親戚へのお盆礼の帰り道、飯豊町のJR萩生駅に回ってみた。駅の正面には「九里学園」と明記されたフラワーポットが3つ。厳しい暑さの中で、ベゴニアの花が元気に花を咲かせていた。中に入ると1坪ほどの小さな待合室だった。ホームにつながるサッシ戸にはコンパネが無造作に張り付けられていた。昨年8月の豪雨以来、この状態が続いていたのであろうか。
壁には、「萩生駅愛護会主催JR利用者拡大イベント」とタイトル文字が付けられた写真と共に、昭和62年8月の日付のある「萩生駅献額川柳」の額が2面飾られていた。川柳にはそれぞれの時代の駅と人々の記憶が詠まれていた。
老兵の脳裡歓呼の声の駅/青雲の大志ホームの母に翔ぶ
傷心の鳩へやさしい村の駅/無人駅善意の花が語りかけ
振り返ると駅前に代行バスが進入し、高校生が一人バスに乗り込むのが見えた。この駅は昭和62年8月で時間が止まったままで、その歴史を閉じるのではないだろうかとの思いが頭をよぎった。無人駅の善意の花は、いつまで花を咲かせてくれるのだろうか。
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