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危機管理ゼロ人間が全員集合…自民党女性局とイ-ハト-ブの懲りない面々~お盆の“悪夢”が再来!?花巻東ナインの「雨ニモマケズ」精神に学べ!!??”エッフェル”騒動が知事選に思わぬ波紋!!!???

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 自民党女性局のパリ“観光旅行”が全国民的な批判を浴びているが、その中のひとり地元岩手選出の広瀬めぐみ参議院議員(当選1回)のもうひとつの「危機管理」のなさぶりが新たな”火種”になりつつある。まるで、美食ツア-並みの今回の大名旅行が行われた10日ほど前の7月20日、広瀬議員は花巻市内で開かれた地元県議の総決起集会に来賓として、出席していた。当日は同市内に大雨による洪水や土砂災害への警戒を呼びかける「市災害警戒本部」が開設されていたが、集会はその真っただ中で強行された。

 

 まずは7月21日付の当ブログ「『危機管理』なんて、クソくらえ」の写真の面々をとくと見てほしい。危機管理のトップに立たなけれなならない首長や議員が全員集合という記念碑的な写真である。広瀬議員のほか、個人名はあえて控えるが、その肩書はこの秋の知事・県議選(9月3日投開票)の立候補予定者、それに地元・イ-ハト-ブ花巻の市長と市議会議長などなど。ベルサイユ宮殿などの観光地をめぐった後、よだれが出そうな美味を味わったらしい広瀬議員に限らず、この写真のご仁たちにとってはそもそも「市民の安心・安全」などは口先だけのことらしい。

 

 こんな”低俗”議員を国会に押し上げた責任の一端はむしろ、選んだ側にある。そう、旧統一教会がらみのあの選挙である。そして、まだ1年生のこのひよっこ議員の驕慢(きょうまん)ぶりの中に政治の腐敗のすべてが凝縮されている。あの時の余韻を引きずるようにして、またぞろ選挙の季節が近づいてきた。今度こそ、オメオメ騙(だま)されないように…。以下に戦前の著名な映画監督、伊丹万作の「戦争責任者の問題」(昭和21年8月)の一節を引いておく。

 

 「つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである」―

 

 

 

 

(写真は豪華なフルーツの盛り合わせ。広瀬議員のツイッタ-に一時掲載されたが、今回の騒動の後に削除された=インターネット上に公開されていた写真から)

 

 

 

《追記ー1》~あぁ、あの“事件”は2年前のお盆の入りの日ー本日「8月13日」のことだった!!??

 

 そういえば、同上総決起大会に選対総括責任者として名を連ねていたのは2年前、岩手県がコロナ緊急事態宣言を発出した盆入りの8月13日、親族らと飲食を共にしていた当時の副市長(その後、辞職)だった。因果はめぐる。いまこの人物、あの時の飲食先の焼き肉店が入居する道の駅の社長の座にちゃっかり、納まっている。ミソもクソも一緒くた。これがイ—ハト-ブ花巻(賢治の理想郷)の実態であることを改めて肝に銘じておきたい。

 

 

《追記―2》~雨ニモマケズ…花巻東高校が接戦を制し、3回戦へ

 

 ”悪夢”の盆入りの13日、花巻東高校が雨による1時間34分の中断をはさんだ末、郷土の詩人、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」精神を見事に発揮。北北海道代表のクラーク記念国際高校を2対1の接戦で制した。応援に駆けつけた上田東一市長ら上記の「危機管理ゼロ」集団の面々にはこの高校球児の「爪の垢」のひと匙でも煎じて飲んで欲しいものである。その純粋なこころの中には「リスク」回避の要諦がいっぱい、詰まっているはずである。菊池雄星や大谷翔平ら同校卒業生の海の向こうでの活躍ぶりがそのことを見事なまでに証明している。大谷選手はこの日(日本時間14日)、9試合ぶりとなる41号ホームランを放ち、母校の勝利に花を添えた。

 

 

《追記ー3》~自民党”エッフェル騒動”余話

 

