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「JR花巻駅橋上化」戦争が終結…“ワンセット”疑惑など真相は闇の中

  • 「JR花巻駅橋上化」戦争が終結…“ワンセット”疑惑など真相は闇の中

 

 「JR花巻駅橋上化」にかかる関連予算が9日開会の花巻市議会予算特別委員会の最終日で可決され、2年間にわたった“橋上化”戦争の攻防に終止符が打たれた。この日上程された「JR花巻駅東西自由通路等整備事業」(3,178千円)については、櫻井肇議員(共産党花巻市議団)と本舘憲一議員(はなまき市民クラブ)が「実質的な新駅建設で、投資効果上も疑義がある。さらに、その手法に透明性が欠ける。受益のほとんどがJRなのに市が事業主体になっているのは納得できない」などとして反対討論をした。採決の結果、賛成18VS反対6で、当初予算は原案通り可決された。昨年夏の市議選で市長与党と目される「明和会」(8人)が議員数の一番多い“第1会派”となったことも今回の逆転劇を後押ししたと言える。

 

 この案件については2年前の3月定例会(2021年)で、整備にかかる調査費(2,603万円)が「より多くの市民の意見を聞くべきだ」として、14対11の賛成多数で否決された経緯がある。その直後、各種団体から橋上化推進の要望が相次ぎ、“やらせ要望”ではないかなどと迷走を繰り返した。こんな中、市側は6月定例会に同額の予算を再上程し、議会側は①花巻駅利用者を含め、より多くの市民の意見聴取を図りながら、調査実施に努めること、②調査結果は速やかに市民や議会に公表し、事業実施の際は市民参画を図りながら進めること、③JR東日本との協議においては、応分の負担を強く求める等、事業費の圧縮に努めること―の3項目の付帯決議を付して、可決した。

 

 「(JR所有の)駅前の土地については、購入するためにJR本社の社長の許可が必要となる。現在でも盛岡支社と話し合いをしているが、花巻市としてJRの社長が許可を出した際には図書館を建設するという決定に近い話がなければ社長に話せないと言われている。JRは花巻駅の橋上化をやりたいと思っており、橋上化の話が進めば、土地の売買について真剣に話をしてくれる可能性はある。橋上化がなくなった際には、駅前に図書館を建設することについてもどうなるか分からない」(2022年6月28日開催の松園地区の市政懇談会での市長発言)―。こうした中で突然浮上したのが、橋上化と新花巻図書館の駅前立地との“ワンセット”疑惑だった。

 

 昨年の9月定例会で伊藤盛幸議員(はなまき市民クラブ)がこの点をただしたのに対し、上田東一市長は「反問権」を振りかざしながら、こう抗弁した。「言葉尻をとらえるのでなく、互いに前向きに検討していこうではありませんか。仮に図書館が駅前のJR所有地に立地できなかったとしても、駅周辺の活性化のため、橋上化は着実に進めていきたい」―。この日の予算審議で橋上化路線に急発進の舵を切った一方で、逆に注目を浴びるのは“ワンセット”とのもうひとつのプロジェクトである新花巻図書館の行方である。

 

 その立地場所としては市側が第1候補に挙げるJR所有の駅前スポ-ツ店用地に代わって、旧総合花巻病院跡地が有力候補地として市民の関心を集めている。この日の委員会でも久保田彰孝議員(共産党花巻市議団)はこう力説した。「市民の健康を守ってきた花巻病院の創立から今年がちょうど100周年。眼下に町並みを望み、背後に霊峰・早池峰を背負うこの景観こそが図書館立地の最適地。この光景を実際に見た市民の多くが、ここしかないと言っている。市長の決断を促したい」―。“別物”論を掲げる上田市長がどう決断するのか。さらに立地場所について、駅前と病院跡地とに分かれた市民の意見集約を今後、どのような方法で集約しようとするのか―その一挙手一投足から目が離せない。

 

 

 

 

 

(写真は橋上化“戦争”に終結を告げた瞬間。最上段の右端が高橋議員。今後の市民の関心は新図書館の立地場所に=3月9日午前、花巻市議会議場で。インタ-ネットの議会中継の画面から)

 

 

 

《追記》~“二枚舌”議員の矜持とは!?

