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夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その10完)~等身大の「賢治」と賢治「神話」のはざまにて~あぁ、無情のフラワ-ロ-ルちゃん

  • 夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その10完)~等身大の「賢治」と賢治「神話」のはざまにて~あぁ、無情のフラワ-ロ-ルちゃん

 

 「それはやっぱり、コロナやウクライナの影響っていうのはあったと思います。そのなかで家族の大切さみたいなものを見直したいっていう思いが、この原作と宮沢賢治の文学からもう一度考えさせられました」―。賢治没後90年を記念して製作された映画「銀河鉄道の父」(門井慶喜原作)が5月5日に全国公開されるが、成島出監督はその動機を冒頭のように語っている。ふるさとの当地では関連施設の周遊スタンプラリ-や映画に使用された衣装や小道具の展示などブ-ムにあやかろうとあの手この手の“お祭り騒ぎ”の様相を呈しているが…

 

 生誕100年(1996年)の27年前、あの“賢治狂騒曲”を目の当たりにした私としてはやはり、「時代に利用されやすい」という賢治の“危うさ”を思い起こしてしまう。代表的な詩「雨ニモマケズ」が先の大戦で戦意高揚に利用されたかと思えば、戦後は逆に耐乏生活のスロ-ガンとして叫ばれ、そして今度はコロナ禍で失われた“家族愛”のあるべき姿としての「宮澤家」が装いを新にして、再登場しつつある。かつて、高名な賢治研究者の間で「雨ニモマケズ」論争があった。賢治に対する評価が真っ向から対立したエピソ-ドとして今に語り継がれている。

 

 「宮沢賢治のあらゆる著作の中で、最も取るに足らぬ作品の一つであろう」(『宮沢賢治』、1955年)―。詩人で弁護士でもあった中村稔さん(96)がこう喝破したのに対し、詩人谷川俊太郎の父親で著名な哲学者だった徹三(故人)はこう反論した。「その精神の高さに於いて、これに比べ得る詩を私は知らない」(『宮澤賢治の世界』、1963年)。私の手元に『私の賢治散歩』と題する分厚い本がある。著者はこの作品で第17回宮沢賢治賞(2007年)を受賞した菊池忠二さん(故人)。石鳥谷町出身の菊池さんのこの本のお供をしていると、いまにもひょいと賢治が飛び出してきそうな気配を感じる。「二つの疑問」という文章(要旨)がある。

 

 「私のような凡俗の人間にも、起死回生のきっかけをもたらしてくれた『雨ニモマケズ』は中村説のような『取るに足らない作品』ではなくして、やはり優れた芸術作品が持つある種の心の浄化作用ではなかったのか。一方、比類なき『精神の高さ』を称揚する谷川説に私のごときが果たして感応することができたのかどうか。決着のつかない問題としてくすぶっているが、そのことが逆に私の賢治に対する興味と関心の原点になっていることも事実である」

 

 『本統の賢治と本当の露』というタイトルの本の帯には「本当の賢治を私たちの手に取り戻したい」と書かれている。当市在住の著者、鈴木守さんは賢治の”聖者伝説”の虚構に向き合い続けてきた稀有(けう)な人である。そのブログ「みちのくの山野草」にこんな記述がある。「賢治さんが生前、血縁以外の女性の中で最も世話になったのが高瀬露さんです。ところがどういうわけか〈高瀬露悪女伝説〉が全国に流布しているというのが実態です。そこでこのことについて、主に『仮説検証型研究』という手法に依って再検証をしてみましたところ、それは単なる虚構であり、〈高瀬露は悪女とは言えない〉がその『真実』だということを検証できました」―

 

 菊池さんにしろ鈴木さんにしろ、創られた賢治“神話”に抗(あらが)い、等身大の賢治像を追求するその姿勢に私自身、大いに共感する。10回にわたって書き続けてきた「夢の図書館」シリ-ズはとりあえず、今回をもって終わりとしたい。実現を目指したい「宮沢賢治ライブラリ-」を決して、賢治の単なる“聖地”に祭り上げてはならない。こんな思いを込めて…

 

 最後にもうひとつ―3月下旬、NHKBSスペシャルで「業の花びら―宮沢賢治 父と子の秘史」というタイトルの番組が放映された。これまでタブ-視されてきた賢治にまつわる「同性愛」を取り上げて注目された。しかし、その「真実」は本人以外に誰にもわらないはずである。後世に名を残したまま夭折(ようせつ)した者の宿命と言えば、そうであろう。にもかかわらず、公共放送が企画したという背景にあるのは「LGBT」(性的少数者)の権利拡大という時流に乗り遅れまいとする、「宮澤家」もそれを承認した新手の”神話づくり”とは言えないだろうか。

