昭和47年3月14日、米坂線での蒸気機関車による客車牽引が最後の日を迎えることになった。さよなら列車になったのは「9634号」であった。長い間、親しまれた蒸気機関車との別れのイベントが、各駅で行われたようである。上の写真は「鉄路と共にーー米坂線の歴史」に掲載されたものである。
当時の飯豊町報(昭和47年2月25日号)には、別れを惜しむ川柳が掲載されていた。
汽車ポッポ子供の遊び場一つ消え(瓢泉)
哀愁を秘めてキューロク世をゆずり(宇鳴)
想い出を残してSL煙と消え(楽山)
ふと萩生駅に掲示されていた川柳を思い出した。飯豊町の人たちは、米坂線の歴史の折々に川柳にその思いを託していたようである。米坂線の最後を走った9634号は新潟市に展示されて残ることとなった。そして米坂線存続の岐路に立った今、飯豊町の皆さんにはどんな句が巡っているのだろうか。
萩生駅の川柳に関する記事こちらから
→ 無人駅の善意の花:おらだの会 (samidare.jp)
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