 自民党女性局の浮世離れしたフランス旅行が17日に告示される岩手県知事選に思わぬ波紋を起こしている、と15日付の日刊ゲンダイが伝えた。次期知事選には現職で5選を目指す達増拓也知事(59)と元県議の千葉詢子氏(45)がすでに出馬表明。野党各党が達増知事を支持する一方、自民党県連は千葉氏を全面支援、与野党による一騎打ちの構図となっている。

 

 千葉氏と二人三脚の形で動いてきたのが、渦中の広瀬めぐみ・参院議員。「自民党”エッフェル騒動”が岩手知事選を直撃」という大見出しの記事は、広瀬議員がSNSをストップし、”雲隠れ”していると報じている。さ~て、告示日にこの人は姿を見せるのか…選挙の関心を別の方向から高めてくれたという点ではある意味、貢献者と言えなくもない(その二人三脚ぶりは7月21日付当ブログをとくと、ご覧じあれ。右の人物にも注目)

 

 

《追記―4》~知事選両陣営に公開質問状

 

 花巻市内でフェアトレ-ド商品などの販売を手がける「おいものせなか」(新田史実子代表)は次期知事選に立候補を表明している達増拓也・千葉詢子両陣営に対し、各分野にわたる公開質問状を提出。このほど、その回答を得た。新田さんら有志は昨年1月の花巻市長選以降「暮らしと政治の勉強会」を主宰し、「おまかせ民主主義」からの脱却を訴え続けている。質問状への回答やその他のアクセス先は以下の通り。

 

・岩手県知事選候補者に公開質問状と回答①原文9頁(pdf)

https://oimonosenaka.com/wp-content/uploads/20230816-1.pdf

おいものせなか | Organic, Ecology and Fair Trade (oimonosenaka.com)

おいものブログ:SSブログ (ss-blog.jp)

 

 

 

 

 

 

 

『男やもめの七転び八起き』…コロナ禍の放浪の日々、そして「記憶と祈り」の8月

  • 『男やもめの七転び八起き』…コロナ禍の放浪の日々、そして「記憶と祈り」の8月

 

 妻との死別、コロナパンデミックの直撃、老人施設への緊急避難と脱出、そして市議選での惨敗…。この5年間、地べたをのたうち回った老いぼれの足跡(そくせき)を『男やもめの七転び八起き―イ-ハト-ブ敗残記』(論創社)というタイトルでまとめた。第1部「男やもめの“七転び”―妻の死とコロナパンデミック」、第2部「男やもめの“八起き”―叛逆老人は死なず」―の2部構成で、発行日は妻の没後5年の月命日に当たる「7月29日」。定価は1800円(税別)で、8月11日以降、全国の書店で随時店頭販売されるほか、Amazonなどのショッピングアプリで電子書籍も購入できる。

 

 正直、こんな惨めな姿をさらけ出すことにはためらいもあった。しかし、未知なるウイルスに翻弄(ほんろう)されたひとりの人間の”カルテ”として残すことにはそれなりの意味があるのではないかと考え直した。足元のイ-ハト-ブでは海の向こうの独裁者顔負けの強権政治がまかり通っている。余命が許してくれるなら「イ-ハト-ブ“図書館戦争”」(従軍記)なるタイトルで、稿を改めたいと思う。「思考停止」というもうひとつのウイルスが蔓延中である。これにどこまで抗うことができるのか、人生最後の勝負どころだと考えている。

 

 

 

<縁(えにし)の不思議―その1>

 

 拙著が発行された翌日の7月30日、畏友のノンフィクション作家、鎌田慧さん(85)の『叛逆老人 怒りのコラム222』が同じ出版社から刊行される運びになった。実は第2部の執筆を促したのは鎌田さんの前作『叛逆老人は死なず』(岩波書店、2019年12月刊)だった。「戦争に傾斜するグロテスクな時代を招くにいたったのは、われわれ老人が、平和の恩恵のなかに安閑と暮らしてきたからだ」―。この過激な檄文にそそのかされて市議選出馬を決断したことをこの場で白状しておきたいと思う。

 

<縁の不思議―その2>

 

