僧を案内した白兎と白狐が登場し、以後、丁々発止のやり取りが交わされることになる。第2場では僧が羽黒山に向かう「修験者」であること、白兎が「葉山の神様の使い」であることが明らかになる。白狐は奥深い葉山に行くのに小動物(ウサギ)の出番はない」と言い放つ。かく言う白狐は、第6頁で「稲荷の神様に頼まれてきたキツネ」であることを明らかにするのである。
第1場のコメントで「約1400年前頃に、朝日岳は、信仰の山として月読命(つくよみのみこと)と保食命(うけもちのみこと)が祀られていました。」と書きました。月読命は月の満ち欠けによって農作業の時期を伝える神であり、保食命は農作物の豊穣を司る神であり、白兎と白狐はそれぞれ、月読命と保食命の使いとされていたのです。月読命と保食命については改めてお話することにしたいと思います。
さて出羽三山の開基は593年と言われるが、今から1400年前の西暦600年頃は、朝日岳も修験道を中心とした山岳信仰の場として重要な場所であったと思われます。そんな霊験あらたかな場所が、安部貞任・宗任が滅ぼされた前九年の役(1062年)などで荒廃してしまっていた。そこに羽黒山(出羽三山)を目指す僧が通りかかり、金色に輝く如来像を発見するのである。そして2匹の使徒に導かれるようにして葉山の山頂に向かって行った、というのである。
けれども兎と狐が同時に登場する伝説は、全国的にも珍しいと思われるがどうだろうか。そしてその中で「白兎」が地名として残ったのは何故だろう。そもそも何故この地に砂金でできた如来像があったのだろう。
とりあえず次回は白狐が言った「肌身離さず抱えている賽銭箱」を調べてみたい。妄想の旅はまだ続く。
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