第5回鈴木亮写真展「週末写真館 ~ 山形景観物語」も、今日から9日(日)までの3日間の会期となりました。県内60カ所のビューポイントのうちの13ヵ所の写真が展示されています。身近な所にも魅力的な場所がたくさんあるものです。なおコロナの感染予防のため、マスク着用等にご協力のうえご来場ください。
週末写真館 7日(金)~9日(日) 午後1時半~4時まで
西大塚駅から一緒だった乗り鉄風の二人が、待合室で缶ビールを飲みながら談笑していた。長井線での待ち時間の過ごし方には、こんな風に飲食しながら談笑できる場所が必要だな、などと思いながら駅舎を出た。
駅の正面に2基のモニュメントがある。正面の立派な石碑は、平成14年のもので童謡「ないしょ話」の作者 結城よしを紹介するものである。写真はないが、その隣には「童謡(うた)と昔話(かたり)のまちかど」と題した平成20年8月3日制作の石碑がある。ホーム側には平成10年制作の「童謡のふるさと宮内」と書かれた看板があったが、この看板がその後の商店街運動のスタートになったのではないかと思われる。
長井線で市街地と連坦する駅は少ない。ローカル線を交流の基軸にしようとすると、列車から降りた人にどのような時間を過ごしてもらうのか。駅から街に誘引するにはどうすれば良いのか。さらに地元の人に駅に来てもらうにはどうすればよいのか、などの課題がある。宮内駅はそんな取り組みを重ねて来たようで、学ぶことがたくさんあると思う。
「童謡と昔話のまちかど」の碑には、「この小さな広場で皆さんが少しの間いこい、私たちの街の昔に思いをめぐらしていただくことを願っています」と刻まれていた。
駅舎の窓には2枚の看板が掲げられている。「もっちぃようこそ」「もっちぃ列車デビュー」などと書かれており、平成22年(2010年)11月20日の日付がある。もっちぃが宮内駅長に着任したのが平成22年の8月。もっちぃがラッピングされたもっちぃ列車が登場したのが11月20日である。この看板は、もっちぃ列車の登場を祝って制作されたもののようである。
そしてひかり号の遊具が置かれている。もっちぃ駅長に会いに来てくれた子どもたちに遊んでもらおうと準備したのだろうか。昭和39年(1964年)の東京オリンピックの年に開通したのが東海道新幹線。戦後からの脱却と高度経済成長の象徴であったひかり号を、令和の東京オリンピックの年に見ることができるのも、不思議な思いがする。
昨年はもっちぃ駅長就任10周年だった。フラワー長井線にとってもっちぃ駅長の貢献は大きなものがある。色あせた看板も動かない新幹線の遊具も、この駅で何かを創ろうとした人がいたことの証であり、駅舎に残されたメッセージのようにも思われる。
羽前成田駅前は、桜に続いて椿が満開です。北側の広場は、平成7年に当時の地元の先輩方が遊具などを整備してくれたものです。広場の中央に立っていたモミジにちなんで「モミジ広場」と名付けられ、子供たちにとって絶好の遊び場となっていました。
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けれどもモミジの樹は枯れてしまい、寂しい想いを抱いていましたが、高橋鯉屋さんが椿の樹を移植してくれたのです。桜も椿も、駅前の樹木は高橋鯉屋さんに育てられたものばかり。シンボル樹は変わっても、地域を想う気持ちは変わらないような気がします。
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移植作業の様子はこちら
ようやくもっちぃ駅長が待つ宮内駅に到着した。ここのホームの屋根の柱はレールを利用しているので、運が良ければ製造年などの銘板を見つけることができるかもしれない。さて列車を降りて目に入って来たのが、「指差確認」の看板と「火の用心」と書かれた赤い煙突。赤い煙突は消防ポンプ庫の上に出ているもののようであるが、なぜこのように高い煙突が必要なのかは不明である。消防ホースを乾かすためのものであろうか。
そして指差確認の看板。線路を横断する場所に掲げられているものである。いかにも年季が入っていて、国鉄時代の物かと思われる。山形鉄道の方に入社の動機を聞いた時に、「鉄道員の所作がかっこよかったんだ。」と指差確認の動作をしながら語ってくれたものである。指差確認が鉄道員の行動の基本なのであろう。そう思ってみると、この看板が廃棄もされずに(そのまま)残されているのは大いに納得できることだ。
(消防団も鉄道員も所作がカッコ良くて、今も子供たちに人気の職業である。)
フルイモノヲ キタナイトカ クサイトカ バカニスルンジャネーゾ
ソコニアルノニハ フカーイ イミガ アンナダベ
オランダ トショリモ イミガアル カモシンネーゾ