 

 「巨額な予算を要する公共施設の事業実施可否は、市民参画ガイドラインの中でも示されているとおり、建設の趣旨が市全域に関わり、多くの市民が等しく利用できる施設であるか否かについて、その必要性、将来性を、今後の財政状況を見据えながら、この本会議場で採決されるべきものであります」―。2年前の3月定例会一般質問でこう述べ、橋上化関連予算案に反対の意思表示をした高橋修議員(明和会、当時は「市民クラブ」所属)がこの日は一転、賛成に回った。状況に応じて考えが変わるのはあり得ることであるし、あってしかるべきことでもあるが、こう大見えを切った以上は堂々と”賛成”討論を披歴するのが、議員たるものの最低限の矜持(きょうじ=たしなみ)というものであろう。

 

 

 

 

夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その5)~キラ星の〝賢治人脈図〟

  • 夢の図書館を目指して…「甲論乙駁」編(その5)~キラ星の〝賢治人脈図〟

 

 「ぼくの好きな宮沢さんの『雨ニモマケズ』という詩が学校の天井に貼ってありました。ぼくはいつでもその下でそれを眺めていました。これはどういう人で、どういうことを考えていたかということを、毎日のように思っていました。こんな人に俺もなれるんじゃないかと思ったこと自体が、もうお話にならない。ばかげた青春のいたずらだと思います」―。評論家、吉本隆明さん(1924-2012年)の開口一番に私は思わず、腰を抜かしそうになった。戦後最大の思想家ともいわれた“巨人”はこう、続けた。「ぼくはこれまで、いろんな人の悪口を言ってきましたが、言わなかった人っていうのは、宮沢賢治ぐらいです」

 

 自著に『宮沢賢治』(1989年)や『宮沢賢治の世界』(2012年、没後刊)を持つこの巨人は、私たちの世代にとっては思想界の旗手ともてはやされていた。とくに、「遠野物語」や「古事記」に光を当てた代表作『共同幻想論』(1968年)はまるでバイブル視されて、回し読みされた。車いすに身を沈めたその人が目の前で自在な“賢治論”をぶっている。時はさかのぼること14年前の「宮沢賢治賞・イ-ハト-ブ賞」の授賞式…吉本さんは2009年、第19回賢治賞を受賞した。

 

 「宮沢さんははじめっから、関係は横に求めることよりも縦に求めようじゃないか。つまり、自分は銀河系の一員である。銀河系の、地球をめぐらしている太陽系の中の陸中のイ-ハト-ブなんていうふうに宮沢さんは言っている。となりの人と関係してというよりも真っ先に、人は天の星と関係していると考えている。宮沢さんの思想というのはそこから生まれてきたんです」―。受賞あいさつを聞きながら、この巨人をしてこう言わしめる「賢治」という存在の大きさに逆に圧倒されそうになった。

 

 「この土地で『なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か』と、しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映(おもはゆ)いし、道楽だと呼ぶのは余りに露悪的だし、自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の『セロ弾きのゴ-シュ』の話です」―。3年前、アフガニスタンでテロの凶弾に倒れた医師の中村哲さん(享年73)は2004年、第14回イ-ハト-ブ賞を受賞。現地から「わが内なるゴーシュ、愚直さが踏みとどまらせた現地」と題したこんなメッセ-ジを寄せた。

 

 中村さんの母方の伯父は作家の火野葦平で、外祖父は日本有数の炭鉱地帯・筑豊の荷役を一手に請け負ったヤクザ(任侠)の血を引く玉井金五郎である。火野の長編小説『花と竜』は父親の玉井をモデルにした作品で、映画化もされた。受賞後、中村さんが講演のために当地を訪れたことがあった。質問の段になって、私は手をあげた。「中村さんの中にはヤクザの血が流れているんじゃないですか。ぶれることのない姿勢を見ているとそうとしか思えないんですが…」―。内心、ぶしつけな質問かと思ったが、ひげ面の中村さんはニャッと笑って答えた。「実は私もそう思っているんですよ」

 

 「荒野に希望の灯をともす」―。井戸や用水路を掘り、アフガンの荒地に緑をよみがえらせた中村さんの35年間の記録が昨年、映画化された。絶筆となった『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』(2021年10月、没後刊)は自らをゴ-シュの“愚直さ”と重ねた自画像ともいえる。それにしても、賢治が蒔(ま)いた「マコトノクサノタネ」(「花巻農学校精神歌」)が人知を凌駕する幾多の人材を生み出してきた事実に瞠目させられる。キラ星のような「賢治人脈」の一端を「宮澤賢治賞・イ-ハト-ブ賞」の受賞者の中から、以下に紹介する。たとえば、”銀河鉄道始発駅”みたいな人脈コーナーを設置すれば、「イ-ハト-ブ図書館」の売りになること請け合いである。

