1月22日
英語に続いては中国語での2件のメッセージです。写真の要幸福■には、「みんな幸せにしてください」とのコメントが添えられていました。もう1件は、次の詩です。
凛冬散尽 星河長明
「凛とした冬が辺り一面に広がる 天の川が輝きを増して伸びている」といった情景を詠んだものなのでしょうか。
【おらだの会】羽前成田駅でロケを行った中国のテレビドラマ「十年三月三十日」も昨年日本で放送されたので、少しは中国語も覚えないといけないだろうか。熱(ル)烈(リエ)歓(ファン)迎(イン)熱烈歓迎!!
最近は、羽前成田駅も成田空港のように国際的になって来たようで、停車場ノートにも外国語で書かれることが出て来ました。辞書を片手に、おらだの言語で訳してみました。間違いがあればお許しください。なお、内容に問題がないものと判断して、原文の写真を掲載させていただきました。ご了承ください。
1月22日
あなたは私の太陽です。太陽のような引力を持っています。
どうぞ毎日、あなたのそばに引き寄せてください。
けれどもその太陽は、触れようとする者すべてをダメにするのだ。
これは世の中の大人たちがよく言うことのようですが。
(けれども私は・・・・・。)
事務室の机に硬券ホルダーが何本か残っていました。当初は「硬券ホルダー」という名前も知らずに、その仕掛けを知りたくて、長井駅に行って入場券を何枚も購入しながら、硬券箱を覗き込んだものでした。その後、段ボールに割り箸をセットして硬券箱モドキを作りました。今から思えば、子供が新聞紙で●●ソードを作って喜んでいるようなものです。
そして、長井線を超愛する友人が、「ネットで購入した。」と持って来てくれたのが写真の硬券箱です。昭和19年当時の写真に写っている大きな硬券箱とは比べようがないですが、その構造が理解できるのがうれしい。彼からの指示は「硬券は裏にして番号を下に置くこと」「当日の最後の硬券には朱の色鉛筆で線を引いておくこと」。鉄っちゃんへの道はなかなか奥深いものがありますね。
昭和19年当時の事務室の様子はこちら
⇒ http://samidare.jp/orada/note?p=log&lid=386233
「よごさぬように美しく」と書かれたホーロー製の看板。「そこら中で見かけるようなこの看板が宝物?」と思われる方も多いかと思いますが、モノにはすべて物語があるものです。
この看板にある「日本観光協会」は、昭和34年3月の日本観光協会法によって設立された特殊法人。国際観光事業の振興と観光事業の健全な発達に寄与することを目的として設立されたものですが、昭和39年4月の同法改正によって(社)日本観光協会に改組されています。
国土美化運動については、昭和39年度運輸白書には、「観光資源の保護の一態様として・・・(略)…国土美化の問題がある。古くは昭和10年頃鉄道省の外局である国際観光局の提唱により、また戦後には(社)全日本観光連盟、旧日本観光協会、(財)新生活運動協会(注:現在の「あしたの日本を創る協会」)、地方公共団体等により国土美化運動が推進されてきた。なお、国土の美化については昭和37年4月には衆議院本会議で国土を美しくする決議がなされた」とあります。
とすると、この看板は昭和34年から39年4月までの間に、全国的な運動の一環として掲示されたのではないかと思われます。この時期は、昭和38年に観光基本法が制定され、翌39年10月には東京オリンピックが開催。国全体が行け行けドンドンの熱気の中にあったと思われます。こうした時期に、「よごさぬように美しく」を国民運動として進めていたことに驚かされます。私たちはコロナ禍の中でも、観光客誘致や2020東京オリ・パラの夢を追いかけていますが、忘れてはならないものがあることをこの看板が教えているような気がします。
羽前成田駅には以下の7名の駅長札が残されています。ネットオークションに「木製駅長札33枚セット」と出されていますので、駅長札は公的に制作されていたものと思われます。
初 代 小檜山仲三郎 大正11.12,11~大正13.11.25
第 3代 中島 栄二 昭和 3. 3.25~昭和11. 3.20
第 4代 斎藤 伊兵衛 昭和11. 3.20~昭和14. 5.11
第 6代 髙山 季之助 昭和16. 3.11~昭和20.10.18
第 8代 髙橋 寅吉 昭和25. 3.31~昭和30. 3. 5
第 9代 近藤 稔 昭和30. 3. 5~昭和34. 2.20
第10代 大田 次雄
初代の小檜山駅長は、羽前成田駅開業の賑わいの中で一番列車を迎えたことでしょう。第3代の中島駅長時代の昭和5年10月1日には、側面乗降式客車(マッチ箱)から本線並みのボギー車が運転開始されました。第 8代髙橋駅長在任の昭和29年11月15日には、旅客列車が気動車に代わりました。
そして現存する最後の第10代駅長の任期が記載されていないことが気になります。昭和34年6月1日に西宮内駅、昭和35年5月20日には南長井駅が開設されますが、昭和36年6月10日には梨郷、西大塚、時庭、羽前成田、蚕桑、鮎貝駅で貨物の取扱いが廃止され、昭和39年4月1日には羽前成田、蚕桑が業務委託駅化されます。いわば、絶頂期から衰退へと転換する時期にあたります。
成田駅に残った7枚の駅長札からも、時代の変化の中で、鉄道に関わった人たちの顔が見えて来るようです。羽前成田駅の古い写真を改めて整理しながら、伝える機会があればと思っています。羽前成田駅の歴代駅長などについて資料等お持ちでしたご連絡いただけると幸いです。