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「賢治」人脈図…中村哲×高木仁三郎、そしてベ-ト-ベン~夜空を見上げれば、今宵は満月!!??

  • 「賢治」人脈図…中村哲×高木仁三郎、そしてベ-ト-ベン~夜空を見上げれば、今宵は満月!!??

 

 「夢のような一幕物語から始めたい」という書き出しのまえがきはこう続く。「イ-ハト-ブという名の地に三つのいのちが集まったという話である。三つのいのちが一つになり、楽器になった。やがてその調べは小さな物語となり、波となり、まわりに共鳴の輪を描き、風をはらんで広がった。どこまでも」―。宇宙物理学者で賢治研究家でもある故斎藤文一さん(享年92歳=新潟大学名誉教授)の著『愛と小さないのちのトライアングル』(2007年)にはサブタイトルとして「宮澤賢治・中村哲・高木仁三郎」の名前が記されている。3人が奏でる交響曲が文中から聴こえてくるような気がする。

 

 当ブログでもこの3人の“思想と行動”については、幾度か触れてきた。互いに共鳴し合う生きざまに心が動かされたからである。隣り町の北上市出身の斎藤さんはいち早く、そのことに気が付き、16年も前に同書の中でその接点の大切さを問うてきたのだった。たとえば、アフガンのテロに倒れた中村さんの人生を決定づけたのは賢治の『セロ弾きのゴ-シュ』だったこと、高木さんが「反原発」の拠点である原子力資料情報室を設立するきっかけとなったのが賢治の「羅須地人協会」だったことなど…

 

 「実はそういう小さないのちこそ、想像を超える大きな力の源泉なのだ。その中に宇宙的・全生命的な重さが息づいているのである。そこにほんとうの<人間の科学>が生まれねばならない。(3人が)とらえた視点はそこにあったのだ」―。斎藤さんは3人の共通点をこう端的に指摘している。そういえば、高木さん(1995年)と中村さん(2004年)はともに“賢治精神”を体現した功績に与えられる「イ-ハト-ブ賞」の受賞者であり、斎藤さん自身(1996年)も「宮沢賢治賞」を受賞している。

 

 さ~て、御大である賢治は大変な「ベ-ト-ベン」おたくとして知られる。あの交響曲第六番「田園」の曲想を得たウイ-ン郊外の地は「ベ-ト-ヴェンの散歩道」と名づけられ、いまも観光名所になっている。そして、冒頭の賢治の写真は散歩するベ-ト-ベンのポ-ズを真似て、撮らせたと伝えられている。まさに、賢治を面目躍如(めんもくやくじょ)させるエピソードではある。

 

 「おたく」ぶりはこんなもんではない。たとえば、中村さんにはずばり『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』というタイトルの自著があるが、原作の中にはゴ-シュが所属する「金星音楽団」が第六交響曲を演奏するシ-ンが出てくる。ちゃっかりと「田園」を拝借した賢治のおどけた表情が目の前に浮かんでくるではないか。さらに、斎藤さんはアフガンの大地に根を下ろす中村さんに対し、「これぞ、田園交響曲だ」とエ-ルを送るといったあんばいである。

 

 「Fantasia of Beethoven」(ベ-ト-ベンの幻想)―。こんな標識を掲げた花壇がかつて、総合花巻病院の中庭あった。この病院の創立者で賢治の主治医だった故佐藤隆房さん(1890~1981年)が大正13年春、賢治に設計を依頼して作った花壇の復元である。賢治はその時の気持ちの高まりをこう書いている。「…それにおれはおれの創造力に充分な自信があった。けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる。さう考へた」(『花壇工作』)―

 

 現在、同病院は市内の他所に新築・移転し、その「病院跡地」が新花巻図書館の立地候補地のひとつとして、注目を浴びている。由緒あるこの地に「イ-ハト-ブ(まるごと賢治)図書館」を実現したいと思うのは以上のような経緯を踏まえてのことである。賢治をめぐる“人脈図”はまるで、銀河宇宙みたいに途方もなく、でっかい。斎藤さんはこの3人のトライアングルを「未来への使者」と呼んでいる。

