平泉の騒乱を聞いた娘は、ある日のこと、主人の前に出でまして、今まで包んで語らなかった我が身の素性を打ち明かすのでした。「彼の時、御当家様に泊めていただいた山伏の一人で、背のずっと高い髭の多い頭(かしら)分のような態度をしておったのは、西塔武蔵坊弁慶と言う者で、妾(わらわ)の父でありましたし、付近の家に泊まった人々は主君義経夫婦などの人達でありました。」と。残らず語ったうえで、「その証拠がこれでございます。」と言うて、一つの日の丸の軍扇を出し、「これが妾の父が義経公の家来になった時、その証として拝領した軍扇で、非常に大切に肌身離さず所持していた物ですが、別れの時に親の形見にと渡していったのであります。」と言うて、示したのでありました。
【蛇足】写真は「義経 弁慶と五条の橋で戦ふ」(歌川国芳画)の図ですが、牛若丸が持っている扇に日の丸が見えます。弁慶が娘に渡した軍扇なのかもしれません。
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