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中山橋

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小岩沢・蛇ヶ橋の記事にある「選奨土木遺産」について、平成21年に「山形の石橋群」として県内11の石橋が認定されています。

 

今回は隣の中山地区にある中山橋を紹介します。

中山橋は上山市中山地内を流れるカラジュク川に架けられたアーチ式の石橋で、明治13年(1880)に竣工しています。

アーチの石組は二重になっていて、重厚で堅牢な造りとなっています。

中山橋も初代県令・三島通庸の土木事業の一環で構築されたもので、親柱には「奈可やまはし」と陰刻されています。

 

参考:山形県ホームページ

2020.08.25:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

小岩沢 蛇ヶ橋

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前川の支流北川に架かる蛇ヶ橋(じゃがばし)は小巌橋(こいわばし)とも呼びます。

明治14年(1881)に竣工されたアーチ式の石橋です。

全長6.0m、幅員6.7mで、手すり部分は両端に柱状の石を立て、3枚の厚い板石を並べています。

平成21年に選奨土木遺産に指定されました。

 

名前の由来は

昔、木橋が洪水で流出した。そこへ旅人が通りかかったが橋がなく川を渡れない。

困っていると、どこからともなく一匹の大蛇が現れ、川を横切り橋になってくれた。

旅人は喜んで杖をつきながら大蛇の背を渡っていった。

ところが誤って大蛇の片方の目を杖で突いてしまった。

大蛇は驚いてどこかへ姿を消してしまった。

それから、この辺に棲む蛇は全部片目になってしまったという。

(殿様が渡ったとする話もあります。)

 

蛇ヶ橋は平成26年の豪雨で被害に遭いましたが、改修工事が行われ平成27年10月に開通しました。

 

参考:山形県歴史の道調査報告書 米沢・板谷街道

 

2020.08.20:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

元中山 一字一石経塚

  • 元中山 一字一石経塚
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一字一石経塚(きょうづか)※は元中山公民館西側に所在していました。

平成7年県道改良工事の際、地中に残存する経塚が発見され、調査後隣接地に移設・再埋納されました。

出土したのは経石のみで、その大半は扁平な自然石に1文字ずつ墨書されたものです。

 

経塚の経碑には寛延元戊辰宿十月吉祥日(1748)と刻まれています。

この経塚が建立された時代は、延享二年(1745)から4年間、東北一円が凶作にみまわれています。3年連続の凶作の秋を迎えた村民が経塚を建立し、翌年の豊作と生活の安定を祈願したと考えられます。

 

※経典を土中に埋葬し盛土をした塚。追善供養や現世利益などを目的に平安中期から近世にかけて造られました。

 

参考:南陽市遺跡分布調査報告書(1)

2020.08.19:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

庚申講

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中川地区にある石碑で多いのが庚申講碑(庚申塔ともいう)です。

「庚申講」と彫られた石碑だけでなく、本尊の「青面金剛」(しょうめんこんごう)と彫られた石碑も庚申講碑になります。(画像3枚目)

1枚目の画像には宝暦十二壬午(1762)と刻まれています。後ろの碑も上部に日月(じつげつ)が刻まれていることから、日待ち・月待ち講に関係した碑と考えられます。

 

庚申講は暦日の庚申(かのえさる)の日の夜、講中が集り語り合って日の出を待つ日待ち講です。

庚申の夜、身体の中に住む三尸(さんし)の虫が、眠っているすきに天に昇って天帝に悪事を告げられないよう、寝ずに起きていて夜を明かします。

 

市内各地の庚申講の実態は南陽市史に詳しく記載されていますので、興味のある方はご一読ください。

 

庚申の晩は他人の悪口をいくら言ってもよいとされていました。

お酒も入り、日頃のストレス発散の場でもあったようです。

 

参考:南陽市史 民俗編

 

2020.08.17:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

川樋 北沢のお不動様

  • 川樋 北沢のお不動様
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かつて、川樋の北沢にはお不動様が鎮座していました。

 

川樋の日影道入口には鳥居があり、文政七甲申(1824)と刻まれています。

常善院(ホーエンサマ)があった場所に隣接する道路です。常善院の本尊も不動尊でした。

(鳥居の前には夜燈が建ち、不動尊の文字が見えます。このような配置になったのは、自動車が通れるように後年鳥居を移動したためです。)

 

現在、日影道は近年の豪雨災害で橋が流され不通になっています。

もし通れるとすると

鳥居から600m程進むと分れ道があるので左に進みます。夜燈が建てられていますので目印になります。

そして北沢沿いの道を進むと、上流にお不動様が鎮座していたのですが、豪雨により土石流が発生し流されてしまいました。なお、沢沿いの道も流されています。

山菜のミズが採れる場所だったのですが、残念です。

 

お不動様が安置していたのは、山の中腹に砂防ダムが作られた所です。(画像3枚目)

 

岩部山第一番観音近くの不動明王像が北沢お不動様の前立仏とみています。(画像4枚目)

2020.08.12:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]