荒砥駅まで全線開通した大正12年の9月は関東大震災に見舞われ、昭和2年には金融大恐慌さらに世界恐慌へと続いて行きます。その間、大正15年に米坂線(米沢~今泉間)開業や昭和 5年10月1日に側面乗降式客車(マッチ箱)から本線並みのボギー車が運転するなどの明るい話題はありました。しかし昭和6年9月18日に満州事変、昭和12年7月7日には盧溝橋事件が勃発し、昭和16年12月8日には宣戦の詔勅が出され太平洋戦争へと突入していきます。
宣戦の詔勅(昭和16年12月8日)
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚(こうそ)ヲ踐(ふ)メル大日本帝國天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ゆうしゅう)ニ示ス 朕ココニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ 朕カ百僚有司(ひゃくりょうゆうし:役人)ハ勵精(れいせい)職務ヲ奉行シ 朕カ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ (以下略:一部現代語使用)
今も親しまれる童謡「汽車ポッポ」の元歌「兵隊さんの汽車」が作られたのも昭和13年でした。成田駅100年物語の第2部は戦争の暗い時代から始まります。
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