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いなかの白兎(1) 葉山伝説異聞

  • いなかの白兎(1) 葉山伝説異聞

 「この駅は無人駅ですよね。この荷物をここに届けていいのかな?」と不安そうな顔をして、宅急便屋さんが駅茶に入ってきた。5月20日(日)、たままた週末の午後で、写真展で開場している時だった。レターパックを開けると、「いなの白兎」と題した手作りの漫画冊子が数冊と次のような手紙が添えられていた。

 

//おらだの会の皆様、何度か羽前成田駅を訪れております驢馬と申します。この度は長井線全通100周年おめでとうございます。さて、何度か長井を旅した際、白兎伝説に興味を持ち、この度伝説を題材にした漫画冊子を作りましたので少しですがお送りいたします。素人のつたない漫画同人誌でありしかも独自に創作したものでお恥ずかしい限りですがお読みいただければ幸いです。//

 

 驢馬さんは成田から白兎にかけての風景を深く愛され、駅ノートにもたくさんの素敵な絵を残してくれている方です。「ふるさとの伝説」には地元小学生が制作した紙芝居「悲しいおせきの話」がありますが、今回、驢馬さんの「葉山伝説異聞~いなかの白兎」が加わります。次回から順次紹介していきますのでお楽しみにしてください。まずは、これまでの驢馬さんに係る記事をご覧いただきながら、伝説への旅の準備をいたしましょう。

 

 → この風景に会いに来ました:おらだの会 (samidare.jp)

 → 散策のすすめ:おらだの会 (samidare.jp)

 

草刈り作業と貸切列車

  • 草刈り作業と貸切列車
  • 草刈り作業と貸切列車

 6月25日、朝6時から線路西側の草刈り作業。駅協力会や成田自治会の皆さんとの共同作業も今年で7年目になるようです。杉の木に絡みついた蔓の刈払いや、アジサイの枝の剪定作業なども行われました。アジサイは、これから見頃を迎えます。どうぞおいでください。

 

 さてお仕事のご褒美は、昨年に引き続いて貸切列車で小さな旅を楽しみます。今年はオカリナでの「歌声列車」や長井線クイズなどで盛り上がりました。沿線各市町の皆さんとご一緒できたことも嬉しかったことです。

 

 

 5年前の貸切列車の様子はこちらから

 →成田縁結び列車で?:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)

 

2023.06.26:orada3:コメント(0):[イベント情報]

もっちぃ、ありがとう!!

  • もっちぃ、ありがとう!!

 6月20日、うさぎ駅長「もっちぃ」が亡くなった。昨年の広田泉さんに続いての訃報に、喪失感は半端ないものがある。もっちぃは2010年8月に宮内駅長に就任。うさぎ駅員として一緒に働いた茶色の兄弟「ぴーたー」と「てん」が亡くなってからも頑張ってくれた。乗降客を癒し、山形鉄道を応援してくれた。

 

 6月23日の地元紙には、「(もっちぃは)みんなのために生きた」との見出しが付けられていた。人々に与えた優しさと山形鉄道に対する貢献は、計り知れないものがあるだろう。2020年にアニメ監督のわたなべひろしさんに制作してもらったぬり絵の原画には、もっちぃと2人の兄弟、助役のカメさんがフラワーライナーを応援している姿が描かれている。きっと、これからも兄弟3人で山形鉄道を応援してくれることだろう。私たちももっちぃに恥ずかしくないようにありたいものだ。

 

 わたなべさんの「ぬり絵」についてはこちらからどうぞ

 → 塗り絵に寄せられた思いは・・・:おらだの会 (samidare.jp)

2023.06.24:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

ありがとう、もっちぃ!

  • ありがとう、もっちぃ!

 もっちぃ駅長の訃報が、今日の地元紙に掲載された。もっちぃは13年間、駅長を勤められましたが、フラワー長井線への貢献は大変大きなものがあったと思う。

 羽前成田駅開業100周年の昨年は、鉄道写真家 広田泉さんが亡くなられ、全通100周年の今年はもっちぃ駅長を失うことになった。二人の恩に報いるためにも、みんなで力を合わせて、フラワー長井線を盛り上げていかなくてはならないと思う。

 

 もっちぃ駅長のご冥福を、会員一同心からお祈り申し上げます。

2023.06.22:orada3:コメント(0):[イベント情報]

いなかの白兎(2) 葉山伝説異聞

  • いなかの白兎(2) 葉山伝説異聞

 驢馬さんの日本昔話『いなのしろうさぎ』がいよいよ始まりました。まずは白兎と白狐、お坊さんの出会いの場面から始まります。漫画昔話の楽しさを損なわない程度に、地元に伝わる言い伝えなどを紹介したいと思います。最初に葉山神社縁起をもとに制作されたという「致芳ふるさとめぐり」の記事をご覧ください。この中に歴史の秘密を紐解く暗号が隠されているのかもしれません。

 

//大昔(約1400年位前)朝日岳は、信仰の山として月読命保食命が祀られていました。ところが、約950年前に安部貞任、宗任と源義家が戦いをはじめ、源氏が安部氏を滅ぼして、朝日岳や葉山にかくれていた人々を追いはらってしまいました。そのため約330年は草深い山となり、道もない荒れ果てた山となったのです。
 ところが、明徳4年(1393年)丹後国(京都の南西)の恵法律師という偉い和尚さんが、羽黒山に詣でるために五十川の四ツ家(現袋稲荷神社付近)まできたときに、紫の雲が森の上にたなびいているのを見て不思議に思い、森の中の池をさがすと、澄んだ水の池に金波がたち、岸には良い匂いの草が生えているので、その池に入ると泥にも染まらず衣もぬれずに一体の仏像が見つかりました。この仏像は、閻浮檀金(えんぶだごん:砂金でできた仏像)の薬師如来でした。この仏像を捧げて、白狐と白兎に導かれて西山に登り、平坦な土地(今の葉山平)と農園(御田代)があったので、そこにお社を建てて祀ったといわれています。(「致芳ふるさとめぐり」より:長井市致芳コミュニティセンター)//


 

 ここで白兎ちゃんは、「白兎」という地名は、高僧を葉山に案内した白兎を崇めてつけられたと語ります。これは私たちが伝え聞いている内容と同じです。このためこの地区ではウサギを食することはもとより、捕獲や飼育もタブー視された時代があったとも聞いています。しかしながら「やまがた地名伝説」では、それとは異なる起源説を紹介しています。その概要は次のようなものです。

 

//永禄9年(1566年)の「鮎貝文書」には、ウサギを尊ぶ話とは逆の話が載っている。当時、周囲の村々を支配した地頭の下に役割分担を果たす多くの「在家」と称する集落があった。その中の「白兎」は、白いウサギを飼育して毛皮を領主に献上する役目の村であったことから白兎の地名が発祥したと記されている。(「やまがた地名伝説」より:山形新聞社 平成15年)//

 

 同書の中で長井市文化財調査会長である竹田市太郎氏(当時)は「これほど史実と伝説が混在した地名も珍しい」との談話を寄せている。ふるさとの昔話が伝えるものは何なのだろうか。妄想の旅(?)が始まった。