 

 

 

(写真はベ-ト-ベンを気取ったと言われる賢治の有名なポ-トレ-ト=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記―1》~今宵は満月(ハンターズムーン)=コメント欄に写真

 

 ひょいと、夜空を見上げれば今宵は満月。ネイティブアメリカン(アメリカ先住民・インディアン)が狩りに絶好の季節として「狩猟月」と名づけた。日本各地でも熊の出没が相次ぐ。「百獣の王」をうそぶく人類に対する野生動物の逆襲か。この日は「満月」さんと呼ばれた亡き妻の没後5年(2018年7月29日)の月命日。雲ひとつない銀河宇宙の彼方で、満月さんはいつまでも“まんどろ”(まんまる)なお月さんだ。

 

 

《追記―2》~賢治とメキシコ

 

 「だいぶ前になるけど、息子が勤務していたメキシコを訪ねたことがあった。空港に降り立ってびっくりした。通路のコ-ナ-に賢治の作品や肖像画がびっしり…。どんなイベントだったかは忘れたが、さすがは世界の賢治だと思った」―。病院跡地への立地を求める賛同署名を持ってきた高校の同級生がそんな思い出話を口にした。秋空の下でしばし“賢治”談義に花が咲いた。

 

 そういえば、童話『貝の火』に登場する宝珠はオパールで、その主産地のひとつがメキシコ。そのイベントとなにか関係があったのだろうか。ちなみに、旅行口コミサイト「トリップアドバイザ-」が数年前に「死ぬまでに行きたい世界の図書館15選」を公表した際、堂々の第1位にノミネートされたのは「空中図書館」とも呼ばれるメキシコシティのヴァスコンセロス図書館である。

 

 

《追記―3》~この親にして、この子あり

 

 「飛ぶ鳥を落とす」と言っても決して、誇張ではない気鋭の文芸評論家の斎藤美奈子さん(66)は文一さんの長女である。“妊娠”をテ-マにした『妊娠小説』(1994年)で注目を集め、『文章読本さん江』(2002年)で小林秀雄賞を受賞。朝日新聞などの書評委員を務め、その歯に衣着せない”辛口”書評にファンが多い。私自身、この人の推薦本でハズレたことはない。

 

 

《追記―4》~「イ-ハト-ブ(まるごと賢治)図書館」の実現へ向けて!!??病院跡地への立地を求めて、署名運動がスタート

 

 花巻市内でフェアトレ-ド店を経営する新田文子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」など三つの市民団体が、宮沢賢治ゆかりの地「イ-ハト-ブ」にふさわしい“夢の図書館”を目指した全国規模の署名運動を展開中。署名用紙などは以下からラウンロードを。11月23日必着。

 

★新花巻図書館は病院跡地に!の全国署名を10月1日スタートします。署名用紙のダウンロードはこちらから。集まった署名は11月23日必着でお願いします。
「全国署名を全国に広げます!~これまでの経過説明」はこちらから。おいものブログのカテゴリ-「イ-ハト-ブ図書館をつくる会」は「夢の新花巻図書館を目指して」に変更しました。署名実行委員会の活動も報告していきます。新田さんのURLは以下から

 

 https://oimonosenaka.com/

 

 

 

 

 

賢治と原発…みんなケンジになればいい~生誕100年狂騒曲のはざまにて!!??

  • 賢治と原発…みんなケンジになればいい~生誕100年狂騒曲のはざまにて!!??

