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長井線を走った蒸気機関車(6) 96型

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 私たちにとって最もなじみ深い蒸気機関車は96型(キュウロク)であろう。86型から96型に移行したのは何年頃であったのだろうか。「中ノ目歴史散歩」(中ノ目の歴史を辿る会編/飯豊町:平成27年3月)では、次のような記事が残っている。

//1931年(昭和6年)8月10日、今泉~手ノ子間が延伸開業した。開業当初は、トロッコ列車でマッチ箱といわれる超小型機関車で、豆機関車と呼んでいた覚えがある。その後、86型SLに変わった。(略)。1936年(昭和11年)8月31日、米沢~坂町間全通後は、豆機関車から96型SL機関車に変わり4両編成となった。//

 

 長井線もほぼ同じであるとすると、昭和11年頃からさよなら列車となった昭和47年までの間は、96型機関車が走っていたことになる。96型は「山親父」と呼ばれるように勾配に力を発揮する機関車である。このため長井線が昭和29年に客車がディーゼル車になってからも、米坂線では昭和47年まで客車を牽引していた。宇津峠を越える59634号の雄姿が残されている。

→ 雪の行路 米坂線にて (youtube.com)

 

 上の写真は小口昭氏のものであるが、96型機関車の写真の多くは、昭和47年の貨物業務からの退役前後のものである。これまで投稿されたブログの記事をギャラリー風にめくってみて欲しい。

 <昭和36年に成田など6駅で貨物取扱廃止>【100年物語】

 → (21)長井駅でも貨物取扱いが廃止:おらだの会 (samidare.jp) 

 

 <貨物列車にも人生を語る背中がある?> 【駅茶こぼれ話】

 → 貨物列車の背中:おらだの会 (samidare.jp)

 

 <いよいよ「さよなら列車」の日> 【停車場風景】

 → さよならSLの頃  停車場風景:おらだの会 (samidare.jp)

 

 <長井駅構内の線路の配置もよくわかります> 【停車場風景】

 → さよならSLの頃  停車場風景Ⅱ:おらだの会 (samidare.jp)

 

 <松川橋梁を走る59634号> 【駅茶こぼれ話】

 → 「さよならSL」から50年:おらだの会 (samidare.jp)

 

長井線を走った蒸気機関車(7) 79606号のこと

  • 長井線を走った蒸気機関車(7) 79606号のこと
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 左の写真は「この模型は最近発売されたものですが、これと同じ番号の蒸気機関車の写真が成田駅に飾られてあったはず。」とのメッセージを添えて、知人が送ってくれたものである。この模型のプレート番号は79606であり、それは地元の写真愛好家であった小笠原弘氏が提供してくれた写真に映っていたものと同じであった。

 

 今回ポスターに使わせてもらった右の写真は、昭和47年冬の羽前成田駅の風景である。この年に貨物輸送からも蒸気機関車は退役することになる。真っ白い雪景色の中で汽車を見送る駅員の姿は、その後の国鉄改革の嵐を予感させるようにも見える。鉄道写真で幾多の受賞歴のある小笠原氏の作品の中でも秀逸のものだと思う。

 

 小笠原氏は今年の6月、亡くなられた。それと時を同じくするように、この79606号が模型として私たちの前に現れた。9634号や59634号のように「さよなら列車」として盛大に見送られることもなかった機関車が、蘇ったのである。小笠原氏に心からの哀悼の意を表すると共に、その作品と共に小笠原氏の功績を末永く伝えていきたいと思う。

 

長井線を走った蒸気機関車(8) ありがとう59634号!

  • 長井線を走った蒸気機関車(8) ありがとう59634号!
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長井線も走った蒸気機関車(9) ありがとう9634号! 

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長井線を走った蒸気機関車(10) さよなら列車がつなぐもの

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 600型から96型まで長井線を走った蒸気機関車の歴史を振り返ってきた。各時代のさよなら列車となった68691号と59634号そして9634号は、今なおそれぞれの地で大事に保存されている。その姿を見ると、この地で共に生きていた友人が、全国に散らばりながらも、その人生を全うした姿を見るようで、何とも言えないものを感じる。

 

 この間、長井線で蒸気機関車を運転していた方からは、最後まで処分できずにいた機関士服を寄託していただいた。そして今回は、故小笠原弘氏が残してくれた写真の機関車が、プラモデルとして復活したことを知ることができた。一枚の写真が過去と現在をつなぎ、その人生をも語るのである。

 

 人々の記憶から消えていたものが、歴史のうねりの中で再び浮かび上がって来ることもある。「ごくろうさん」「ごくろうさんよ」、それは故郷を走った機関車と共に、それに関わった全ての人々への感謝の言葉かもしれない。