12月17日金曜日
今日、終業式を終えて1時の電車で帰って来ました。今日でフラワーを使うのは最後でした。3年間お世話になりました。
自分はAndwinpsという人たちの曲を毎日聞きながら登校してました。ぜひ聞いてみてね。
【おらだの会】昨夜は山形新幹線が立ち往生したようですが、フラワー長井線は頑張って運行しているようです。今日は大学共通試験日、それぞれの3年間を糧にして目標に向かって羽ばたいて欲しいものです。
第1話の記事に「ガタ汽車」と「緑門」という言葉が出てきたが、この説明をしておきたい。まずは「ガタ汽車」である。これは、長井線を最初に走った列車のことである。本線を走った本格的な列車(ボギー車)と違って、マッチ箱と呼ばれた列車は横揺れが酷かったようである。この時の蒸気機関車は600型といわれるものであり、次の投稿をご覧いただきたい。
⇒ 軽便鉄道あれこれ:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)
もう一つが鮎貝駅に設置されたという「緑門」である。辞書によると「祝賀の際などに建てる常緑樹の葉で包んだ弓形の門。グリーンアーチ。」とある。ふと思い出したのが上の荒砥駅の開業時の写真である。残念ながら羽前成田駅には緑門は作られなかったようであるが、致芳郷土資料第三集沙石集によれば、「役場前に芸者踊り等の余興もあり大変な賑わいであった」と記されている。
長井駅開業時には壮大なアーチが造られていたようだが、あまりにも大きすぎてそれが緑門なのかは確認できない。「村に鉄道がやって来る」ことへの地元の人々の期待の大きさがわかるようである。長井駅開業時の写真はこちらからどうぞ。
⇒ ながいまちなみ物語 2 長井駅前通り:長井市観光ポータルサイト | 水と緑と花のまち ようこそ、やまがた長井の旅へ (kankou-nagai.jp)
【写真提供:白鷹想い出写真館】
今年は羽前成田駅が開業して100年にあたる。この記念すべき年にあたって、成田駅の歴史を振り返りながら、駅と地域、そして先人の思いに光をあてていきたいと思うのである。その中で、未来に向けた何かが見えてくることを期待しながら。第1回は、開業の日の様子を伝える米澤新聞の記事を紹介したい。
既設長井駅を発し宮公園の杜を眺めて間もなく野川の鉄橋を渡り『羽前成田驛』に着けば同駅を取り囲んだ数百の児童や青年団その他は皆日の丸の小旗を手にして、萬歳を叫び汽笛も聞こえないばかり。車内の久米内務部長や青木県議などもさすがに微笑を禁じ得ず帽子を振って応酬する。羽前成田を後にして滑るが如くと言へたいが実は例のガタ汽車のことして横振りをほしいままにして進むこと数分にして蚕桑の停車場に達する。
・・・・・略・・・・・。
ややしばしで今度竣工した延長線の終点鮎貝駅に到着すれば同駅はまた前の2駅に倍した見物ながらの出迎えで一面人の波を現じ、折から上がる花火と共にその殷賑さは大したもの。駅前の如きは全く身動きもならぬ程であった。歓迎の緑門を過ぎ新道の両側にほどこした電燈仕掛けの装飾柱に沿ふて会場の鮎貝小学校に至れば、万端の準備遺憾なく、開通祝賀式会場としてふさわしく飾られておった。式辞と祝辞で30分、式を閉じ700余名の協賛会員は同校でまた200名近くの来賓は出来上がったばかりの不忘楼で祝賀会に移ったが、今日の喜びが酒に和し随所に歓談沸き起り頗る盛会を極めた。なお夜に入っては3カ村で各山車やその他の余興を演じ、中空に踊る花火と共に村内至る所歓声が絶えなかった。
開通式の様子はこちらから
⇒ 軽鉄人物伝② 小林源蔵 (その1):山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)
【おらだの会】新聞記事の中で『羽前成田驛』にだけ『』が付けられているのが面白いですね。 米澤新聞(大正11年12月13日発行)より