羽前成田駅では、昭和36年に貨物取扱いが廃止され、昭和39年には業務委託駅となり、さらに昭和59年には簡易委託駅となりました。その業務を担うことになったのが成田在住の元国鉄職員・玉置清吉さん(写真)でした。
羽前成田駅協力会の総会資料によれば、昭和59年3月19日から玉置さんに業務を委託し、同年3月23日には簡易委託化に伴う対策について地元関係者会を開催し、4月11日には長井線沿線駅で最初の羽前成田駅協力会が設立されています。この迅速な動きの陰には当時の市議会議員や自治会、地区長会の役員、それに加えて長井市職員で長井線対策の中枢を担った故小口昭氏(成田久保町住民)等地区リーダーの存在があったはずである。
そして地元住民が駅長にお願いしたのが玉置清吉さんだったのです。玉置さんは大正11年1月1日生まれ。息子さんのお話では15歳で国鉄に就職して定年退所後も成田駅に勤務し、70歳を迎えたことを区切りとして制服を脱ぐ決意をしたとのことです。駅協力会の資料によれば玉置さんが勤めた初年度の売り上げは、前年度比133パーセント増だったそうです。
また駅周辺を四季折々の花々で埋め尽くした玉置さんは、その温和な人柄で「花の駅長」として皆に愛され、現在の羽前成田駅周辺の環境整備の基礎を作られたのでした。地元民にとってはまさに「羽前成田駅・永遠の駅長」であり、羽前成田駅の歴史に永遠に残されなければならない人物の一人だと思います。
【おらだの会】
玉置さんの記事はこちらから
→ 線路の向こう側も・・・:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)
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