 

 1991年に創設された二つの賞の受賞者は奨励賞を含めると、賢治賞が68個人・団体、イーハトーブ賞が65個人・団体の計133に上る。

 

 

・高木仁三郎(物理学者)~1995年第5回イ-ハト-ブ賞

・井上ひさし(作家)~1999年第9回同賞

・池澤夏樹(作家)~2003年第13回賢治賞

・中村哲(医師)~2004年第14回イ-ハト-ブ賞

・高橋源一郎(作家)~2006年第16回賢治賞

・ロジャ-・パルバ-ス(作家、翻訳家)~2008年第18回同賞

・吉本隆明(評論家)~2009年第19回同賞

・むの たけじ(ジャ-ナリスト)~2012年第22回イ-ハト-ブ賞

・冨田勲(シンセサイザ-奏者)~2013年第23回賢治賞

・藤城清治(影絵作家)~2014年第24回同賞

・高畑勲(アニメ作家)~2015年第25回イ-ハト-ブ賞

・色川大吉(歴史家)~2017年第27回同賞

・北川フラム(ア-トディレクタ-)~2019年第29回賢治賞

・今福龍太(文化人類学者)~2020年第30回同賞

・毛利衛(宇宙飛行士)~2021年第31回イ-ハト-ブ賞

 

 

 

 

(写真は故中村哲さんの足跡を記録した映画ポスタ-=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~人生の羅針盤

 

 私が新聞記者として初めて遭遇した最大の出来事は「三池炭鉱炭じん爆発事故」(1963年=福岡県大牟田市)で被災し、重篤な後遺症に苦しむ患者たちの取材だった。458人が死亡し、839人が不治の病と言われた「一酸化炭素(CO)中毒」に侵された。九州大学医学部を卒業した中村さんがその時、若き精神科医の研修生として、患者の治療に奔走していたことをあとで知った。当時、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の現場で、互いにすれ違っていたかもしれない。いま思えば、その時の運命的な”出会い”が6歳年下ながら、私が彼を人生の師と仰ぐきっかけだったように思う。故中村医師のそれが賢治、いやゴ-シュであったように…

 

 

 

 

もうひとつの「跡地」論争…花巻市議会一般質問最終日~上田流“二枚舌”

  • もうひとつの「跡地」論争…花巻市議会一般質問最終日~上田流“二枚舌”

 

 「観光立市を掲げる当市の中心市街地に瓦礫(がれき)が放置されて、すでに6年半が経過した。基礎杭(くい)や瓦礫、擁壁などの撤去に要する調査費として今回やっと、予算(3月補正2,600万円)が計上された。遅すぎたきらいはあったが、今後の利活用に向けてぜひ、市で取得してほしい」―。3日開催の花巻市議会一般質問の最終日、本舘憲一議員(はなまき市民クラブ)はこう問いかけた。前日の一般質問では新花巻図書館の立地場所として、旧総合花巻病院跡地が論戦の中心になったが、上田東一市長が初当選(平成26年)した直後、隣接する工場敷地をめぐって「もうひとつの跡地」騒動が持ち上がっていた。

 

 今から約9年前の平成26(2014)年秋、花巻城址に工場を構えていた旧新興製作所が広大な敷地の土地譲渡の方針を打ち出した。「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)によって、その優先取得権は地元自治体に与えられていた。売却額はわずか100万円だったが、建物の撤去費用などとして、約7億7千万円が見積もられていた。市民の間には「歴史的にも由緒ある土地。利活用には大きな経費はかかるが、将来を見すえて取得すべきだ」という声が広がった。「新興跡地を市民の手に!!あきらめるのはまだ早い」市民総決起大会も開かれ、200人以上の市民が取得を訴えた。

 

 「都市機能誘導区域内に位置する対象施設ではなく、利活用の目的も定まらない案件に市民の貴重な税金を投入するわけにはいかない」―。結局、市側は取得断念し、町なかの一等地は民間の不動産会社の手に渡った。その後、建物の解体業者らとのトラブルなどで工事は中断。現在は破産宣告を受けた業者に代わって、管財人の管理下の置かれたまま、“瓦礫の荒野”が無惨な光景をさらし続けている。さらに、盛岡城址を中心にしたまちづくりを進めている盛岡市が「訪れたいまち・世界52選」(NYタイムズ紙)で第2位に選ばれたというニュースが両者の行政市政の乖離を際立たせた。