 

 

 

 

 

(写真は在野の研究者の2冊の力作。この地道な探求がない限り、賢治はいつの時代でも都合の良いように利用されかねない)

 

 

 

《追記ー1》~文中の鈴木守さんから、賢治の“同性愛”説についての独自の見解が寄せられた。私自身、その考えに同調する観点から、以下にその内容を記したブログ「みちのくの山野草」をご紹介する。

 

Eテレ「宮沢賢治~慟哭の愛と祈り」、はたして如何なものか - みちのくの山野草 (goo.ne.jp)

 

 

 

《追記―2》~いい加減にせんか!?

 

 「フラワ-ロ-ルちゃん(地域キャラクタ-)缶バッチについては、市の職員の手作りということでございまして、数をどれだけ作ることができるか、600個は用意いたしますけれども、それ以上のご希望がある方に対して、どれだけ対応するかということについては、できるだけ対応していきたいなというふうに思っております」(4月定例記者会見における上田東一市長の発言)―

 

 正直、ぶっ飛んでしまった。賢治没後90周年のお祭り騒ぎについては当ブログでも苦言を呈したが、今度はタイアップキャンペーンのプレゼント用の缶バッチを職員たちが手づくりしているという「ハッ」。まさか勤務中の作業ではあるまいが、おもちゃ屋のアルバイト料のために税金を納めているんじゃないぞ。図書館とか橋上化とか職員が叡智を集めなきゃならない案件が山積する中、いい加減に目を覚まさんか。「この親にして、この子あり」….。官民を挙げた賢治の新たな”聖者伝説”が生み出されつつある。

 

 

《追記ー3》~ブログ休載のお知らせ

 

 既存ブログの整理のため、新規掲載はしばらくの間、休ませていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その9)~『街とその不確かな壁』、そして「夢読み」と古い夢たち

  • 夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その9)~『街とその不確かな壁』、そして「夢読み」と古い夢たち

 

 「トンネルというか、現実の世界と異次元の世界を行ったり来たりして、最終的に自分がどっちに行くのか分からなくなるのが僕の小説の1つのあり方だと思う」―パラレルワ-ルド(並行時空)を描かせたら、右に出るものはいない作家の村上春樹さんの最新長編『街とその不確かな壁』は街を隔てる壁の「あっち」と「こっち」の物語である。その想像力の射程の長さに圧倒されながら、この二つの街の舞台がともに図書館であることにハタと心づいた。“図書館狂騒曲”に翻弄(ほんろう)される日々…私はまるで誘われるようにして、この風変わりな図書館の往還を繰り返していた。

 

 普通の図書館がある街から壁をくぐりぬけて、向こう側の街へ行くためには自分につきまとっている自分の「影」を捨てなければならない。つまり、「影なし人間」への変身が求められる。こうして「ぼく」が越境した先に現れた図書館には10代の女性司書がひとり。「あなたは<夢読み>になるのよ」とひとこと。「図書館の書庫で、そこに集められたたくさんの<古い夢>を読んでいればいいの」と続ける。なるほど、書庫には一冊の本もない。「夢読み」が読む「古い夢」とは…。そうか、図書館とはその空間に幾層にも蓄積された古い夢たちを読み解くことだったのかと、妙に得心した。ところが、得心した途端にわれに返った。

 

 「新図書館 若者のため駅前に」―。4月20日付「岩手日報」の声欄に65歳の介護施設世話人の女性(65歳)の投書が載った。こんな内容だった。「駅は夕方から夜にかけて、近隣の高校生が集ってきます。寒い日は冷たい風が駅舎の待合室にも入ってきます。図書館があれば、電車や迎えを待つ間、勉強や友人との交流もできるのではないでしょうか」―。この図書館“待合室”説こそが普通の市民感覚ではなかったのかと正直、合点した。図書館とは何ぞやという「図書館」論議の基本的な本題設定を怠った当然の結末である。最初から、高校生や若者たちの利便性を図るための「駅前交流(広場)」構想を打ち出していれば、新図書館問題がこれほどの迷走を繰り返すことはなかったはずである。

 

