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『さよなら列車』がつなぐもの

  • 『さよなら列車』がつなぐもの

 9月3日から「駅舎と96(きゅうろく)展」がスタートした。会場では、「さよならSL」のヘッドマークをつけた59634号と北九州市の九州鉄道記念館に展示されている写真が展示されている。九州の写真を提供してくれたのは北九州市出身の長井市地域おこし協力隊・高橋秀孝さんです。

 

 偶然にも元国鉄職員で59634号も運転していたというSさんが駅茶においでになった。鉄道記念館の写真を見て、「こんなにピカピカにしてもらうのは、お召列車を牽く時ぐらいなもんだ。こんなに大切にされているのを見せてもらって、こっちまで嬉しくなるなぁ。」と、当時の想い出を語ってくれました。

 

 人々の記憶から消えていたものが、歴史のうねりの中で再び浮かび上がって来ることもある。Sさん達が共に汗を流した機関車が、今も九州の地で人々に愛されながら生きている。「ごくろうさんよ」という時、それは故郷を走った機関車と共に、それに関わった全ての人々への感謝の言葉なのかもしれない。

 

 『さよなら列車』は九州と山形を結び、今と昔とを繋いでくれるものだった。

 

 

鉄道記念館の写真の経過はこちらからどうぞ  → 「さよならSL」との再会:おらだの会 (samidare.jp)

 

2021.09.07:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「さよならSL」との再会

  • 「さよならSL」との再会
  • 「さよならSL」との再会

 地域おこし協力隊として長井市に着任している高橋秀孝さんのことは、7月21日のブログ「駅舎 deカフェ」で紹介していました。高橋さんが北九州市出身であることを知り、門司区にある鉄道記念館に長井線を走っていた蒸気機関車59634が展示されているらしいことをお話ししました。そうしたら先日、高橋さんからメールで写真が届きました。それが、この写真です。なんと、高橋さんの甥っ子さんが記念館に行って撮って来てくれたのだそうです。

 

 写真の59634号は、今から約50年前の1972年(昭和47年)10月1日に「さよならSL」として見送られた機関車だったのです。その後、新潟で働き、九州で引退したのでした。説明板には「この機関車は昭和49年に米坂線から後藤寺機関区に転属してきました。遠くやって来た機関車はその番号から『ごくろうさんよ』とファンの間で呼ばれていました。」とあります。

 

 遠く離れた九州の地でも、みんなに愛されていたようです。そして現役の時と同じようにピカピカに保存されていることを嬉しく思いました。ふと、「お母さんの想い出の場所を守っていてくれてありがとうございました。」と頭を下げられた娘さんのことを想い出しました。(2017年7月のブログ:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 

 59634号は1921年(大正10年)の製造だったはずで、今年は満百歳になります。羽前成田駅は来年百歳。何とも不思議な縁を感じます。高橋さん、ありがとうございました。そして北九州の甥っ子さん、本当にありがとうございます。

 

 最後のSLの記事はこちら⇒ キュウロク&ゴクロウサン:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)

2021.08.08:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅ノート作家さんとの出会い

  • 駅ノート作家さんとの出会い

 先週末は駅スタンプを収集されている方や地域開発を研究する大学の先生など、色んな人がおいでになった。そしてなんと、駅ノートの作家さんもおいでになった。今回のイラスト展を仲間から教えてもらったのだそうである。駅ノートの作家さんは、月光仮面あるいは山下清のように人に知られずに駅に降り、人に知られずに絵を残していくものだと思っていたので驚いてしまった。

 

 「ノートに描いていって下さい」とお願いしたら、「時間があまりないのでラフになりますが良いですか?」と言いながら、ノートに向かわれた。「そんなに根を詰めたらストレスがたまるんじゃないですか?」との愚門にも、穏やかに「絵を書くのが楽しいんです」と。一心不乱にペンを走らせる姿を見ると、こんな風に安直に展示会を開催していることを恥じ、申し訳なくさえ思えてきた。

 

 考えてみると写真では人物を映すことが難しいが、イラストは自由に人物を登場させることができる。その場に合わせた衣装をまとい、ポーズをとらせることもできる。自分が創り上げてきた俳優さんが、最も輝くのはやはり駅という舞台なのであろう。「どうして駅ノートに描かれるのですか」と問えば、「そこに駅があって、ノートがあるから」との答えが帰って来るような気がした。

 

 自分が感じたものや感動したものを写真や文字、イラストといったそれぞれの形で表現できることは素晴らしいことだと思う。と同時にそうした作品をみて感動できるのも素晴らしいことなのだと思う。駅ノートにはたくさんの人のそれぞれの思いが記されている。せめて品のない落書きなどはしないようにしよう。

2021.08.04:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅ノートに思うこと 西大塚駅

  • 駅ノートに思うこと 西大塚駅

 今回もJRW4H24さんの作品を紹介します。写真の作品には、「5月23日 だいたい7:30~8:30頃」と記されています。汽車通の女子高生でしょうか、駅舎の前で会話が弾んでいるようです。そして「今日も元気でやれるのはきれいな花のおかげです」のコメントがとても胸に響きました。

 

  JRW4H24さんは、古い駅舎の佇まいと高校生の明るい笑顔、それを見守る地元の人たちの温かい思いを感じたのではないか、と思います。この一枚の絵から、とても大事なものを教えられたような気がします。そして羽前成田駅の花壇も、駅を利用する人に元気を与えているのかもしれないな、と思うと少し嬉しくなりました。

 

 西大塚駅に咲いていた花は、赤いチューリップだったのかもしれません。

 こちらからどうぞ → 山鉄 駅務係さん (@ayukai_ringo) / Twitter

2021.07.29:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅ノートに思うこと  四季の郷駅

  • 駅ノートに思うこと  四季の郷駅

 今、駅茶では『駅ノートイラスト展』を開催している。「長井線乗車リポート」で各駅を巡りながら他の駅での存在を知ったことがきっかけである。スマホで簡単に投稿し合う時代にあって、陽に焼けたノートに文を書き、絵を書き残すのは時代遅れのような気もするが、ノートを見てSNSにはない感慨を持つのは私だけではないと思う。

 

 展示されている作品の幾つかを紹介していきたい。最初は、JRW4H24さんの四季の郷駅を描いた作品である。JRW4H24さんの絵には子供たちが多く登場する。特にこの絵を見ると四季の郷駅で行われる夏の七夕祭り、冬のイルミネーションの時の子供たちの生き生きとした笑顔が見えてくるような気がするのである。

 

 四季の郷駅のように、ホームと待合室しかない駅にもそこに降り立つ人がいる。そして駅舎の様子から地域の雰囲気を感じとる人も少なくないように思う。駅は、私たちが想像する以上に重要な「地域の窓」だと思う。そしてそこに置かれた駅ノートで心を繋ぎ合うのは、ローカル線の旅の魅力の一つなのではなかろうか。だとすれば駅ノートは、旅する人を迎える私たちの「おもてなし」の表現でもある。この展示会が、駅ノートについて考るきっかけになればうれしいと思う。

 

 【おらだの会】 駅ノートイラスト展の日程等はこちらから

→ 『駅ノートイラスト展』始まります:おらだの会 (samidare.jp)

2021.07.27:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]