ラス前の最後に、気になっている箇所をもう一つ。それはホーム側の雨戸の敷居跡です。両駅共に、ホーム側に雨戸あるいは木戸を建てて風雨を防いでいたようです。けれども西大塚駅には中間に鴨居があって、木戸がそのまま打ち付けられています。成田駅にはビニールトタンで囲っていた写真が残っていますが、鴨居らしきものがあったようには見えません。西大塚駅で打ち付けられている木戸は、古民家の重厚なふすま戸のようで、風雪に立ち向かった当時の人たちの力強い姿が見えてくるようです。ホームに出たら、ちょこっと上を眺めてみてください。
メモリアルオブジェ ベンチと木製はしご
このシリーズもいよいよラストに近づいてきました。ラス前に、今も両駅に残っている貴重なモノを紹介しましょう。羽前成田駅のベンチと西大塚駅の木製はしごがそれです。この写真はいづれも、1986年(昭和61年)9月5日に撮影されたものですから、34年の間、この場所に鎮座していたことになります。同日に、長井線の全駅を撮影していますので、第3セクター移行に係る準備作業であったことも考えられます。ちょっと一服して、木造駅舎の生き証人・メモリアルオブジェを眺めてみてはいかがでしょうか。
長井線各駅の当時の写真はこちらからご覧になれます。
「山形鉄道駅舎今昔物語」⇒ https://flower-liner.jp/yamatetsu_history/
小屋根の持ち送り
羽前成田駅と西大塚駅には、小さな屋根が幾つか付けられています。その中でも、西大塚駅の待合室西側に付いている小屋根は、とても興味深いものです。第一に、これで十分に雪雨除けになるのかと思われるほどに、屋根の幅が狭いことです。第二は、屋根を支える持ち送りの形状にあります。この形状は、「待合室 ベンチの美脚」で紹介したものに類似しています。西大塚駅は西風が特に強いと思われますが、このいかにもか弱い小屋根は100年の風雪に耐えてきたのでしょうか。
鬼滅のSLは96の前任車
11月15日の地元紙に、山形市にある8600型の機関車が鬼滅の刃の無限列車のモデルであることが紹介されていました。この86型はキュウロクとして馴染み深い96型機関車の前任車として、米坂線を走っていたことが書かれていました。
飯豊町の「中ノ目の歴史散歩(平成27年3月発刊)」によれば、米坂東線(今泉~手ノ子間)開業の1931年(昭和6年)8月には、マッチ箱と呼ばれる豆機関車が走り、その後86型SLに変わった。さらに1936年(昭和11年)米坂線全通後は、96型SL機関車に変わったと記述されています。
米坂線に登場した豆機関車は600型だったのでしょうか。そして米坂線を走った86型は長井線も走ったのでしょうか。新聞記事のおかげで、歴史ロマンに遊ぶひと時でした。
長井線を走った600型機関車の記事はこちら
破風板の刻印
破風板(はふいた)は屋根の切妻部分(雨樋が付いていない屋根の端)の板です。羽前成田駅では、この破風板に四角形の意匠が施されています。長年風雪にさらされて、今にも消えてしまいそうな刻印のような彫り物がそれです。破風板に2つ並んだ四角形。それは駅舎全体の四隅にもあたります。単なる「粋」にとどまらない、鎮火や堅固など何がしかの意味が込められているように思えます。