「大正、昭和、平成と、時をつないできた駅舎は、令和の今に多くの人をなごませる」
素敵なメッセージを添えて、心をなごませる水彩画を残していってくれました。JRwH24さんは2019年8月にも成田駅においでになったようです。もしかすると、他の駅にも描かれているんじゃないだろうか。他の駅の絵を見てみたいし、機会があればお顔を拝見したいものです。
2019年の絵はこちらからどうぞ。
→ http://samidare.jp/orada2/note?p=log&lid=474924
「大正、昭和、平成と、時をつないできた駅舎は、令和の今に多くの人をなごませる」
素敵なメッセージを添えて、心をなごませる水彩画を残していってくれました。JRwH24さんは2019年8月にも成田駅においでになったようです。もしかすると、他の駅にも描かれているんじゃないだろうか。他の駅の絵を見てみたいし、機会があればお顔を拝見したいものです。
2019年の絵はこちらからどうぞ。
→ http://samidare.jp/orada2/note?p=log&lid=474924
山形鉄道の社員の方から、「国鉄時代の長井線は今の3番線にあって、今長井線が使っている4番線は貨物列車が利用していた。」と教えられた。これを聞いて、「島式ホームが2本あるのに、長井線のホームは5番線でなく何故4番線なのか」と不思議に思った。改めて眺めてみると、島式ホームの1本の線路が撤去されていたのだ。
さらに知人は「赤湯駅にも転車台があった。」「3番線は、一日1本だけ列車が入線している。レールの錆抑止のためだろう。」「長井線のゼロキロ標はなくて、4番ホームにペンキ描きされている。」など、興味のあることをたて続けに教えてくれた。確かに長井線のホームの奥には車止めがあり、その付近のホームにペンキで「0」と書かれていた。これがゼロキロ標なのであろう。
赤湯駅のホームにも歴史の記憶が顔をのぞかせていた。それらは、赤湯駅も多くの苦難を乗り越えて来たことを示しているように思う。フラワー長井線も同じだが、その苦難は今もそしてこれからも続いて行くのだろう。
【おらだの会】長井線のゼロキロ標は、駅舎を出て駐車場側からご確認ください。
4月27日
今年は例年になく桜の開花が早く、毎年楽しみにしております。中でも緑の桜が好きです。色の変化、毎年見てますが変化があり、その年々によって違いがありますね。周囲をいつもきれいにしていただき感謝申し上げます。
5月2日
列車で来ました。山形鉄道全駅訪問中です。雰囲気に圧倒されました。あの運賃表はいつの時代のものなんだろう。
【おらだの会】
・運賃表は昭和57年4月のもの。「成田駅の宝物」で紹介していますのでこちらをご覧ください。
→ http://samidare.jp/orada3/note?p=log&lid=496078
・写真は遠藤博「満開を映して」「終わりの春」~長井線を応援する地元写真家7人展Ⅱより