 朝日新聞のオピニオン欄「耕論」(7月25日付)に「『帰れ』という言葉」と題する特集が掲載された。その地の国籍を持たない人や在留資格のない人に向けられる排外主義的な言葉の背景を論じた論考で、私はとっさに東日本大震災の際、当地花巻に避難していた被災者に向けられた「さっさと帰れ」発言を思い出した。被災者支援を審議する議会のさ中、ある議員が傍聴席を埋めた被災者に向かって「帰れ」と暴言を浴びせるという信じられない出来事が起きた。「着のみ着のままで投げ出された私たちには、帰る場所はないんです」という悲痛なうめきがまだ、頭の奥深くでこだましている。

 

 今回の特集で、北米先住民研究者で亜細亜大学教授の鎌田遵さん(50)はこう語っていた。「しばしば白人から『Go home(家に帰れ)』という言葉を投げつけられました。私には帰る国がありましたが、帰れない事情を抱える人が大半でした」。市議1年生の時に目の当たりにした「暴言」事件と構図は同じだと思った。

 

 鎌田さんは学生時代、カリフォルニア大学バ-クレ-校に留学していた。米国を訪れた際、同大学ネイティブ・アメリカン学科の図書館の案内をお願いした。『コタンに生きる』(岩波書店、1993年11月)という懐かしい本を先住民コ-ナ-の片隅に見つけた。現役記者時代、仲間とチ-ムを組みアイヌ民族を生きざまを追った渾身のルポだった。「おじさん、僕がネイティブ・アメリカンなど先住民の研究に入るきっかけは実はこの本と遭遇したからですよ」とその時、遵君は言った。実は鎌田慧さんとは親子の関係である。

 

 私が遵君の父親に背中を押される形で市議選に挑戦したかと思えば、遵君は私たち取材班が手がけた一冊の本がきっかけでその道の研究者へ。まこと、「縁は異なもの味なもの」―である。

 

 

 

 

(写真は時を同じくして出版された“叛逆”シリ-ズ)

 

 

 

《追記》~「記憶と祈り」の8月…拙著『男やもめの七転び八起き―イ-ハト-ブ敗残記』より

 

 「6日(広島原爆)・9日(長崎原爆)・15日(敗戦)…また、『記憶と祈り』の8月がめぐってきた。コロナ禍の中での“五輪狂騒曲”の陰にかすんで、その輪郭はまるで漂白されたかのように定かではない。…戦前、知性派の映画監督として知られた伊丹万作のあの有名な檄(げき)『戦争責任者の問題』(昭和21年8月)の一節が耳の奥ではげしくこだました」(2021年8月8日付、210ページ)

「危機管理」なんて、クソくらえ…上田市長が災害警戒本部の開設中に選挙応援!!??

  • 「危機管理」なんて、クソくらえ…上田市長が災害警戒本部の開設中に選挙応援!!??

 

 今月15日から断続的に続いていた大雨による洪水や土砂災害に対する対応のあり方について「過剰反応」ではないかという批判が起きる中、今度は市災害警戒本部(本部長、地域振興部長)が開設中にもかかわらず、花巻市の上田東一市長が20日午後、地元選出の県議の選挙応援に出席していたことが県議当事者のフェイスブック(FB)から明らかになった。「危機管理の甘さどころか、市民の安心・安全を本気で考えているのか」という政治不信の声が市民の間から噴出している。

 

 問題の事案は20日午後6時から、花巻市内で開催された川村伸浩県議(自民党)の総決起大会。川村県議は9月に予定されている県議選への出馬を表明しており、この日は後援会などの支援者約300人が詰めかけた。来賓のひとりとして出席した上田市長も腕を振り上げて「ガンバロ-3唱」を唱和した。一方でこの日午後零時8分に開設された市災害警戒本部が廃止されたのは夜の10時50分になってから。上田市長がその開設中に選挙応援に出向いたことについて、「一体、市長の口癖の危機管理はどこに行ったのか。ワンランク上の災害対策本部(本部長は市長)が発令されていないという言い逃れは市民感覚としてはとても通用しない」という怒りの声がもれた。

 