 

 「地球そして人類の将来に不可欠な『共生』という考え方があります。それは宮沢賢治の精神風土そのものです。これからの東北を生きるみんながケンジのような心と知恵を持てたら、ケンジでさえ考えなかった大きな夢をこの地でかなえることができるかもしれません」(1996年6月4日付「新潟日報」)―。27年前のこんな新聞広告を偶然見つけた。頭に血が上った。いや、外に噴き出してしまった。

 

 最初はてっきり、“賢治精神”の大切さを訴える文面と思いきや、広告主の名前に仰天した。「東北電力」が原発との“共存”へと世論を誘導しようとした内容だったからである。たとえば、賢治の『烏(からす)の北斗七星』に通底するある種の“自己犠牲”の精神性が80年前の出陣学徒の遺書に書き残されているように、「賢治」という存在は時代に利用されやすい“両刃の剣”の側面を持ち合わせていることについてはこれまでも触れてきた。しかし、これはまったく次元が違う。犯罪的ともいえる賢治の“悪用”―詐欺師の口上そのものではないか。

 

 当時、新潟県県西蒲原郡巻町(現新潟市西浦区)では東北電力が立地を計画する「巻原発」をめぐって世論が二分される混乱が続いていた。スリ-マイル島(米国、1979年)やチェルノブイリ(ソ連、1986年)での原発事故によって、地元民の間にも立地反対の動きが強まっていた。その是非を問う、条例制定による日本で最初の住民投票が1996年8月4日に行われ、反対派が勝利。その8年後、東北電力は計画の撤回に追い込まれた。それにしても、「賢治と原発」という真逆の理念を強引に結び付けようとする“原子力村”の思考には今さらながら、怖気(おぞけ)を覚えてしまった。

 

 「原発は人類と共存できないし、必要でもない。これからのエネルギ-でもない」―。当時シンポジウムに招かれて、こう喝破したのは今年没後23年の市民科学者、高木仁三郎さん(10月15日付当ブログ参照)。「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」(「羅須地人協会」集会案内)…この賢治の言葉に導かれるようにして「反原発」の立場を鮮明にしたのが他ならない高木さんだったが、その同じ賢治が原発立地の水先人みたいに利用されるという危うさ…

 

 ちなみに、巻原発の住民投票が実施されたその年は賢治生誕(8月27日)100年の節目に当たっていた。電力業界やマスコミ、それに地元・花巻や賢治の生家などがこぞって担(かつ)ぎあげた賢治”神輿”の上で苦虫を噛みつぶしていたのは、当のご本人だったにちがいない。そしてそれは決して、過去の“亡霊”ではない。

 

 岸田政権は今年2月、原発の新規建設や60年を超える運転を認めることを盛り込んだ「GX(グリ-ン・トランスフォ-メ-ション)実現」に向けた基本方針を閣議決定。福島第一原発事故以降の原発政策の転換が、正式な政府方針となった。だからこそ、「イ-ハト-ブ」(賢治の夢の国=理想郷)の住人のひとりとして、誤りのない「賢治発信」を心がけたい。新花巻図書館こそがその“発信”基地にふさわしいと思っている。「駅前か病院跡地か」―。当地でもいま、賢治を巻き込んだ”立地”論争が大詰めを迎えつつある。

 

 

 

(写真は賢治が悪質な政治利用に供された東北電力の新聞広告)

 

 

 

 

《追記―1》~「474」という数字の不思議…“禍福は糾(あざな)える縄のごとし”!!??

 

 「原発賛成474票×原発反対9854票」―。住民投票に先立つ1995年2月5日、巻町の町民有志が立地の是非を問う自主的な住民投票を実施した際の票数である。オヤっと思った。頭の隅にこびりついている数字…なんと、昨年夏の市議選で惨敗した際の私の得票数とピッタリではないか。そして、ニャッとほくそ笑んだ。「4(死)と4の羽交い絞めにあっても7(ラッキ-)は耐えた。こっちは玉砕したが、あっちは勝った」。まこと「禍」と福」とは糾える縄のごとし、ではないか。

 

 

 

《追記―2》~「イ-ハト-ブ(まるごと賢治)図書館」の実現へ向けて!!??病院跡地への立地を求めて、署名運動がスタート

 

 花巻市内でフェアトレ-ド店を経営する新田文子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」など三つの市民団体が、宮沢賢治ゆかりの地「イ-ハト-ブ」にふさわしい“夢の図書館”を目指した全国規模の署名運動を展開中。署名用紙などは以下からラウンロードを。11月23日必着。

 

★新花巻図書館は病院跡地に!の全国署名を10月1日スタートします。署名用紙のダウンロードはこちらから。集まった署名は11月23日必着でお願いします。
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花巻市教委職員を逮捕…地に堕ちた上田流「コンプライアンス」~内部通報制度も機能不全か~そんな中、ホ市訪問は予定通りに!!??

