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鳥上坂

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国道13号が通る鳥上坂は何度も改修され、経路も変りました。

江戸時代の鳥上坂街道は鳥上地蔵尊の前を通っていました。(画像1枚目)

 

明治13年8月~9月にかけて、馬車の運行を目的に取上坂※新道工事を行いました。

 

画像2・3枚目は明治34年の奥羽本線赤湯~上山間開通に合わせて建設された陸橋です。

(鳥上坂トンネルとも呼んでいます。)

山形県内に残る数少ない明治時代のレンガ建造物です。

国道側がコンクリート製なのは、昭和43年の奥羽本線赤湯~北赤湯信号所間の複線化工事で増築した部分です。

 

昭和9~10年にかけて、鳥上坂の切り下げ改修工事が行われました。

画像4枚目の記念プレートをみると、当時は国道五号でした。

 

現在の鳥上坂は昭和34年度から着工し昭和38年度に開通しました。

昭和55年には登坂車線を設置しています。

 

参考:南陽市史・山形県の鉄道輸送

 

※鳥上坂のことです。取揚坂と表記する資料もあります。

2020.07.07:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

新田 鳥上坂地蔵尊

  • 新田 鳥上坂地蔵尊

江戸時代の米沢街道(最上街道)沿い、赤湯と芯新田の境に地蔵堂があり、中に地蔵尊二体が安置されています。

 

伝説では、大化二年(646年)もしくは大同二年(807年)に建立したと伝えられていますが、残念ながら地蔵様を祀る宗教文化は後世のものになります。

 

地蔵堂の辺りはぶどう園が開墾されるまで人家はなく、草茫々の原野が広がっていたので、夜に通ると狐に化かされ買物の肴を取られた話も残っています。

 

参考:ふるさと中川「鳥上坂地蔵尊」錦三郎 資料

2020.07.06:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

馬頭観世音菩薩

  • 馬頭観世音菩薩

岩部山第29番の観音様は第28番・第30番の観音様から離れた場所にあり、第5番と第6番の観音様の間にあります。

北山道から100mほど登った場所で山の麓になります。

 

その理由は33の観音様で唯一の馬頭観世音菩薩であることが関係していると見ています。

 

旧中川村には米沢街道の宿駅が中山・小岩沢・川樋の3ヶ所に設置され、伝馬がいました。馬は農耕馬として、山からの材木出しとして大切に飼育されていました。

文政十年(1827)の村目録によれば、馬の保有数は

 中山(元中山・釜渡戸含む) 82疋

 小岩沢 29疋

 川 樋 52疋

 新 田  3疋

となっています。

新田村が少ないのは宿駅が置かれていないことと、山を保有していないことが理由です。

(五十匁山は昭和になってから譲り受けました。)

ちなみに牛は中山に2疋いるだけです。

 

大切な馬を供養するため、中川地区内に複数の馬頭観世音の石碑が建立されました。

川樋では分かるだけで上と下の2ヶ所にあり、どちらも山から木材出しをした道の近くにあります。上の馬頭観世音(画像の左側)は米沢街道沿いで、近くには馬浸場(うまひしゃば)が残っています。

 

第29番の馬頭観世音菩薩もかつて木材出しに使ったであろう緩やかな山道を見下ろす場所にあります。

また、村民に一番身近な観音様であることから、参拝しやすい生活道路の近くに彫られたと考えます。

 

参考:南陽市史・ふるさと中川

2020.07.02:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

新田 野中森館跡(中ノ森館跡)

  • 新田 野中森館跡(中ノ森館跡)
  • 新田 野中森館跡(中ノ森館跡)

国道13号を赤湯から山形に向い、鳥上坂を越えると右側に独立丘陵が見えます。

中世には野中森館があった場所で、地元では「森こ山」と呼んでいます。

(字名が中ノ森なので、中ノ森館跡とも云います)

 

「米沢事跡考」によると、野中森は粟野十郎藤原義広の後裔(子孫)で粟野十郎左衛門尉宗次※1の父が隠居した館と伝えられています。

周囲を大谷地に囲まれ防御としていました。

 

享保の絵図には「蒲生氏※2の舘跡」と記してあり。近くには「首塚」と記されていますが、首塚の場所は定かではありません。

 

参考文献:赤湯町史・山形県歴史の道調査報告書

 

※1 16世紀の伊達氏家臣で赤湯にあった二色根城主と云われています。

※2 天正19年(1591)奥州仕置により伊達氏は転封、蒲生氏の領地となりました。

   以前紹介した宝山塔の大沼家は蒲生氏の家臣で、この地に残り百姓になりました。

2020.07.02:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

新田の日本廻国供養塔

  • 新田の日本廻国供養塔
  • 新田の日本廻国供養塔

新田地区と川樋地区の境に地蔵様が祀られています。

地蔵堂の隣には日本廻国供養塔が造立されています。

日本廻国とは書写した大乗妙典(法華経)を、1国1社寺ずつ納めて、日本66ヶ国を廻る巡礼のことです。

六十六部とも云います。

 

塔には「寛政十二申」の文字が刻まれています。(1800年)

ちょうど新田村が川樋村から分村した時期になります。

 

2020.06.25:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]