 「2万8773世帯6万9151人」―。15日に発令された「高齢者等避難」(警戒レベル3)の際、実際に避難したのは3世帯7人だったが、この時は「備えあれば、憂いなし」と上田市長の判断を評価する声もまだあった。その後も断続的に自主避難などが呼びかけられたが、避難者はゼロに止まり、次第に「呼びかけと実際の避難行動」との”ミスマッチ“への批判が高まりつつあった。その矢先に起きたのが今回の「選挙応援」事件。「道義的な責任はもちろんのこと、市政全般にわたる“政治責任”さえ問われかねない」と語気を強めた市民が電話をかけてきた。

 

 そういえば2年前、コロナ禍に伴う「岩手緊急事態」宣言が出された際、親族と飲食を共にして処分された藤原忠雅副市長(当時)が今回、川村県議の選対本部の総括責任者に名を連ねていることがわかった。この時の上田市長の処分の甘さにも市民の批判が相次いだ。「同じ穴のムジナ」―とはまさにこのこと、合点した。

 

 

 

(写真は災害警戒本部が開設中にもかかわらず、選挙応援に駆けつけた上田市長=右から2人目、檀上は川村県議。花巻市野田で。川村県議のFBから)

問われる“危機管理”のあり方…避難発令の先のもうひとつの「リスク」~実際の避難者は3世帯7人!!??

  • 問われる“危機管理”のあり方…避難発令の先のもうひとつの「リスク」~実際の避難者は3世帯7人!!??

 

 「2万8773世帯6万9151人」―。テレビ画面に連続して流されるテロップを見ながら、これはもしかしたら、もうひとつの「リスク」をもたらしかねない過剰反応ではないかと思った。花巻市は今回の大雨災害に際し、15日付で高齢者や体の不自由な人に対して避難を呼びかける「高齢者等避難」(警戒レベル3)を発令。旧花巻市内と旧石鳥谷町内に13か所の指定緊急避難所を開設し、避難を呼びかけた。

 

 「備えあれば、憂いなし」という危機管理の大原則を承知しつつも、私はこのけた外れの避難の呼びかけに一瞬、腰が引けた。同日付の「広報はなまき」によると、6月30日付の同市の人口は3万8825世帯9万1601人。今回の対象者は全人口の実に75%にも及んでいた。そもそも避難者全員を受け入るキャパはあるのか、備蓄は間に合うのか…。こんな素朴な疑問が頭をよぎった。「もうひとつのリスク」への懸念である。石鳥谷町内に住む知人はリハビリを兼ねたウォ-キング中に避難を呼びかける消防自動車と遭遇した。「なにかチグハグな感じがした」。旧花巻市内に住む市民も近くの避難所をのぞいてみたが「職員がぽつねんとしているだけで、避難者の姿は見えなかった」…

 

 「ゼロリスク症候群」という言葉がある。「リスク(危機的状況)はゼロでなければならない」という強迫権念や呪縛(じゅばく)を指す際によく使われ、“過剰反応”を引き起こす要因のひとつとも指摘される。今回はこれに該当するのではないかと思った。ちなみに、県内の他市で避難の呼びかけをしたのは当市だけだった。陣頭指揮を執る上田東一市長は今月初めに開かれた市政懇談会の席上、質問をしようとする市民を制して、こう述べた。「職員も夕飯を食べ、風呂にも入らなければならない」―

 

 「危機管理」の難しさは少しでも判断を間違えれば、一方であらぬ不安をあおりかねないという“両刃の剣”にある。実際、私の元にも遠方の肉親や知人などから安否を気遣う電話が相次いだ。だからこそ、トップリ-ダ-には確たる信念に基づいた「政治決断」が求められるのである。避難所で待機する職員の姿を思い浮かべながら、「ちゃんと、やりましたよ」という“アリバイ市政“に陥ることのないよう切に祈りたい気持ちになった。これではゆっくり、風呂にも入れない現場の職員が余りにも哀れではないか。大雨のピ-クが過ぎたことを受け、同市は16日午後3時13分、避難の呼びかけを解除し避難所も閉鎖した。

 

