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成田村伝説 №3.わさやの怪盗(3)

  • 成田村伝説 №3.わさやの怪盗(3)

 この7軒のうち金持ちの筆頭は何と言っても佐々木家であった。佐々木家の先祖は近江の国の大名の時代から新発田を経て大判小判を背負って来たと言われ、ここに土着した時から既に大金持ちと言われた。

 その頃、金を貸していた宮、小出の人達を毎年秋の「えびす講」に招待した。そして一番多く貸しているお得意様を正座に据えていたが、それはいつも宮の長沼惣右衛門だったという。その頃惣右衛門は大きな太物屋で年千両の利息を上げていたということである。利息が千両というと、少なくとも一万両の金を常時貸していたことになる。今の米価に換算すると7億円という大金になる。それは惣右衛門一人に対する貸金であって、招待した一座の人達に貸した貸金の合計はどんなになったろうか。目の回るような話である。もっともこうした多額の金貸しは佐々木家だけであって、他家はそれほどではなかった。

 

【写真:「佐々木家ご本陣見取り図」(致芳史談会編「御本陳(陣)記録」39貢より)】

 長井市史(第二巻近世編 743貢)によれば、佐々木家は民家としては唯一、藩主上杉家の本陣(大名の宿泊所として指定された家)に定められていたという。「ふるさとめぐり致芳(致芳地区文化振興会編)」には「藩主が14回立ち寄られ、そのうち8回お泊りになったと御本陣記録に残っています」とある。

頑張れフラワー長井線

  • 頑張れフラワー長井線
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新年度事業のスタートは、雪囲いの撤去と冬の間に飛んで来た杉っ葉の除去作業。それが終わると広場にある桜の木に銘板を立てます。コロナ騒動で、長井線の乗客も少なくなっているようですが、運転手さんに手を振ると、笑顔を返してくれました。頑張ろう日本、頑張れフラワー長井線。
2020.04.05:orada3:コメント(0):[イベント情報]

成田村伝説 №3.わさやの怪盗(4)

  • 成田村伝説 №3.わさやの怪盗(4)

 古老からこんな言い伝えを聞いたことがあった。昔(それはいつの頃かわからない。)泥棒が佐々木家の倉をねらって破ろうとした。倉のわさやに隠れて人の寝静まるのを待った。それに道端なので人通りが途絶えるのを待たなければならない。なかなか人通りが絶えず、とうとう第一夜は何も仕事は出来ずにしまった。泥棒は次の晩に、今晩こそはと思ったが、その晩もとうとう駄目だった。こうして、とうとう7晩経ってしまって、泥棒も諦めて引き上げることにした。それにしてもこんな田舎で真夜中までも人通りが絶えないというのは不思議だと思ったという。

 

【写真:佐々木家建物配置図(致芳史談会編「御本陳(陣)記録」63貢より)】

 ようやく怪盗の登場です。怪盗が潜んでいたのは、内蔵だったのでしょうか。また配置図で注目したいのが右下の明治7年に建てられたという製糸館です。芳文「郷土に光を掲げた人々(第1回)」によれば、第10代宇右衛門(市助)が佐野理八(二本松製糸会社創建・佐野シルク)を招いて改良に乗り出し、動力は水車で44釜の規模であったという。そして明治9年6月9日、大久保利通内務卿がこの製糸工場を視察し、佐々木家に宿泊。翌日、宇右衛門、菅原白竜が同行し最上川を下ったという。

 

コロナの春 沈黙の春

  • コロナの春 沈黙の春
  • コロナの春 沈黙の春

昨日そして今日、山形県内でもコロナ感染者が発表されました。いつもの年であれば、長かった冬から解放され心浮き立つ季節なのに、今年の春は沈黙の春。それでも十月桜は白く小さな花びらをまとい、線路沿いの水仙は鮮やかな色を発色していた。コロナの春にあっても、春の喜びや新年度への夢や希望を大切にしていきたいものだ。

2020.04.01:orada3:コメント(0):[停車場風景]

成田村伝説 №3.わさやの怪盗(5)

  • 成田村伝説 №3.わさやの怪盗(5)

 泥棒が帰りしなに佐々木家に立ち寄って言うことには、「私はこちら様の土蔵を破ろうとした泥棒です。わさやの上に7晩泊って狙ったが、人通りが絶えなくて破ることが出来なくて諦めて今帰るところです。この後も私のような不心得者が居らないとも限りませんから、倉のわさやは人が隠れられないように改築したら如何でしょう。私は二度と再びこの地には来る気もありませんので、7日間御厄介になったお礼に申し上げておきます。」泥棒はそのまま何処ともなく立ち去った。佐々木家ではこの泥棒の話を誰が聞いたかわからないが、すぐにこの蔵のわさやを泥棒の忠告通りに造り替えたという。

 当地の蔵のわさやは大抵天床壁の上、屋根まで2尺5寸か3尺くらい間があり、人間は何人でも隠れ住むことができる。この佐々木家の内蔵は天床壁から直で屋根になっていて、猫も上がれないようになっていたというのである。

 

 

【写真:白浪5人男】この盗人は爽やかで、歌舞伎の一場面を見るようである。怪盗というよりは快盗が適当だったかもしれない。快盗の見えに佐々木家では「あいや待たれや盗人殿。袖すり合うも何かの縁。旅のよすがに栗の一枝を持っていかれよ。」と言ったとか。