  • 花巻市教委職員を逮捕…地に堕ちた上田流「コンプライアンス」~内部通報制度も機能不全か~そんな中、ホ市訪問は予定通りに!!??

 

 教育現場をあずかる花巻市教育委員会の男性主事(24)が19日、10代の女性に対してみだらな行為をしたとして「県青少年環境条例」違反の疑いで逮捕されるという前代未聞の事件が起きた。花巻署はこの日、市教委が置かれている石鳥谷総合支所の家宅捜索も行ったが、今回の事案のような個人的な事件で公の庁舎に捜索が入ることは通常、考えられない。「職務に関係がない犯罪の捜査のためになぜ、職場の家宅捜索が必要だったのか」―。市民の間にはこんな疑念の声も聞かれる。

 

 調べによると、同容疑者は4月下旬から5月中旬にかけてインターネット交流サイト(SNS)で知り合った10代の女性に対し、18歳未満であることを知りながら、複数回にわたってみだらな行為をした疑い。2022年に採用され、市教委学務管理課に配属されていた。

 

 「コンプライアンスは、一義的には法令遵守と訳されているが、広義のコンプライアンスとしては、法令はもとより、県や市町村の条例、規則等、さらには社会的な規範の遵守まで含まれている」―。上田東一市長は就任以来、一貫して「コンプライアンス」(法令遵守)の重要性を強調。前市政の「花巻市職員倫理規程」(平成25年)を引き継いだ「不正防止に係る内部通報制度」(平成27年)などきめ細かい取り決めを定めてきた経緯がある。さらに、市長直轄の内部通報窓口を設置し、たとえば「セクシュアル・ハラスメント及びパワー・ハラスメント又はこれらを誘発させるおそれのある行為、その他コンプライアンス上問題となる行為」ーなどの通報を呼びかけている。

 

 「市民の皆様にご心配をおかけすることになり、深くお詫び申し上げます。現在、警察の捜査がなされていますが、市としても状況を把握し、事実であれば厳正な処分を検討してまいります」(19日付)―。今回の件については教育企画課としてのこんな告知がHP上に掲載されただけで、20日午後現在、記者会見などは開かれていない。一方、盛岡市では酒気帯び運転で免許を取り消された職員が約1年半にわたって、無免許運転を繰り返していた不祥事について、内舘茂市長は同じ19日に謝罪のための臨時記者会見を開き、「信頼回復に向け、コンプライアンスを徹底する」と頭を下げた。

 

 今回の悪質事案については万が一でも「教育」部局に責任を一方的に押し付けてはなるまい。「コンプライアンス」や「ガバナンス」(内部統制)に関し、トップ責任の立場にある上田市長自らが市民に向かって、きちんと釈明する義務があろう。

 

 

 

 

 今回の事件後、初めての定例記者会見が24日開催されたが、配布資料の中に当該事案に関するものはなかった。逆に目を引いたのが、米国・ホットスプリングス市との姉妹都市提携30周年を記念する訪問団に関する資料。今月26日から11月1日までの5泊7日(市長は公務のために4泊6日)の日程で、上田東一市長や佐藤勝教育長、藤原伸市議会議長ら“公務出張”の10人を含めた総勢17人。一般市民の旅費はざっと50万円で、わずか7人の参加にとどまったことについて、ある市民は「この物価高の中でそんな余裕はない」と白けた。

 

 一方、直属の部下が逮捕・拘留中にもかかわらず、佐藤教育長が出張することについては「未だに教育長や市長の口から釈明のひとつもない。もはや道義上の問題だ」と手厳しい声が相次いでいる。

 

 

 

(写真は市教委の家宅捜索に入る捜査員=花巻市石鳥谷町で。19日夜のNHKニュースの画面から)

 

 

 

 《追記ー1》~内部通報!!??