 

 「今回、旧病院跡地の病棟撤去や土壌改良などにざっと9億円かかったが、全額相手側が負担することで合意した。新興の教訓が役に立った」―。上田市長は前日の図書館論戦の際、こんなことをふと、口走った。当時、現役の市議だった私はあの時の一部始終を記憶している。上田市長はこう語っていた。「所有者の業者はたしかに悪質だった。このため、瓦礫は放置されたままになったが、最終的には巨大な工場群が撤去された。『安物買いの銭失い』をしなかったという意味で、取得しなかったのは正しい選択だった」―。跡地にパチンコ店やホ-ムセンタ-を立地するという業者側の計画に反対した議員は「花巻クラブ」(当時、5人)だけ。「パチンコ店歓迎」の旗振り役したのは革新会派の議員だった。

 

 あの時から足掛け9年―。上田市長は今3月定例会初日の施政方針演述でこう述べた。「当該(新興)跡地が、歴史的に由緒ある場所であることや景観上の問題も考慮した場合、(城址の)上部平坦地だけでも市が取得の可能性を検討するとの観点から…」。一体、瓦礫を放置したまま、この6年半の長きにわたって、景観を損ねてきた行政責任をどう考えているのだろうか。余りにも自分に都合の良い身勝手な言い草ではないか。これを称して、“二枚舌”(ダブルスタンダ-ド)というのだろう。ちなみに、旧病院跡地を含む「まなび学園」周辺を新花巻図書館の立地場所の第1候補に挙げたのは他でもない上田市長その人である。「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月策定)の中にはその位置づけが次のように明記されている。

 

 「今後、『まちなか(中心拠点)』を維持・存続していくために、都市再生整備・計画事業や土地利用計画において位置づけている短中期における整備事業等の継続的な実施に向けて検討します。○総合花巻病院移転整備(県立花巻厚生病院跡地への移転)○花巻高等看護専門学校移転整備○花巻図書館(生涯学園都市会館=まなび学園周辺への移転)…」

 

 「あきらめるのはまだ早い!!新花巻図書館を旧病院跡地へ」―。多くの市民を巻き込んだ「旧新興跡地」運動がいままた、草の根みたいに息を吹き返しつつあるような気がする。「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」の設立趣意書はこう結ばれている。

 

 「分断と混迷を深める現代に、図書館の重要性はますます増しています。誰でも無償で、あらゆる知に広く深くアクセスでき、多様な市民がつながることができる図書館は、人とまちをつくります。賢治は、イ-ハト-ブでは『あらゆる事が可能である』と書いています。これは、想像力が人を自由に豊かにするという、賢治からのメッセ-ジだと考えます。想像力を育む図書館こそ、未来への投資です。花巻の豊かな資源を活かせる、病院跡地での建設を望みます」

 

 

 

 

(写真は「新興跡地」問題を問いただす本舘議員=2月3日午前、花巻市議会議場で、インタ-ネットによる議会中継の画面で)

 

 

 

 

図書館論争第2弾…花巻市議会一般質問2日目~上田流“詭弁”が破綻する時

  • 図書館論争第2弾…花巻市議会一般質問2日目~上田流“詭弁”が破綻する時

 

 「破綻する瞬間とは意外とあっけないもんだな」―。詭弁に詭弁を重ねてきた上田東一市長の新花巻図書館をめぐる「駅前」立地構想が2日開会の花巻市議会一般質問でその矛盾を白日の下にさらした。伊藤盛幸議員(はなまき市民クラブ)の追及に対し上田市長は突然、その発言をさえぎろうとしたり、反問権を振りかざすなど“荒れる議会”の様相を呈した。これではまるで、殿ご乱心の体(てい)ではないか。

 

 伊藤議員が立地場所について、市側が第1候補に挙げているJR花巻駅前のスポ-ツ店用地と旧総合花巻病院跡地に関連して「病院跡地は市で買い取ることで双方が協定で合意しているのに対し、駅前のJR用地は新規取得になる。市民の多くは税金の二重払いではないかと思っている。市長はこれについて、かねてから『タダではない』発言を繰り返してきたが、改めて市長の真意を伺いたい」と迫った。この“詭弁”のからくりについては当ブログ(2022年12月11日付)で以下のように分析している。