 本日付(7月15日)の岩手日報によると、実際に避難した人はわずか3世帯7人だった。ある市民は「こんな空手形みたいな避難発令を連発していると、いざ有事の際に正常性バイアス(まだ、安心だとか誤報だと判断ミスをすること)を引き起こしかねない」と懸念している。東日本大震災の教訓がまるで、生かされていないのではないか。仮におのれに火の粉(政治責任)が降りかかることを避けるための保身のパフォーマンスだったとすれば、それはもはや政治家失脚を意味する。そういえば、コロナ対応の際もこの人にはオーバーアクションが目立っていた。それにしてもである。避難を呼びかけた6万9151人のうち、それに応じたのがたったの7人だったとは…。「危機管理」というよりはむしろ、「市政運営」そのものの根幹が問われているとしか言いようがない。”政治不信”とはこんな時にこそ、ひょいと顔を見せることが多い。

 

 目の前に、裸の王様はたまた「経立」(ふったち)に変化(へんげ)したオオカミ少年を見る思いがする。

 

 

(写真はテレビ画面に流れるテロップ=15日午後8時すぎ、NHKテレビの「ブラタモリ」の画面から)

 

 

 

《追記》~自主避難の呼びかけ

 

 花巻市は大雨警報の発令に伴い、18日午前11時26分に災害対策本部を設置。東和地区の浮田、谷内、田瀬の各振興センタ-に指定緊急避難所を開設し、自主避難を呼びかけた。今回は対象者を特定した「高齢者等避難」などの発令ではなく、各人の判断に基づく呼びかけになった。一方、大迫町内川目地区には別に「高齢者等避難」を発令したが、19日午後現在上記4か所に避難した住民は確認されていない。今回のような避難の呼びかけと実際の避難行動とのミスマッチがなぜ、生じたのか―行政側は原点に立ち返ってきちんと、検証すべきであろう。

 

黒塗り文書から「見えるもの」…被爆地ヒロシマでも図書館移転をめぐる”のり弁”騒動!!??~「平和のシンボル」としての図書館を求める声も

  • 黒塗り文書から「見えるもの」…被爆地ヒロシマでも図書館移転をめぐる”のり弁”騒動!!??~「平和のシンボル」としての図書館を求める声も

 

 JR広島駅前の商業施設か、あるいは平和記念公園近くの現在の公園地内か―。被爆地ヒロシマで続いていた市立中央図書館の「移転・立地」問題について、市側は今年1月「公共交通の結節点で来館者増も期待できる」などどして、第3セクタ-が運営する駅前の商業施設へ移転することを正式に決めた。一方、「広島文学資料保全の会」(土屋時子代表)など市民団体は「中央図書館には児童文学者の鈴木三重吉や原爆詩人の峠三吉の自筆原稿などの貴重な資料が収蔵されている。あの悲劇の記憶を風化させないためにも、平和公園に近い現在地がふさわしい」などとして、署名活動を続けている。

 

 同じ問題を抱える当市の住民として、新花巻図書館の構想経緯を明らかにするよう再三、文書開示請求をしてきたが、ほとんどが真っ黒く塗りつぶされていたことは当ブログで紹介したとおりである。今回、広島市でも“のり弁”騒動があったことを知り、密室化した行政の闇の深さを思い知らされた。「他山の石」を肝に銘じるため、以下にWEBサイト「JBpress」に掲載された論考(要旨)を転載する。なお、全文は以下のアドレスから―

 

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/75895?fbclid=IwAR2Fs8bcwJ5Q_G7-4dYPOXnWviNe3Zhi_5qFnUtcU7ESlaa6K-JPe24rEPk_aem_Ac5MlTFqJYe42NSB3aKUeqQD2Gl8cICLFQTRXpBCLKXj3ZU5xacyh_uDsR_V-bv7d4o

 

 

●全国津々浦々で起きている黒塗りで開示される公文書

 

 「いわゆる『のり弁』って、国会とか国政だけのことかと思ってました」「自分のまちでもこんなに黒塗りがあるなんてびっくりしました」。少し前、何人かの方に立て続けにそんなことを言われて、正直わたしは驚いた。「のり弁」とは、一応説明しておくと、開示請求を受けて公開された公文書がべたっと黒塗りで目隠しされている、例のアレのこと。

 