 

 

 「匿名」を名乗る人から23日未明、「内部通報」と題する以下のようなコメントが寄せられた。通報制度が機能不全に陥っていることも予想されるため、そのまま転載させていただく。

 

 

 ●「今年の6月に花巻市に内部通報した花巻市の公務員ですが、総務部系の部署の職員が当時の役所のパートの私の元妻に卑猥なメールを多数おくりつけ関係が悪化して離婚に至ってしまった経緯を内部通報したのですが、上田市長は個人的なことは受け付けないとの回答。コンプライアンスとは?セクハラとは?です」

  

 ●「そこから県警の捜査2課の同級生に相談して、おそらくは花巻市の内部通報が機能してるのかという騒ぎになってるかと思います。なので、今回の件以外でも市政への捜査となると家宅捜査という流れにならざるを得なかったと解釈しております。県警の同級生の友人に聞けば答えるかもしれませんが、直近でそんな無粋なことは聞く関係でもないので10年後くらいに酒の席で笑いながら話してみたいと思ってる次第です」

 

 

 

《追記―2》~「あの日」から「この日」へ

 

 

その1)~80年前のこの日(10月21日)、明治神宮外苑(東京)で出陣学徒の壮行会が行われ、のべ約10万人の学徒が戦地へ。学徒兵の手記『きけ わだつみのこえ』の一節…「今次の戦争には、もはや正義云々(うんぬん)の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみ」

 

 その2)~57年前の同じ日、日本労働組合評議会(当時の総評)が「ベトナム反戦」統一ストを呼びかけ、ベトナム戦争へ反対する世界的な潮流を作った。以来、この日が「国際反戦デー」に。いま足元の労働組合にそんな勢いはなく、海の向うではウクライナに続き、イスラエルとパレスチナ(ハマス)の間で今世紀最大の“虐殺”劇が現実のものとなりつつある。

 

 その3)~28年前の同じ日、沖縄県宜野湾市で米兵による少女暴行事件に抗議する「県民総決起大会」が開かれ、過去最大の8万5千人の県民が集まった。「軍隊のない/悲劇のない/平和な島を返してください」―。高校生の悲痛な訴えなどどこ吹く風、その沖縄では本島の基地強化だけでなく、南西諸島の「軍事要塞化」が着々と進められている。そして、大方の日本人は「あの日」の記憶をどこかに葬り去っている。

 

 

《追記―3》~高木基金へのご協力のお願い

 

 10月15日付当ブログで取り上げた故高木仁三郎さんの思想を後世に伝えるためのクラウドファンディングにご協力を。手続きなど高木さんの支援活動の詳細は以下から。

 

認定NPO法人 高木仁三郎市民科学基金|THE TAKAGI FUND ...

 

 

 

《追記ー4》~「イーハトーブ(まるごと賢治)図書館」の実現へ向けて!!??病院跡地への立地を求めて、署名運動がスタート

 

  花巻市内でフェアトレ-ド店を経営する新田文子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」など三つの市民団体が、宮沢賢治ゆかりの地「イ-ハト-ブ」にふさわしい“夢の図書館”を目指した全国規模の署名運動を展開中。署名用紙などは以下からラウンロードを。11月23日必着。

 

★新花巻図書館は病院跡地に!の全国署名を10月1日スタートします。署名用紙のダウンロードはこちらから。集まった署名は11月23日必着でお願いします。
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“反原発”の旗手の…「賢治をめぐる冒険」~現代版“雨ニモマケズ”宣言、いまこそ「ガザ」への眼差しを!!??

  • “反原発”の旗手の…「賢治をめぐる冒険」~現代版“雨ニモマケズ”宣言、いまこそ「ガザ」への眼差しを!!??