 わが街の謳い文句「イ-ハト-ブ」とは…郷土の詩人、宮沢賢治が「実にこれは著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリ-ムランドとしての日本岩手県である」(『注文の多い料理店』広告チラシ)と書き残しているように、この地はまさに「夢の国」(ドリームランド)そのものである。その夢の国から私を含めた夢読みたちを追放しようというのなら、もう一度「影なし人間」になって、賢治がこしらえてくれたもうひとつの理想郷「銀河宇宙」へと飛翔(ひしょう)するしかあるまいと思う。

 

 「村上春樹ライブラリ-」(正式名、早稲田大学国際文学館)が2021年10月、同大学構内にオ-プンした。自著や50カ国以上に翻訳されている訳書、収集したレコ-ドなど「まるごと春樹」が満載。『街とその…』のあとがきの中で、著者はこう書いている。「真実というのはひとつの定まった静止の中にではなく、不断の移行=移動する相の中にある。それが物語というものの真髄ではあるまいか」―。村上ワ-ルドを彷徨(ほうこう)していると、いつも賢治との遭遇を感じてしまう。たとえば、賢治は『春と修羅』の序をこんな書き出しで始めている。

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です」…。そういえば、今回の村上作品のもう一方の主役は幽霊たちである。賢治との親和性も実はここにある。表題の「夢の図書館」はだからこそ、賢治の一切合財を集めた「宮沢賢治ライブラリ-」の実現でなければならない。脱出するのはまだ、早すぎるかもしれない。

 

 

 

 

(写真は村上文学のこれまでの集大成ともいえる『街とその不確かな壁』)
 

イ-ハト-ブ“迷走”交響曲…「場所はどこでもいい」!!??

  • イ-ハト-ブ“迷走”交響曲…「場所はどこでもいい」!!??

 

 「基本的には場所はどこでもいい。建物ができてしまえば後は世代を超えた協同の機運が自然に熟してくる」―。新花巻図書館の立地論争が二分される中、「利用者本位の開かれた図書館とは」と題する講演会が23日、東和図書館で開かれた。「東和図書館結いの会」(日下明久美代表)の主催で、時宜を得た企画とあって約40人の市民が町内外から足を運んだ。講師は新図書館のアドバイザーを務める富士大学の早川光彦教授(経済学部=図書館学)。私が喫緊の行政課題である立地場所について質問したのに対する回答が冒頭の”びっくり”発言だった。考えて見れば、市が後援していること自体が不自然なことだった。

 

 私は次の3点について、質問した。①現在、新図書館の立地場所として、市が第1候補に挙げるJR花巻駅前に対し、旧花巻病院跡地への立地を望む市民の声も大きくなっている。市民の意見が二分されつつあるこの現状をどう認識し、その原因はどこにあると考えるか、②これまで高校生や各種団体などへのアンケ-ト調査が実施されたが、公平性が担保されたのは不特定多数の一般市民を対象にした説明会(計17回)だけである。その際の発言者の32人は病院跡地を希望し、駅前立地を希望したのは18人。この数字をどう評価するか、③高校生の意見集約は統計学上の原則(たとえば、無作為抽出や有意性のあるサンプル数など)を無視した手法になっており、その蓋然性に疑義が残る。市民全員の意見集約をするためにはどんな方法があるか―

 

 質疑応答の中で、早川教授は「図書館は民主主義の学校と呼ばれ、進化を続ける有機体にもたとえられる。この過程には意見の多様性が当然、生じる」と話し、具体的な立地場所については「立場上、私からは言えない」と言葉を濁した。そう、まさに「立場」がそうさせているのである。早川教授は「としょかんワ-クショップ」(2020年7月~10月)と2年前に設置された「新花巻図書館整備基本計画試案検討会議」のアドバイザ-として、現在に至っている。つまり、「駅前立地」という市側の構想に実質的な“お墨付き”を与えた当事者のひとりと言える立場にある。さらには双方の間に「報酬」の授受関係があることも忘れてはならない。このことを専門筋では「ステ-クホルダ-」(利害関係者)と呼ぶ。

 

 「場所はどこでもいいというが、私たちのグル-プはどこが一番、図書館にふさわしいのかとずっと勉強し、議論を続けてきた。こんな言い方はない」、「駅前派とか病院派とか市民を分断する空気がいやになってきた。双方が率直に意見を交換するような場を設置すべきではないか」…。こんな発言が相次ぐ中、会場ではそれを妨げようとする下卑たヤジや、「あの人は誰だ。妨害者がまぎれ込んでいるんでは…」といったささやきがもれ聞こえた。元鳥取県知事で総務大臣を歴任した片山善博さん(71)が以下のような発言したのは8年前。当市の行政はもはやその体(てい)をなしていないと言わざるを得ない。煎じて飲ませる”処方箋”さえもう、見当たらない。

