終戦後の長井線の運行状況について、長井市史第4巻では次のように記されている。
「(大正3年11月15日の赤湯~長井間)開通当時は、客車1日5往復、貨車1回の運行であったが、昭和3年には客車貨車混合で6往復となった。 (略) 敗戦直後は機関車も客車も極度に不足し、昭和20年・21年には長井線は貨車に人をのせて1往復という状況で、列車事情が曲がりなりにも回復し、東京方面への中学生の修学旅行が復活したのは昭和27年度からである。」
成田駅に残されている宝物で終戦後の歩みを辿ってみたい。写真は経理関係者への訓示であり、以前「成田駅の宝物」で紹介したものである。裏面に「24.7.2?」の日付スタンプが押されており、昭和24年のものと思われる。終戦後の混乱が治まらぬ中にあって、職員に服務規律の徹底を呼び掛けたものであろうか。それにしてもこの色を見ると召集令状を連想してしまうのは私だけだろうか。
この記事へのコメントはこちら