 確かに、桜を見る会や「アベノマスク」、東京オリンピックなど、東京方面からのニュースで、のり弁が大々的に報道されることが多い。だが、黒塗りは別に、国に限ったことではない。地方都市である、わたしが暮らす広島市にも、たくさんある。新聞社に勤務していたころから、何度か情報公開請求を取材の一環としてやってきたし、読者や市井の人々も、のり弁なんて全国津々浦々あるということを、知っているものだと思っていた。

 

●議論が済み、結果が出てから開示された図書館移転計画

 

 冒頭のようなセリフを言われたのは、広島市のある市政課題について、情報公開請求をしたときだった。広島市が、来年で築50年を迎える市立中央図書館を、平和記念公園近くの現在地から、JR広島駅前に移転する――。そんな計画が持ち上がった2021年秋以降、私は情報公開請求を重ねてきた。現在地である、原爆ドームがある平和記念公園北側に広がる緑豊かな中央公園の中で移転建て替えをする、という方向性が一旦示されていたにも関わらず、広島市の第三セクターが運営する、築24年が経過している商業ビルに移転するという計画が突然持ち上がり、判断材料となる資料などが示されないまま議論が拙速に進んでいる印象が否めないと感じたのが、請求のきっかけだった。

 

 請求の結果、疑念が晴れることはなかった。建物の耐震性に関する資料や、複数案の比較検討業務を受注した業者と広島市との間のやり取りの文書など、重要な情報は、黒塗り、あるいは「開示しない」との決定が出された。納得がいかなかったのは、「内部検討段階の資料だから」との理由で「開示しない」とされたものが、市の計画通りに商業ビルへの移転が決まった後、開示されたことだ。

 

 広島市情報公開条例は、第7条において、不開示にできる場合としていくつかのケースを掲げている。そのうち、公にすることによって競争上の地位など正当な利益を害するおそれがある場合、または、公にしないとの条件で任意に提供されたもので、通例として公にしないこととされているものなど性質や状況などに照らして不開示にすることが合理的であると認められるもの、などとする規定に該当するというのだ。

 

●報道側は「黒塗りでした」と報じてきただろうか

 

 広島市が募った市民意見募集では、駅前ビルへの移転への賛成意見の約5倍にも上る反対意見が寄せられるなど、図書館利用者らの関心を大いに集めた問題だった。がゆえに、目の前で進められている計画について、必要な議論を深めるためにも、最終判断が出されてしまう前に、市の計画の根拠となっている資料や検討過程をつぶさに見たいと思うのは当然のことだ。だが、実態は、議論が済んでから、結果が出てから開示されたのだ。

 

 記者であるわたしだけではなく、市の計画の進め方に異議を唱える市民も、情報公開請求に臨んでいた。商業ビルへの移転が決まった後も、引き続き計画撤回を求めて開示請求を重ねてきた男性は、市議会に請願を提出し、6月29日の委員会で趣旨説明をした。「確認ができませんでした」「議会に提出されませんでした」「図面は公開されませんでした」…。ないないづくし。そして、「クリアすべき課題が山積している」と批判した。この日、傍聴席はほぼ満員だったが、報道関係者席はほぼ空席だった。

 

 

 

 

(写真は黒く塗りつぶされた広島市立中央図書館の関連文書=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記》~「平和のシンボル」としての被爆地の図書館

 

 下記の投書は当事者の司書からだけに説得力があるが、残念ながら、当市の新花巻図書館の立地場所について、司書当事者からの考え方を聞いたことはない。

 

 「この図書館は、被爆についての文献資料を網羅的に収集し、多くの被曝者が被爆体験記を納めています。遺言のようにつづられたその声に触れるため、故井上ひさしさんら作家たちも通い、被爆の実相を伝える作品を生んでいったと聞きます。ここに集う人は、平和記念公園に続く静かな環境で、被爆者から私たちに残された声を聴くのです。郷里の広島で被爆した詩人、原民喜は詩『永遠(とわ)のみどり』で、『ヒロシマのデルタに/青葉したたれ』とうたいました。みどりは平和です。中央図書館が今の場所で再建され、被爆地の図書館としての使命を果たしていくよう望みます」(司書 竹原陽子=広島県・46歳)=2022年12月25日付朝日新聞「声」欄から