 

 「反原発の源流は賢治だった」―。生活に根差した「反核」思想の最前線に立ち続けてきた物理学者、高木仁三郎さん(享年62歳)の没後23年の今年、改めてその著作を開いてみて、そのことを確信するに至った。1995年、「賢治の科学思想の伝承と実践」という研究テ-マで、第5回(宮沢賢治)イ-ハトブ賞を受賞した高木さんの“原点”に分け入る旅に同行した。水先案内人は自著のずばり、『宮澤賢治をめぐる冒険―水や光や風のエコロジ-』である。

 

 『やまなし』、『雁の童子』、『銀河鉄道の夜』、『グスコ-ブドリの伝記』…。賢治作品をたどるその旅は高木さんの思想遍歴をさかのぼる道行きと言っても良かった。原子力開発の研究に携わってきた高木さんは35歳の時、卒然と大学教授の職を辞し、反原発運動の拠点となる「原子力資料情報室」を立ち上げた。「180度」の転換である。「じつにわたしは水や風やそれらの核の一部分で、それをわたしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたしなのだ」(詩「種山ヶ原」初期形)―。この時の賢治”発見”の感動を高木さんはこう記している。「自然を人の勝手のままに荒々しく利用してきた文明が袋小路にはいったいまこそ、人と自然の優しい関係に新しい光をあててみたい」(「家庭画報」1988年1月号)

 

 「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」(「羅須地人協会」集会案内)―。賢治は花巻農学校を退職後、農民らを対象にした私塾を設立した。「科学をどのようにして人間的な場に戻すか」という自問のさ中にあった高木さんにとって、賢治のこのひと言はまさに、天啓のように映ったにちがいない。『プルトニウムの恐怖』、『核時代を生きる』、『市民科学者として生きる』…。矢継ぎ早に「核の恐怖」を警告してきた高木さんだったが、福島原発は没後11年後に「想定外」の爆発事故を起こした。余りにも短命に過ぎた。

 

 高木さんが最初から賢治”信者”だったわけではない。むしろ逆だった。たとえば、あの「雨ニモマケズ」の書き出しについてはこう語っている。「なにか聖者の道徳講話のような感じを受けて、『サウイフモノニ/ワタシハナリタイ』と言われても、とても私はムリだし、ゴメンだという拒否感が強かった」(『宮澤賢治の冒険』)。長じるに及んで、次第にその心境に変化の兆しが…。そして、「ヒドリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ…」の段に行き着いた途端、高木さんはまるで人が変わったみたいにこう、宣言する。

 

 「常にオロオロし、涙を流すところから、いわばその原点、その目の高さから科学をやっていきたい。それが私にとっても決意表明となったのです。『オロオロし』、『ナミダヲナガス』のを敗北宣言としかとれない書斎派の人には、所詮、実人生を賭して実験をする、そしてそれがひとつの芸術や科学の新しい地平を構成するなどとは思いもよらなかったのでしょう。しかし今、私にとっては新たな『雨ニモマケズ』が甦っています」(同上書)。そういえば、高木さんは「原子力資料情報室」をつくるきっかけが賢治の「羅須地人協会」だったことを繰り返し述べている。

 

 それにしてもである。吉本隆明さんにしろ(10月10日付当ブログ参照)、高木さんにしろ、最高峰の思想家をこれほどまでに“翻弄”(ほんろう)して止まない賢治とは一体、何者なりや。私は最大限の賛辞を込めてつつ、わが郷土の偉人に対し、世紀をまたぐ“詐欺師”なる称号を献上したい気持ちを抱いている。「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」(『春と修羅』序)―。賢治自身自らが己を「(自然)現象」と位置づけ、”不滅”宣言をしている所以(ゆえん)からである。

 

 「雨ニモマケズ」宣言―。これはもしかしたら、日本だけではなく、ウクライナやパレスチナなど戦争の真っ只中にある世界の危機に向かって発せられた、[銀河宇宙」からの賢治の意を決したメッセ-ジなのかもしれない。

 

東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

 

 

 

 

(写真は「反原発」を訴え続けた生前の高木さん=インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記―1》~100年ぶりの“和解”か(9月15日付当ブログ参照)

 

