南陽市の文化財に指定されている、小岩沢地区の「吉田橋」。
草刈りを行いました。大変キレイになりました。
北山(岩部山)の山の神です。
木製ではなく、石製の男根が奉納されています。
石製なのは岩部山の石切場で働いていた石工達が信仰していたからです。
岩部山の石切場へ行く途中に山の神を祀り、旧二月十六日、十月十六日には休みとして餅を搗き、重箱につめて、煮〆などをつくって山の神の前で飲食をしたし、「山の神はきれい好きだ」とて、石くずなどないように、きれいに箒で掃いてから仕事にかかった。
(南陽市史民俗編より)
建立記念碑には「大正十一年(1922)二月十七日」と刻まれています。
大正11年は松田力弥氏を長とする「中川石採掘組合」が設立し、採石が本格化します。
山の神の祭りは2月と10月の17日に行うことが多いことから、祭日に合わせて建立したと考えられます。
現在は4月17日に山の神、岩部山三十三観音、北山古峰神社の祭礼を行っています。
市史に十六日と記載されているのは、以前は16日に祭りを行っていたからでしょうか?
虚空蔵様(こくうぞうさま)の祠も中川の各地区に建立されています。
川樋だけでも私が分かるだけで、虚空蔵山、諏訪神社境内、北山にあり、鷹戸山の山頂の祠も虚空蔵様を祀っています。
画像1は川樋諏訪神社境内にある虚空蔵様の祠です。
手前に牛の置物があるのは、虚空蔵菩薩は丑年・寅年の守り本尊だからでしょうか?
画像2は北山の虚空蔵様です。
中川では江戸時代から養蚕が盛んに行われていました。
蚕は「運の虫」といわれ、気候の変動や桑葉の出来に大きく左右されました。
蚕神として地元では元中山と川樋の諏訪神社、初午の稲荷参りそして虚空蔵様や各家のオシラ様が信仰されました。
虚空蔵菩薩は知恵の菩薩とされていますが、白鷹山の虚空蔵尊の場合、江戸後期の養蚕興隆とともに蚕神として信仰を集めるようになりました。
川樋では会津の柳津(やないづ)虚空蔵様に代参を送っていました。
参考:南陽市史 民俗編・南陽市史編集資料第1号