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句碑

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川樋諏訪神社の不老泉の傍に二基の句碑が建立されています。

 

結ぶより はや歯にひゞく しミつかな

                   芭蕉 (画像1枚目)

 

明治四年(1872)四月、二孔以下12名の俳人連によって建てられました。

松尾芭蕉の句は「泉かな」となりますので、この地で詠んだ句ではなく、不老泉にふさわしい芭蕉の句を選んだものと考えられます。

「結ぶ」とはすくって飲むという意味です。

 

蝙蝠(こうもり)や 花表※の外ハ まだ暮ず 

                     作者不明 (画像2枚目)

 

うっそうとした鎮守の森を詠んだ句です。

誰が建立したのか不明ですが、川樋では俳諧が盛んだった様子がうかがわれます。

 

※華表、鳥居のことです

 

引用:南陽市史

2020.07.15:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

不老泉

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川樋諏訪神社にある泉で、古くから老ぬ清水と称せられ、名物の一つに数えられていた。

 

「之を飲む者齢を延ぶ、一升而四百二十匁、京都泉町の井に同じ、故に茶水に尤佳なり」※1と記され、

「茶水硯水第一也。性は京都鴨川の水に類す。太閤の右史、和久半左衛門※2も鴨水に替ることなしと賞せり。如何なる大旱にも古今涸れたることなし云々」と称揚している。

 

紀徳民(細井平州)松島記「雄島の笘」には

 出羽なる老ぬ清水の老ぬとや 和歌の浦波たちもまじらぬ

と詠まれている。

 

又、粟野義広は「越境記事」に

 年を経て長井の里に住にけり 老ぬ清水に老を忘れて

と詠まれて、古来より名高かったことがわかる。

 

明治十四年(1881)、明治天皇御巡幸の節、此清水に「御膳水」の立札が立てられ、京都加茂川(鴨川)の水に等しい水を献上申上げたのであった。

 

※1 鶴城地名選 文化元年(1804)

※2 豊臣秀頼の右筆をつとめ、のち伊達政宗に招かれ千石を与えられた

   右筆とは、文書や記録をつかさどる職

 

参考:赤湯町史・東置賜郡史

 

川樋の字名「清水尻」は不老泉の下流にあることから名付けられました。

2020.07.14:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

川樋 諏訪神社

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川樋字根小屋※に諏訪神社が祀られています。慶長年間(1596~1615)に上杉氏の家臣である清水三河守康徳が創建したと伝えられています。

同じ頃、清水は元中山の諏訪神社も創建しています。

 

清水は信州更級郡(現:長野市)の人で、天正十年(1582)上杉景勝より臣属を促す史料が残されています。

上杉氏移封に伴い、慶長三年(1598)中山城(城将:横田式部少輔旨俊)に配され、元中山を経て中山城下に移り住みました。

 

※中世戦国時代、防御を厳重にした山城に対し、居住を主とした山のふもとの集落を根小屋と呼んでいました。

諏訪神社の山側には虚空蔵山館跡と鷹戸山館跡が残っています。

 

赤湯町史より引用

 諏訪神社 元指定村社 大字川樋字根小屋

 祭 神 建御名方命(たけみなかたのみこと)

 由 緒 創立年号が詳かではないが上杉景勝公移封のとき中山城に配された清水某が

     信州諏訪明神の分霊を勧請して建立したと伝えられている。

     境内には清冷な泉が岩の間から湧いており如何なる旱魃にも涸れることがなかった。

 社 殿 本殿一坪、拝殿十六坪

 境 内 二00坪

 例祭日 八月二十六日

 宮内方面で旱魃に困る時は熊野神社の御告を受けて神酒持参で雨乞いに来る慣習となっている。

 

社殿は大正7年(1918)の大火で焼失し、大正8年に再建されました。

 

諏訪神社内の史跡について何回かに分けて紹介したいと思います。

 

2020.07.13:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

鳥上坂

  • 鳥上坂
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国道13号が通る鳥上坂は何度も改修され、経路も変りました。

江戸時代の鳥上坂街道は鳥上地蔵尊の前を通っていました。(画像1枚目)

 

明治13年8月~9月にかけて、馬車の運行を目的に取上坂※新道工事を行いました。

 

画像2・3枚目は明治34年の奥羽本線赤湯~上山間開通に合わせて建設された陸橋です。

(鳥上坂トンネルとも呼んでいます。)

山形県内に残る数少ない明治時代のレンガ建造物です。

国道側がコンクリート製なのは、昭和43年の奥羽本線赤湯~北赤湯信号所間の複線化工事で増築した部分です。

 

昭和9~10年にかけて、鳥上坂の切り下げ改修工事が行われました。

画像4枚目の記念プレートをみると、当時は国道五号でした。

 

現在の鳥上坂は昭和34年度から着工し昭和38年度に開通しました。

昭和55年には登坂車線を設置しています。

 

参考:南陽市史・山形県の鉄道輸送

 

※鳥上坂のことです。取揚坂と表記する資料もあります。

2020.07.07:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

新田 鳥上坂地蔵尊

  • 新田 鳥上坂地蔵尊

江戸時代の米沢街道(最上街道)沿い、赤湯と芯新田の境に地蔵堂があり、中に地蔵尊二体が安置されています。

 

伝説では、大化二年(646年)もしくは大同二年(807年)に建立したと伝えられていますが、残念ながら地蔵様を祀る宗教文化は後世のものになります。

 

地蔵堂の辺りはぶどう園が開墾されるまで人家はなく、草茫々の原野が広がっていたので、夜に通ると狐に化かされ買物の肴を取られた話も残っています。

 

参考:ふるさと中川「鳥上坂地蔵尊」錦三郎 資料

2020.07.06:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]