 

●「タダ」発言のからくりを整理しようと思い、市長答弁の録画を聞き直してみた。「たとえば、市が独自にその土地(病院跡地)を他の目的に使おうとした場合、(そこに図書館が建っていれば)新たに土地を求めなければならない。そうすればまた、金がかかってしまう。だから、タダではないと言ったんです。将来的には民間活用(譲渡)ということもあり得る」(12月定例会における市長答弁)―。お得意の数字をちらつかせながら、図書館の病院跡地への立地へ「NO」サイン(予防線)を出したというのがミエミエ。それにしても、いかにもこの人らしい、なかなか手の込んだ“詭弁”ではないか。

 

 「屋上屋を重ねる」とはこのことを言うのであろうか。この日の質疑で上田市長はさらに踏み込んでこう述べた。「病院跡地は立地条件に恵まれており、多面的な有効利用の可能性がある。たとえば、子育て施設や市庁舎、公園化などを望む声が出てくることも考えられる。それを実現するためには他に新しい土地を求めなければならない。そうなると、別の支出を要することになる」―。“詭弁”の破綻はそのすぐ後に続いた。

 

 「事業を進めるに当たって一番重要なのは、それによって生み出される費用対効果(コストパフォ-マンス)。市側としては駅を利用する高校生や若い世代、通勤客などが利用しやすい駅前立地の方が費用対効果の面からも有効と考えている。仮に用地取得費や立体駐車場などの総事業費が病院跡地に比べて高価になったとしても、将来的にはその選択が正しかったと言えると思う。いずれにせよ、双方の事業費比較を市民に示して判断を仰ぎたいが、場合によっては費用対効果よりも事業費が安い方に立地することもあり得る」―。”支離滅裂”を地で行くような論理破綻…この上田答弁に伊藤議員はすかさず、切り返した。

 

 「論理のすり替えではないか。たとえば、駅を利用する高校生の多くが駅前立地を望んでいるという数字がHP上でひとり歩きし、まるでそれが高校生を代表する意見のように受け取られている。この数値に根拠はあるのか。実数を明らかにしてほしい」。伊藤議員がこう追及したのに対し、市川清志生涯学習部長はいったんは「(その数字は)把握していない」と答えたが、その直後に建設部の事務方が手渡した資料を見ながら、ボソボソと答えた。「失礼しました。花巻北、南、東の各高校の在籍数2千人のうちの駅利用者は800人、花北青雲高校は456人うち160人となっています」と明らかにした上で、取ってつけたように続けた。

 

 「駅を利用しない高校生の間でも友だちと待ち合わせる場所としては駅前の方が良い。図書館には勉強スペ-スもあり、利用しやすい。こんな声が多いのも事実です」―。「語りに落ちる」というのはこのこと。駅利用者の実数が予想以上に少ないのは、実は市側にとっては「不都合な数字」なのである。「友達の多くも自転車通学。駅に立ち寄る機会もほとんどない」(知人の高校生)、「娘が東和町から列車通学していた。昼間は授業、帰りは部活で乗り遅れないようにするのが精一杯」(ある母親)…。こんな声は闇に葬り去られたままである。思えば、3年前の「賃貸住宅付き図書館」の駅前立地という、”家賃収入”の費用対効果が皮算用に帰した結果、代わりに“代役”として登場させられたのが純粋な高校生など若者世代だった。考えて見れば、随分とむごい話ではないか。

 

 それにしても、上田市長はなぜこれほどまでに「駅前立地」にこだわるのだろうか。闇(ナゾ)は逆に深まるばかりである。

 

  

 

 

 

 

(写真は語気鋭く上田市長に迫る伊藤議員=3月2日午後、花巻市議会議場で、インタ-ネットの議会中継の画面から)

 

 

図書館論戦がスタ-ト…花巻市議会一般質問初日~上田流“詭弁”が全開

  • 図書館論戦がスタ-ト…花巻市議会一般質問初日~上田流“詭弁”が全開

 