 

 「私は図書館が専門ではなく、地方自治が専門だ。なぜ、図書館について一生懸命なのかとよく聞かれるが、今の日本の図書館を考えることは日本の地方自治の在り方を考えるのと同じ。(そのために)図書館は必須で不可欠のもの。その図書館の在り方に対して、住民が行政に発言する機会がない。日本の議会にはいっさい、そういう時間はない。それを変えるには、図書館が最もわかりやすい例ではないかと思っている」(2015年5月、「図書館と地域をむすぶ協議会」主催のシンポジウムでの発言)。片山さんには『地方自治と図書館―「知の地域づくり」を地域再生の切り札に』というタイトルの共著もある。

 

 

 

 

(写真は会場を埋め尽くした参加者。活発な意見交換が行われた=4月23日午前、東和図書館で)

 

 

 

夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その8)~世代をつなぐ”架け橋” 「丘の上の本屋さん」

  • 夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その8)~世代をつなぐ”架け橋” 「丘の上の本屋さん」

 

 『イソップ寓話集』『星の王子さま』『白鯨』『ロビンソン・クル-ソ-』『アンクル・トムの小屋』…。アフリカの最貧国から移住してきた少年エシエンには本を買うお金がない。古書店の店主リベロ(イタリア語で「自由」の意)は好奇心旺盛な少年に文学書から専門書まで次々と貸し与えていく。世代をまたぐふたりの間に「本」を通じた交流が生まれ、それがやがてエシエンの成長につながっていく。イタリア映画「丘の上の本屋さん」(クラウディオ・マッシミ監督、2021年)を観ながら、逆に世代間”ギャップ”をあおるような足元の図書館騒動にほとほと、愛想がつきてしまった。

 

 体調の不調を訴えるリベロは11冊目の本を手渡しながら、「今度は貸すんじゃなくて、君への贈り物だ」とポツリともらす。読み終えた感想を伝えようと店に向かったエシエンは「喪中」の張り紙に呆然と立ち尽くす。隣りのカフェで働く青年がリベロから託されたという手紙をひったくるようにして、いつも読書に夢中になる公園へと走り去る。プレゼントされたのは『世界人権宣言』(1948年12月10日国際連合総会採択)。その第1条にはこう定められている。「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」―。エシエンに対するリベロの最後のメッセ-ジだった。

 

 「こんな本こそ、多くの人に読んでもらいたい」とリベロが独りごちる場面がある。政府による検閲などによって発禁になったその専用本棚の中に『怒りの葡萄』(ジョン・スタインベック、1939年)が並んでいた。ふいに2年ほど前に観た米国映画「パブリック―図書館の奇跡」(エミリオ・エステベス監督、2018年)のシ-ンを思い出した。大寒波の中、図書館を占拠した黒人ホ-ムレスたちの奇想天外な姿を描いた映画で、コロナウイルスの脅威と未曾有の自然災害にさらされる現代社会にとって、「図書館の役割とは何か」―を根底から考え直すきっかけが与えられる作品である。

 

 「今夜は帰らない。ここを占拠する」―。米オハイオ州シンシナティの公共図書館を根城にしているホ-ムレスのリ-ダ-が突然、エステベス監督自身が扮する図書館員のスチュア-トにこう告げたことから、上を下への“騒動”へと発展する。「図書館のル-ルを守るべきか、ホ-ムレスの人権を優先させるべきか」―。スチュア-トがホ-ムレスの占拠を優先させる決断をした際に口にしたのは意外にも『怒り葡萄』の一節だった。「ここには告発しても足りぬ罪がある。ここには涙では表しきれぬ悲しみがある」……

 

 大恐慌下、貧困移民層をめぐる社会差別を告発したこの本は保守層からの反発もあり、一時図書館の本棚からも撤去される事態となった。この禁書問題がのちに、“図書館憲章”とも呼ばれる米国の「図書館の権利宣言」(1948年)の誕生につながったことは余り、知られていない。図書館の役割について、「パブリック」のパンフレットにはこんなことも書かれている。「図書館員は事実上のソ-シャルワ-カ-であり、救急隊員だ。オピオイド(鎮痛剤)過剰使用時の救命薬の取り扱い訓練を図書館員が受けるケ-スも珍しくない」。そして「丘の上の本屋さん」のエピグラフはこう記す。「持ち主が代わり、新たな視線に触れるたび、本は力を得る」(スペインの作家、カルロス・ルイス・サフォン)―

