、家に連れて帰ったけど。妙にその鶴が気に掛かったので、障子の隙間から覗いていると、屋根伝いにピョンピョン走って逃げて行ったど。じぃさまは鶴だと思っていたけんど、鶴の皮を被ったトビだったんだど。これが最後だと、じぃさまは、また鶴を助けて家に連れて帰ったんだど。隣りの部屋がやけに騒々しいので、障子を開けて見でみっちど、箪笥や火鉢をドンドン運び出してんなだど。じぃさまは鶴だと思っていたげんど、鶴のマークに憧れていたペリカンだったんだど。

会場は、笑いの渦かと思いましたが、皆さん妙に白けている。これが本当の「シラサギ」だった、なぁ~んちゃって。お後が宜しいようで。

 

 さて山形鉄道の車掌さんは、方言ガイドを始め様々な特技を持っているが、その一人に演劇が好きな車掌さんがいた。彼の夢は列車の中で演劇をやることだった。熊野大社の三羽のうちの一羽が脱走して列車に乗り込んでドタバタ劇を繰り返しながら白兎駅で降りて、葉山の峯に昇るストーリーなんだ、と笑いながら話してくれた。列車は、社員の夢も運んでいたのだろう。彼は若くして旅立たれたが、「演劇列車」の題名だけでも聞いておけばよかったと思う。

 

 

【おらだの会】駅舎は、昨年、地元の方々の手によってリニューアルされました。駅舎の中には子供たちが描いた絵も飾られています。

第5話 サクランボの実る頃(おりはた駅へ)

  • 第5話 サクランボの実る頃(おりはた駅へ)

 宮内駅を出ると線路の両側にサクランボの果樹園が広がり、一家総出で作業している姿を見ることがある。やがて織機川を越えると列車の窓から手が届きそうなほどに、果樹の枝が伸びているおりはた駅に到着する。

 

 サクランボの実る頃は

 お父さんも、お母さんも、爺ちゃんも

 朝早くからサクランボ畑に出かける

 

   家に残っているのはばあちゃんとわたしと弟

 わたしの仕事は弟の子守りだ

 

 いっぷくの時間になると

 ばあちゃんが作ったミソ揚げと

 甘いお菓子を持って畑に出かける

 

 サクランボの甘い香りの下で

 輪になってみんなでいっぷくだ

 今も心に残る家族の風景だ

第4話 「ないしょ話」(宮内駅にて)

  • 第4話 「ないしょ話」(宮内駅にて)

 やがて島式ホームが見えて来た。ウサギの駅長・もっちぃが勤務する宮内駅である。三羽の兎の彫り物を見つけると幸せになるという言い伝えがある熊野大社は、ここから歩いて10分ほどの所にある。ホーム建屋に廃レールが使われていたり、国鉄時代の「指差確認」の看板が残るなど昭和の風情が残る駅舎を眺めながら、駅前広場を散策すると童謡作家結城よしをの代表作「ないしょ話」の句碑が建てられている。

 

  ないしょ  ないしょ

  ないしょの話は  アノネのネ

  ニコニコ  ニッコリ ネ  母ちゃん

  お耳へ こっそり  アノネのネ

  坊やのお願い  聞いてよネ

 

 よしを(本名・芳夫)は大正9年(1920年)宮内町に生まれた。歌人であった両親の影響を受け、詩や文章を書くのが好きな子であった。よしをは5人兄弟の長男であり、家が貧しかったため、母に甘えることを強く自制した子どもだったという。昭和9年に尋常高等小学校を卒業すると、山形市内の本屋に住み込み店員として働いた。この頃から童謡や童話などを書き始め、「ナイショ話」は昭和14年の作品である。

 

 よしをは昭和16年(1944年)に徴兵され、昭和19年1月には南方輸送任務に就いたが、船内でパラチフスが発生し、よしをも罹患した。よしをは小倉の陸軍病院に送られ、両親に看取られながら、24歳の若さで亡くなった。よしをは、制作した童謡を本にしてほしいと両親に頼んだそうである。よしをの最初で最後のお願いだったのかもしれない。亡くなる我が子の枕もとで母は童謡を歌ったという。その歌は「ナイショ話」であったろうか。「臨終の子に童謡を聞かせつつほほ伝う涙妻は拭わず」と父が詠み、母もまた「乳首吸う力さへなし二十五の兵なる吾子よ死に近き子よ」と詠んだという。

 

 こんな片田舎にも時代に翻弄された家族の悲しい物語があるのである。「ないしょ話」の隣に「童謡と昔話のまちかど」と題した碑がある。碑には「この小さな広場で皆さんが少しの間いこい、私たちの街の昔に思いをめぐらしていただくことを願っています。」と刻まれている。町にはそれぞれの歴史があり、私たちに語りかけてくるものがあるはずである。列車から降りて、街を歩いてみて欲しいものだ。

 

※宮内駅の魅力はこちらをご覧ください。

 → 長井線リポート(28) 火の用心と指差確認:おらだの会 (samidare.jp)