成田村伝説 №3.わさやの怪盗(4)
古老からこんな言い伝えを聞いたことがあった。昔(それはいつの頃かわからない。)泥棒が佐々木家の倉をねらって破ろうとした。倉のわさやに隠れて人の寝静まるのを待った。それに道端なので人通りが途絶えるのを待たなければならない。なかなか人通りが絶えず、とうとう第一夜は何も仕事は出来ずにしまった。泥棒は次の晩に、今晩こそはと思ったが、その晩もとうとう駄目だった。こうして、とうとう7晩経ってしまって、泥棒も諦めて引き上げることにした。それにしてもこんな田舎で真夜中までも人通りが絶えないというのは不思議だと思ったという。
【写真:佐々木家建物配置図(致芳史談会編「御本陳(陣)記録」63貢より)】
ようやく怪盗の登場です。怪盗が潜んでいたのは、内蔵だったのでしょうか。また配置図で注目したいのが右下の明治7年に建てられたという製糸館です。芳文「郷土に光を掲げた人々(第1回)」によれば、第10代宇右衛門(市助)が佐野理八(二本松製糸会社創建・佐野シルク)を招いて改良に乗り出し、動力は水車で44釜の規模であったという。そして明治9年6月9日、大久保利通内務卿がこの製糸工場を視察し、佐々木家に宿泊。翌日、宇右衛門、菅原白竜が同行し最上川を下ったという。
成田村伝説 №3.わさやの怪盗(5)
泥棒が帰りしなに佐々木家に立ち寄って言うことには、「私はこちら様の土蔵を破ろうとした泥棒です。わさやの上に7晩泊って狙ったが、人通りが絶えなくて破ることが出来なくて諦めて今帰るところです。この後も私のような不心得者が居らないとも限りませんから、倉のわさやは人が隠れられないように改築したら如何でしょう。私は二度と再びこの地には来る気もありませんので、7日間御厄介になったお礼に申し上げておきます。」泥棒はそのまま何処ともなく立ち去った。佐々木家ではこの泥棒の話を誰が聞いたかわからないが、すぐにこの蔵のわさやを泥棒の忠告通りに造り替えたという。
当地の蔵のわさやは大抵天床壁の上、屋根まで2尺5寸か3尺くらい間があり、人間は何人でも隠れ住むことができる。この佐々木家の内蔵は天床壁から直で屋根になっていて、猫も上がれないようになっていたというのである。
【写真:白浪5人男】この盗人は爽やかで、歌舞伎の一場面を見るようである。怪盗というよりは快盗が適当だったかもしれない。快盗の見えに佐々木家では「あいや待たれや盗人殿。袖すり合うも何かの縁。旅のよすがに栗の一枝を持っていかれよ。」と言ったとか。
777の贈り物
3月21日
この度おらだの会の皆さんには本当にお世話になりました。本当にありがとうございました。長井線の歴史は本当に、長く後世に伝えて行くべき存在であると、調べれば調べるほど実感いたします。ブログを見ても駅周辺を見ても、おらだの会の皆様が本当に長井線そして成田駅を愛しているのだと感じられます。私も沿線住民の者ですので、何かこういった活動が出来れば良いのですが・・・。
この度は本当にありがとうございました。贈り物といっては大変おこがましいのですが、私が持っているより皆様の方が大切に保管してくださると、ブログを見て感じ、持って来た物がございます。切符番号が「0777」スリーセブンの切符です。長井線の運転手さんからのご厚意で、昔頂戴したものです。よろしければもらっていただければ幸いです。ノートの最後に挟みました。これからも頑張ってください。赤湯から陰ながら応援しています。乱文、乱筆失礼いたしました。ご健勝とご多幸をお祈りいたします。 (ライシン)
【おらだの会】ライシンさんは、長井線を走っていた機関車を調べておられた方です。おらだの会2のブログ(長井線ヒストリア)をご覧になり、大事にされていた777の切符を提供してくれたものです。おらだの会では有難く頂戴し、成田縁に奉納させていただきます。ライシンさん、成田駅においでの際はぜひご覧になってください。(今の世の中、こんな素敵な出会いがあるのですね。)