 

 

 

 

(写真は孫のようなエシエンと本談義を交わすリベロ。イタリア中部の石畳のまちのたたずまいが心をホッとさせる=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その7)~「旅する本屋」と「丘の上の本屋さん」

  • 夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その7)~「旅する本屋」と「丘の上の本屋さん」

 

 “図書館狂騒曲”の渦に飲み込まれて辟易(へきえき)する中、ふと3年前の「あの日」の不気味な静寂を思い出した。2020年4月16日、コロナ禍に伴う「緊急事態宣言」は全国に拡大された。“ステイホ-ム”という聞きなれない言葉にうろたえながら、「当分は家に閉じこもって本と付き合うしかないな」とまんざらでもない気分になった。最初に手に取った“コロナ配本”の第1号は『モンテレッジォ/小さな村の旅する本屋の物語』。筆者はイタリア在住の日本人ジャ-ナリスト、内田洋子さん。いま考えるとこれもまた余りにも偶然にすぎるが、私がこの本の読後感をブログに記したのは緊急事態宣言が発出された3日後だった。こうして、コロナ禍における”本漬け”の日々がスタートした。

 

 「イタリア、トスカ-ナの山深い村から、本を担いで旅に出た人たちがいた。ダンテ、活版印刷、ヘミングウェイ。本と本屋の原点がそこにある」―。こんなキャッチコピ-にひかれて一気に読んだ。パンデミックというかつて経験したことのない風景の激変が逆に「本」という存在の大切さを教えてくれたのかもしれない。その時の気持ちの高ぶりを思い起こそうと再読した。

 

 「この山に生まれ育ち、その意気を運び伝えた、倹(つま)しくも雄々しかった本の行商人たちに捧ぐ」―。イタリア北部の山岳地帯に位置する寒村・モンテレッジォの広場の石碑にはこう刻まれている。この村の歴史を追った内田さんはこう記す。「彫られているのは、籠(かご)を肩に担いだ男である。籠には、外に溢れ落ちんばかりの本が積み入れてある。男は強い眼差しで前を向き、一冊の本を開き持っている。ズボンの裾を膝まで手繰(たぐ)り上げて、剥き出しになった脹脛(ふくらはぎ)には隆々と筋肉が盛り上がり、踏み出す一歩は重く力強い」―

 

 「石から本へ」―。200年以上前の1816年、北ヨ-ロッパや米合衆国北東部、カナダ東部では夏にも川や湖が凍結するという異変に見舞われ、「夏のない年」と呼ばれた。宮沢賢治の「サムサノナツ」(「雨ニモマケズ」)を彷彿(ほうふつ)させる光景である。モンテレッジォも壊滅的な被害を受けた。栗以外に主産物に恵まれない村人たちはかつて、岩を砕いた「砥石(といし)」をヨ-ロッパ中に売り歩いた。その時に鍛えた肉体が役に立った。屈強な男たちは今度は石のように重い本をカゴに入れて担いだのである。「『白雪姫』、『シンデレラ』、『赤ずきんちゃん』、『長靴を履いた猫』など、子供向けの本はよく売れましたね。ことさらクリスマス前は盛況でした」と行商人の末裔は文中で語っている。

 

 「丘の上の本屋さん」というタイトルの映画の広告が目に止まった。これもまた、イタリア映画である。宣伝文にこうある。「イタリアの最も美しい村のひとつに数えられるチビテッラ・デル・トロントを舞台に、年齢や国籍の違いを超え、本を通して老人と少年が交流する姿を描いたハ-トウォ-ミングスト-リ-」―。本とはまるで縁がないような不毛な「図書館」論議に翻弄(ほんろう)される日々…。早く観たいと、気持ちが急(せ)かされるばかり。そう言えば、村上春樹さんの最新作『街とその不確かな壁』は旧作に推敲を重ねながら、コロナ禍の3年間をかけた力作。これも読まねばなるまい。さっそく、注文した。

 

 モンテレッジォの村人たちは70年前、本への感謝を込めて、最も売れ行きの良かった本を選ぶ「露天商賞」を創設。第1回目にはヘミングウエイの『老人と海』が選ばれたという。わがイ-ハト-ブの図書館関係者にはこの心意気の爪のアカでも煎じて飲んでほしいものである。

 

 

 

 

 

(写真はモンテレッジォの村の広場に建つ「本の行商人」をたたえる石碑=インタ-ネット上に公開の写真から)