昨秋、駅茶で若い方々と談笑していると、シルバーヘアーのいかにもダンディな方がおいでになった。紳士は「俺、なんぼだど思う。90歳だ。どうだ90には見えねぇべ。」といい、子供頃、兵隊さんが出征するときには、子供達も学校から成田駅まで小旗を持って見送りに来たことを話してくれたのでした。中ノ目の歴史散歩(飯豊町 中ノ目の歴史を辿る会編:平成27年)にも、次のように記述されています。
『1937年(昭和12年)7月、支那事変勃発と同時に当時、小学校の全校生は駅のホームで日の丸の小旗を持ち、毎日のように出征兵士を見送りした。出征兵士の士気高揚を図るため、大人と同様にばんざい・万歳を叫んだ。この行動は終戦まで続いた。』
「汽車汽車ポッポポッポ/シュッポシュッポシュッポッポ/僕らをのせて・・・・」で親しまれている童謡の『汽車ポッポ』は、もともとは『兵隊さんの汽車』という歌だったそうです。『汽車汽車ポッポポッポ/シュッポシュッポシュッポッポ/兵隊さんを乗せてシュッポシュッポシュッポッポウ/僕等も手に手に日の丸の旗を振り振り送りませう/萬歳萬歳萬歳兵隊さん兵隊さん萬々歳 』という歌詞だったそうです。
『兵隊さんの汽車』は1938年(昭和13年)に作られ、『汽車ポッポ』は終戦の年(1945年昭和20年)に発表されたそうです。子供達を戦時下に動員するための歌ではあっても、子供達には汽車ポッポは大好きなものだったということでしょうか。千葉から車を運転して来られた紳士には、今も鮮やかにあの頃の記憶が残っているのでしょうか。
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