 韓国で開催された「第28回釜山国際映画祭」(10月4日~13日)のニューカレンツ部門に選出された映画『福田村事件』(英題:SEPTEMBER 1923)が、13日に行われた授賞式で、ニューカレンツ賞(ニューカレンツ部門の最優秀作品賞)を受賞した。ちょうど100年前の1923年9月1日に発生した関東大震災の後、千葉県福田村で起こった、行商団9人が地震後の混乱の中で殺された事件の実話に基づいた劇映画。

 

 ニューカレンツ部門は、アジアの新人監督(1~2作目が対象)が参加するコンペティション。監督を務めた森達也は、『A』『A2』、そして『i 新聞記者ドキュメント』といったドキュメンタリー作品を手掛けてきたが、本作で初めて劇映画の監督に挑戦した(シネフィルニュース)

 

 

 

《追記―2》~映画「ラマッラの市長」

 

 

 「ガザ病院爆発 471人死亡」(10月19日付「朝日新聞」―。イスラエルとパレスチナ(ハマス)との対立がついに「大虐殺」という最悪の様相を見せつつある。まさに時節を合わせるようにして、その「対立」のさ中で苦悩するある市長の姿を追ったドキュメンタリ-映画「ラマッラの市長」(2020年、米国)が日本で初公開された。海の向こうの悲劇を「対岸の火事」としてはならない。その内容は―

 

 パレスチナ自治政府が置かれた街、ラマッラ。隣接するエルサレムは、パレスチナとイスラエルの両国が権利を主張する紛争地となっている。ラマッラ市長のムサは、市民の安全と生活向上、そして希望を標榜する。そんな彼の耳に「米国が在イスラエル大使館をエルサレムに置く」という知らせが入った。市長はわずかな情報を頼りに奔走し、反発する市民に対応する。公共工事でさえイスラエルの許可がないと施工できない理不尽な状況の中、占領下の市長として難しい舵取りを行う日々をカメラが追った(映画案内から)。以下のアドレスから

 

https://asiandocs.co.jp/contents/277

 

 

 

《追記ー3》~「イーハトーブ(まるごと賢治)図書館」の実現へ向けて!!??病院跡地への立地を求めて、署名運動がスタート

 

 

  花巻市内でフェアトレ-ド店を経営する新田文子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」など三つの市民団体が、宮沢賢治ゆかりの地「イ-ハト-ブ」にふさわしい“夢の図書館”を目指した全国規模の署名運動を展開中。署名用紙などは以下からラウンロードを。11月23日必着。

 

 

★新花巻図書館は病院跡地に!の全国署名を10月1日スタートします。署名用紙のダウンロードはこちらから。集まった署名は11月23日必着でお願いします。
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トットちゃんと“柏葉”ワ-ルド…そして、「do the right thing」!!??

  • トットちゃんと“柏葉”ワ-ルド…そして、「do the right thing」!!??

 

 『トットちゃんの15つぶのだいず』(講談社)と題する絵本を手に取って驚いた。トットちゃんこと俳優の黒柳徹子さん(90)の戦争体験を文章に綴った内容だったが、その過酷な体験を静謐(せいひつ)な筆致で書き上げていたのが当地花巻出身の児童文学作家、柏葉幸子さんだったからである。デビュ-作の『霧のむこうのふしぎな町』が宮崎アニメのヒット作「千と千尋の神隠し」の下敷きになったというエピソ-ドは広く知られているが、他にも『つづきの図書館』(小学館児童出版文化賞)や『岬のマヨイガ』(野間児童文芸賞)など受賞歴が多い。「トットちゃんが、小学2年生のとき。日本は戦争をはじめました」という書き出しで始まる文章はこんな風に続いていた。

 

 「とうとう、トットちゃんの一日の食べものは、だいずが15つぶだけになってしまいました。ママが毎朝、だいずをフライパンで炒(い)ってくれます。それをふうとうへ入れて、学校へ行くトットちゃんにわたします。…ママはだいずの入ったふうとうをわたしながら、『食べたら、お水をいっぱいのむのよ。豆がふくらんで、おなかがいっぱいになるわ』と、言ってくれました」―。あの快活は語り口の黒柳さんの知られざる一面が柏葉さんの文体と一心同体となって心に沁み込んできた。ふいに20年以上も前の光景が昨日のことのように目の前に去来した。

