昭和20年8月15日正午、終戦の詔勅が出された。鉄道紀行家として有名な西脇俊三氏は、玉音放送を今泉駅前で聞いた時のことを「時刻表2万キロ(角川文庫)」に次のように書いている。
「駅舎からコードが伸びていて机の上のラジオにつながっていた。それを数十人が半円形に囲み、放送がはじまるとラジオが天皇であるかのように直立不動で頭を垂れた。(略) 何事もなかったかのように蒸気機関車が蒸気を吹き出しながらホームにすべり込み、顎紐をきりっと締めた機関士やショベルを握った助士の姿も、いつもと変りなかった。変わりようのないことではあるが、それが強く印象に残った。」
この時、羽前成田駅の駅長は第6代の髙山季之助氏(昭和16年5月11日~昭和20年10月18日在任)であった。髙山駅長はじめ駅に集う人たちは、どんな思いでこの放送を聞いたのであろうか。
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