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長井線リポート(21) 西大塚駅は東京駅と同い年

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 列車は西大塚駅に到着した。今泉駅以来、駅名看板に目が行くようになったが、西大塚駅はホーロー看板と通常の山鉄看板の両方が掲示されている。駅舎内のナスの「ようこそ西大塚駅」の看板もユニークだ。

 この駅は、大正3年(1914年)に開業したが、東京駅の竣工も同じ年である。日直室にはキリストの肖像画が飾られているなど歴史秘話もありそうな駅である。羽前成田駅と同じ平成27年(2015年)に登録有形文化財に認定されている。ホームの石垣も登録対象になっていて、駅舎を線路越しに撮影できるのはこの駅のポイントになっている。線路越しの姿をイメージしながら駅舎を眺めて欲しいものだ。

 羽前成田駅と西大塚駅の面白比較(駅舎探検)はこちらからご覧ください

  ⇒ http://samidare.jp/orada3/note?p=list&c=422504

 

【写真提供:歌丸の人さん 「春分の暁注ぐ停車場」 】

2021.04.02:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

明日から4月

  • 明日から4月
  • 明日から4月

 黄砂の影響で、どんよりとした空模様が続いていますが、ホーム北側の十月桜とスイセンも咲き始めました。明日は4月1日、新年度のスタートです。おらだの会では4月4日の朝に、雪囲いの撤去作業を行い、新年度の事業を開始します。

 

 羽前成田駅は来年の12月に開業100周年を迎えます。今年は、その準備期間ともいえます。山形県もコロナ感染者が多数発生しており、昨年以上に静かな春になりそうですが、楽しく少しづつ前進していきたいと思っています。新年度も宜しくお願い致します。

2021.03.31:orada3:コメント(0):[停車場風景]

長井線リポート(20) 「街道」のある風景

  • 長井線リポート(20) 「街道」のある風景
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 見所満載の今泉駅を出てすぐに転車台跡があるのだが、列車の中からは確認することが出来ない。残念、と思っていたらJRの線路側に「35 越後街道」の看板が見えた。今どき、「街道」という名称が使われていることに驚いたが、そう言えば〇〇街道踏切と表示されている踏切注意柵があったことを思い出した。

 後日、「35 越後街道」の意味を確かめるべく自動車で向かうと、やはり踏切を表示する看板のようである。(ただし注意柵のキロ数は22k689m、奥の計器ボックスの表示は22k693mとなっているのが気になるが。)

 

 山形鉄道に教えてもらったところ山形鉄道の踏切の数は56箇所で、そのうち越後街道や長井街道のように街道名がついている踏切は16箇所。他には伊佐沢街道、東伊佐沢街道、小松街道、越後街道、時庭街道、萩生街道、南台街道、手ノ子街道、平山街道、西舘街道があるそうだ。

 「街道を行く」ではないが、街道という名称は、古くからの人々の行きかう様が見えてくるようで、何とも趣きを感じるものである。そこに立つ踏切は、時空移動の入り口のようだ。

 

2021.03.29:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(19)  面白景色の宝石箱 in 今泉

  • 長井線リポート(19)  面白景色の宝石箱 in 今泉
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 ホームの柱に何やら意味ありげに雪が集められている。題して「寄らば柱の陰」。これがバンクシーの作品であれば一山1億ぐらいはするであろうか。実は、ホームの雪は、一旦柱付近に集められ、除雪車が出動する際に線路に落として処理をするのだそうです。

 

 今泉駅にはいろいろな珍百景が隠れている。国鉄風の「赤湯方面のりば」の看板とホーロー看板に山鉄の三本ラインの入った「いまいずみ」の駅名板が、一本の柱に貼ってある。JRにあってYRにない「待合室」。JRの柱はスチール製でYRは木製。JRの屋根の上には何やら不思議な金具があり、YRの屋根には西大塚駅にあったトンボが見える。

 

 まさに乗ってみなけりゃわからない、降りてみなけりゃわからない。「今泉駅は、面白景色の宝石箱や~!」

2021.03.27:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]

長井線リポート(18) ザ昭和 in 今泉駅

  • 長井線リポート(18) ザ昭和  in  今泉駅
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 今泉駅に到着しました。ここでの待ち時間を利用して、ホームで写真を撮る姿が見られる。鉄道小説家 宮脇俊三が、昭和20年8月15日の玉音放送を駅前の広場で聞いた駅としても有名である。また飯豊町の資料によると、このホームで牛めし弁当(すき焼き弁当)を売っていたが、昭和18年頃の戦時下で姿を消したという。今泉駅は、国鉄時代から米坂線と長井線の交差点として、様々な歴史を重ねてきた駅です。

 

 さて、ここで問題です。 「JRにはなくてYRにあるのもな~んだ」

 答えは「国鉄時代の看板」

 

 山形鉄道側のホームには国鉄時代のホーロー看板が残っています。駅銘板と共に「赤湯方面のりば」という乗り場案内板もあります。今泉駅には、今も「昭和」が隠れていました。

 

【参考資料】 宮脇俊三「時刻表昭和史(増補版)」、中ノ目歴史散歩(平成27年3月 中ノ目の歴史を辿る会発行)

2021.03.25:orada3:コメント(0):[長井線乗車リポート]