1月24日
鉄印もらいにJRの週末パスで岐阜から来ました。レトロの駅舎二つ見て来ました。今からもっちぃと会えるかな。長井駅の旅行センターのおばちゃん、名前忘れましたが愛想よくてとてもいい気持でした。気軽に話せました。また来ます、必ず。それじゃあばよ。
雪たくさんあってうれC。電車の本数増やしてください。 (かず)
【おらだの会】旅行センターのおばちゃんに伝えておきますね。また来てください。
最近は、羽前成田駅も成田空港のように国際的になって来たようで、停車場ノートにも外国語で書かれることが出て来ました。辞書を片手に、おらだの言語で訳してみました。間違いがあればお許しください。なお、内容に問題がないものと判断して、原文の写真を掲載させていただきました。ご了承ください。
1月22日
あなたは私の太陽です。太陽のような引力を持っています。
どうぞ毎日、あなたのそばに引き寄せてください。
けれどもその太陽は、触れようとする者すべてをダメにするのだ。
これは世の中の大人たちがよく言うことのようですが。
(けれども私は・・・・・。)
事務室の机に硬券ホルダーが何本か残っていました。当初は「硬券ホルダー」という名前も知らずに、その仕掛けを知りたくて、長井駅に行って入場券を何枚も購入しながら、硬券箱を覗き込んだものでした。その後、段ボールに割り箸をセットして硬券箱モドキを作りました。今から思えば、子供が新聞紙で●●ソードを作って喜んでいるようなものです。
そして、長井線を超愛する友人が、「ネットで購入した。」と持って来てくれたのが写真の硬券箱です。昭和19年当時の写真に写っている大きな硬券箱とは比べようがないですが、その構造が理解できるのがうれしい。彼からの指示は「硬券は裏にして番号を下に置くこと」「当日の最後の硬券には朱の色鉛筆で線を引いておくこと」。鉄っちゃんへの道はなかなか奥深いものがありますね。
昭和19年当時の事務室の様子はこちら
⇒ http://samidare.jp/orada/note?p=log&lid=386233
「よごさぬように美しく」と書かれたホーロー製の看板。「そこら中で見かけるようなこの看板が宝物?」と思われる方も多いかと思いますが、モノにはすべて物語があるものです。
この看板にある「日本観光協会」は、昭和34年3月の日本観光協会法によって設立された特殊法人。国際観光事業の振興と観光事業の健全な発達に寄与することを目的として設立されたものですが、昭和39年4月の同法改正によって(社)日本観光協会に改組されています。
国土美化運動については、昭和39年度運輸白書には、「観光資源の保護の一態様として・・・(略)…国土美化の問題がある。古くは昭和10年頃鉄道省の外局である国際観光局の提唱により、また戦後には(社)全日本観光連盟、旧日本観光協会、(財)新生活運動協会(注:現在の「あしたの日本を創る協会」)、地方公共団体等により国土美化運動が推進されてきた。なお、国土の美化については昭和37年4月には衆議院本会議で国土を美しくする決議がなされた」とあります。
とすると、この看板は昭和34年から39年4月までの間に、全国的な運動の一環として掲示されたのではないかと思われます。この時期は、昭和38年に観光基本法が制定され、翌39年10月には東京オリンピックが開催。国全体が行け行けドンドンの熱気の中にあったと思われます。こうした時期に、「よごさぬように美しく」を国民運動として進めていたことに驚かされます。私たちはコロナ禍の中でも、観光客誘致や2020東京オリ・パラの夢を追いかけていますが、忘れてはならないものがあることをこの看板が教えているような気がします。