 市民の意見が二分される形で迷走を続けている「新花巻図書館」問題をめぐって、28日開会した花巻市議会3月定例会の一般質問で論戦の火ぶたが切られた。関心の高まりを反映してか、ふだんは閑散としている傍聴席には20人以上の市民が詰めかけた。この日は久保田彰孝議員(日本共産党市議団)と羽山るみ子議員(はなまき市民クラブ)ら3人がこの問題を取り上げた。「賃貸住宅付き図書館」の駅前立地という複合構想が白紙撤回されてすでに3年以上。現在に至っても先の見えない「JR」交渉について、市民の間には「もうそろそろ、政治決断すべき時ではないのか」といういら立ちの声も聞かれるようになった。

 

 「市側が立地場所の第1候補に挙げているJR花巻駅前のスポ-ツ店用地について、JR側との土地譲渡交渉はその後、進展はあるのか。旧総合花巻病院跡地への立地の可能性をどう考えているか」と久保田議員がただしたのに対し、上田東一市長と市川清志生涯学習部長は交互にこんな答弁を繰り返した。「スポ-ツ店用地とその周辺の土地を譲ってほしいという要望は伝えているが、まだ回答はない。病院跡地への立地を望む市民がいる反面、高校生や各種団体などは駅前にこだわっており、市民全体の意見集約はまだできていない。市民の意見が病院跡地に集約され、仮にJR交渉が不調に終わった場合は駅前立地を断念する可能性はある」

 

 一方、羽山議員は「そもそも高校生が駅前に求めているのは本当に図書館なのか。図書館以外の施設も含めて幅広く意見を聞くことも必要ではないか。アンケ-ト調査をする用意はないか」と高校生の駅前立地への意見集約のあり方に疑義をぶつけた。これに対し、市川部長は「図書館の立地場所については駅前と病院跡地の二か所に市民の意見が分かれており、公正な判断材料を提供する段階ではない」として、否定的な考えを示した。さらに、羽山議員が「市内高校6校を対象としたグル-プワ-クではスポ-ツ店用地を希望した生徒が93人だったのに対し、病院跡地は25人だった」とした上で、市民説明会では逆に病院跡地への立地を希望する意見が多かったことを指摘し、この“逆転”の認識について、見解を求めた。

 

 「議論がかみ合っていない。まるで高校生にとって図書館は必要ではないと主張しているみたいに聞こえてくる」―。牽強付会(けんきょうふかい)を地で行く上田流“詭弁”がまたぞろ、頭をもたげたと思った。昨年の12月定例会での“高齢者”分断発言がふいによみがえったからである。上田市長はその時、こう言ってのけた。「高齢者のためだけの図書館で良いのか。それなら今の図書館で十分。若い人は圧倒的に駅前を希望している」(2022年12月6日付当ブログ参照)―。この”暴言”をきっかけして、高校生を駅前立地の方向へ意図的に誘導しようとしているのではないかという”疑惑”が市民の間に一気にふくれあがった。いわゆる、高校生の「政治利用」である。

 

 “悪夢”は3年前にさかのぼる。2020年1月29日、上田市長は突然「住宅付き図書館」の駅前立地という“サプライズ”(青天の霹靂)を公表した。寝耳に水だった市民の多くや議会側がいっせいに反対ののろしを上げた。その怒りの根底にあるのは「図書館」問題そのものよりも実はこうした住民無視の政治姿勢にあった。困ったことに、この人はどうもそのことにまだ、気が付いていないらしいのである。そういえば、昨年9月定例会でのある議員の質問に対し「言葉尻をとらえた」と言いがかりをつけ、反問権を振りかざして“逆襲”したことを思い出した。急所を突かれた際にこうした逆襲の手口を繰り出すのが、上田流“詭弁”の作法である。この日の質疑を通じて、そのことを改めて肝に銘じた。

 

 ついでにもうひとつ、上田市長の“開き直り”の手口も紹介しておきたい。先の“暴言“について、ある議員が「看過できない重大発言だ。世代間の分断を促しかねない。取り消しを要求したい」と迫ったのに対し、上田市長はこう、のたまわったのだった。「私も現在、68歳の老齢世代。だからこそ、将来を見すえて若者を含めたあらゆる世代に開放された図書館を目指したいと思っている。表現が不適切だとしたらお詫びをしたいが、取り消す必要はない」―。”無理”が通れば、”道理”が引っ込む…これが強権支配に共通する原理である。

 

 

 

 

 

 

(写真は市長の“詭弁”答弁に食い下がる羽山議員=2月28日午後、花巻市議会議場で。インターネットの議会中継の画面から)