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驢馬さんのお散歩風景

  • 驢馬さんのお散歩風景

 先月開催した駅ノートイラスト展は、多方面から反響がありました。羽前成田駅のノートには、その後もノート画家の方がおいでになり、見事な作品を残していってくださいます。その作品をそのままにしておくのはもったいないので、イラスト館を開設することにしました。第1回は驢馬さんの作品です。

 

 驢馬さんの展示会時の作品は白兎駅でしたが、今回は白兎駅から羽前成田駅に続く農道が舞台です。黄金色に輝く稲穂と西に連なる葉山連峰の景色は、私たちにとっても故郷を象徴する景色です。驢馬さんはその風景を「心がときめく」と表現してくれています。驢馬さんはその後、成田駅界隈を探検されたようですが、それは次回紹介します。お楽しみに。

2021.09.17:orada3:コメント(0):[駅ノートイラスト館]

待合室の表彰状

  • 待合室の表彰状

 ホームに抜ける改札口の上部に、一枚の表彰状が掛けられている。山形鉄道が、山新3P賞平和賞を受賞したときのものである。山新3P賞は、 地域社会の「平和」(ピース)と「繁栄」(プロスペリティー)、そして「進歩」(プログレス)に功績のあった個人、 団体、企業を顕彰しようと山形新聞社・山形放送 が提唱し、1958年に制定されたものです。

 

 平成2年に受賞した賞状のコピーが、なぜここに掲示されているのだろう。山形鉄道が地元の方への感謝を込めて、各駅に掲示したのかもしれない。あるいは成田駅協力会の皆さんが、受賞を祝してコピーを掲示させてもらったのかもしれない。

 どちらにしても受賞したこと以上に、ここに掲示されていることに感動を覚えるのである。

2021.09.15:orada3:コメント(0):[停車場風景]

風鈴がすばらしい!

  • 風鈴がすばらしい!

8月29日

 風鈴がすばらしい。雰囲気 GООD!

 

9月4日

 自動車と車両の接触事故によって羽前成田駅に来られなかったので、今日リベンジして来ました。風鈴と虫たちの音色とこの駅舎の雰囲気で心がやすらぎました。

 

 

【おらだの会】9月に入って稲穂も色づいてきました。風鈴もそろそろお役御免となりそうです。

2021.09.13:orada3:コメント(0):[停車場ノート]

魚箱のプランター

  • 魚箱のプランター
  • 魚箱のプランター

 今行われている「駅舎と96(きゅうろく)展」で、昭和30年から山形鉄道が開業した昭和64年までの駅舎の写真が展示されている。上の写真は1986年(昭和61年)9月に撮影されたものである。大きな駅名板と破損した屋根瓦、そして真新しいサッシ窓が印象的である。

 

 しかしそれ以上に注目して欲しいのが、正面入り口に並べられたプランターである。私たちの先輩達は、発泡スチロールを魚屋などから貰ってきて、ペンキを塗って、花を植えて、堂々と駅の正面に飾ったのである。

 

 今は亡き先輩方が頑張ってくれたから駅舎が残り、おらだの会もあるのだと思う。「『さよなら列車』がつなぐもの」と共に、「『木造駅舎』がつなぐもの」があるのだと、つくづくと感じる。

 

2021.09.11:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

成田駅の宝物(28) 国鉄時代の機関士服

  • 成田駅の宝物(28) 国鉄時代の機関士服

 この服は2年前、山形市からおいでになったKさんが持って来てくれたもので、国鉄時代の機関士の制服である。Kさんは昭和27年に中学校を卒業後、東京の会社に就職したが間もなくその会社が倒産。「絶対つぶれない会社で働きたい」と国鉄に就職することを希望して、鉄道専門学校であった岩倉高校に入学。昭和33年に卒業後、昭和34年に正式に国鉄職員となった。昭和39年に念願の機関士免許を取得し、長井線でも運転したという。

 

 kさんはその後の気動車や電気機関車への革新に伴い講習と試験を重ねて、昭和42年に気動車運転士、昭和53年には電車運転士となった。その間昭和49年から52年までは労働組合の専従職員に推され、国鉄改革闘争の中で停職や減給処分を繰り返されたという。

 

 岩倉高校では夏休みに鉄道関係のアルバイトが必須であったが、アルバイト先の上司が現在の奥さんの父親であったという。すでに国鉄時代の物を殆んど整理してしまったというが、この服には最後まで残しておきたい思い出があったのではなかろうか。

 

 

【おらだの会】この服は現在、『駅舎と96展』の会場に展示しています。

 

2021.09.09:orada3:コメント(0):[成田駅の宝物Ⅱ]