 

 2002年4月20日―。花巻市文化会館大ホ-ルは立ち見が出るほどの観客であふれていた。ベルリン映画祭で最高賞(金熊賞)を受賞した「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督、2001年)の鑑賞に詰めかけた人たちだった。隣接する図書館では映画の上映に合わせて「柏葉幸子童話作品展」が開催されていた。この2年前、42年ぶりにふるさとに戻った私は映画館が姿を消してしまった街のたたずまいに愕然(がくぜん)とした。仲間たちに声をかけ、「花巻に映画の灯を再び」市民の会を結成。その旗揚げ記念に計画したのが宮崎アニメと柏葉展の同時開催だった。1日3回の上映会は大盛況で終わった。私たち「市民の会」は益金の一部で柏葉作品を買いそろえ、花巻市立図書館に寄贈した。

 

 「私の父はシベリア抑留の経験者ですが、今の若い人たちは家族に戦争を体験した人がいない。ウクライナ戦争も自分とかけ離れた出来事として見ているけど、日本だって危ないじゃないですか。身近な語り部の代わりとして…」(9月29日付朝日新聞))―。柏葉さんは今回の絵本化について、こう語っている。私の父も先の大戦でソ連軍の捕虜となり、シベリアの凍土に没した。『ミラクル・ファミリ-』、『地下室からのふしぎな旅』、『ざしきわらし 一太郎の修学旅行』、『モンスタ-・ホテル』シリ-ズ…。ファンタジックな“柏葉”ワ-ルドのとりこになっていた私は目の前の現実から目を背けない、柏葉さんのもうひとつの視点にハタと気づかされた。

 

 世界で2500万部の大ベストセラ-になった黒柳さんの『窓ぎわのトットちゃん』の続編が42年ぶりにこのほど刊行された。旧作は初のアニメ映画化も決まり、12月8日から全国で公開される。私たちが夢見る図書館(イ-ハト-ブ図書館)は「まるごと賢治」だけではもったいない。“柏葉”ワ-ルドも詰め込まなくちゃ…。病院跡地への立地を願う私たちの見取り図は着々と整いつつある。

 

 

 

 

 

(写真は原案・黒柳、文・柏葉、絵・松本春野による創作絵本)

 

 

 

 

《追記ー1》~「do the right thing」…死語であったはずの“虐殺”がいま、ふたたび

 

 映画「福田村事件」(9月15日付当ブログ参照)を見て、100年の恐ろしい光景を目の当たりにしたのもつかの間、海の向こうでそれが現実化しつつある。ロシアによるウクライナ侵略に続く、イスラエルとパレスチナとの絶望的な対立。「ジェノサイド」や「ホロコースト」…。“大量虐殺”を意味するおどろおどろしい言葉が頭を去来する。

 

 パレスチナ自治区の「ガザ地区」ではトットちゃんの「15つぶのだいず」どころか、イスラエル側の出方によってはその存在そのものが“消滅”させられる危機さえささやかれている。「do the right thing」(それは正しい行為である=ブリンケン・米国務長官)…。アメリカ流「正義」を盾とした、大虐殺に向けたカウントダウンが始まっている。人間の愚かさの極限!!??

 

 

 

《追記ー2》~市民力、全開!!~病院跡地への立地を求めて、署名運動

 

 花巻市内でフェアトレ-ド店を経営する新田文子さんが主宰する「暮らしと政治の勉強会」が今回の岩手知事選で全開、“市民力”の大切さを教えた。さらに、宮沢賢治ゆかりの地「イ-ハト-ブ」にふさわしい“夢の図書館”を目指した市民団体が全国規模の署名運動を展開中。署名用紙などのラウンロ-ドは以下のアドレスから。11月23日必着。

 

https://oimonosenaka.com/