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イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その21

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今日で2019年1月も最終日!はやいものです、昨年"川西町主催のバードが歩いた桃源郷を歩く"に参加したのが7月14日140年前とおなじ日、ようやく川西町編の終わり川西町洲島の舫い石のあるところの投稿になります、ここは昔、最上川を渡る渡し船のあった場所、大きな板碑が転用され、船をつなぐ舫い綱を通す穴ががあいてます、そもそも板碑は、鎌倉から室町時代にかけて建てられた供養塔ですが戦国期以降急激に廃れ、廃棄されたり他の用途に転用されているものです、この場所の対岸は、高畠町になり、写真には千代田クリーンセンターが見えます、その近くには伊達家の墓に板碑など残っています、この板碑も、元は何処にあったのか気になりますけどね、かなり大型の板碑です、小学校から付き合いのある幼なじみは、置賜の板碑分布は全て調べ尽くしているようだから聞いてみようと思います。ハードの通った道、置賜散策は、これで飯豊町と川西町が終了し、小国町一部に高畠町、南陽市が残ります、このペースだとあと2年くらいかかりそうです。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その20

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もう昨年になるんですが実家のある川西町主催のバードが歩いた桃源郷を歩くに参加、明治11年、140年前とおなじ日7月14日この日、ハードが通った道を辿って歩きました、町の観光協会のガイドつきで、途中は町で用意したバス利用ですから楽チンです、宿泊した上小松から中小松を歩いたあと、バスで川西町吉田地区まで移動し田園のなかをあるきます、この日は快晴、ハードが歩いた日も天気が良く、気持ち良かったでしょうね、ほどなく洲島地区にはいります、ここは昔、養蚕で財を成したところで、大きなお屋敷に、蔵と塀、いえの周りは掘りがあり、いまでも茅屋根の屋敷がのこり、タイムスリップしたようなところです。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その17・No2 中小松三日町

  • イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その17・No2 中小松三日町
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川西町の観光グループ主催『イザベラバードの歩いた桃源郷を巡るin川西』というイベント参加で一寸変わった茅屋根の家と直木賞作家”井上ひさし”さん生家の説明案内があったので追記・・中小松三日町の通りで今では貴重な茅屋根を残しているお宅、元お医者さんで今は住んでなく除雪とか家の管理は人に頼まれていると伺っている・・以前茅屋根民家写真撮りためてるときに何げなく写真に収めていたのですがこの家のつくりが和と洋を組み合わせた貴重な建物らしいです、窓は上下スライド式です、日本は明治になり洋式文化が入り建物も洋風なものが昭和40年初頭までは小松街中でもよく見かけました、今でも残ってるものがありますが少なくなりました、このおうちも文化財的価値のある建物のようです、町出身の直木賞作家、井上ひさしさんの生家はお父さんが病気で亡くなった後、小松小学校の入り口にあるところに引っ越すわけですが生家は三日町にあり、現在使われていた石だけは、いまでも庭の敷石に使用されている、おうちの後ろに祠などがあり昔をしのばせる部分があるのですが写真は許可もないので省略・・

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その12・No2 小松坂の上

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川西町の観光グループ主催『イザベラバードの歩いた桃源郷を巡るin川西』というイベント・・・140年前の7月14日バードが宿泊した金子邸から同じ日に同じ道をたどるという企画に参加した、140年前の朝と同じ良く晴れた日になりました、この日宿泊した永十さん『高級役人の泊まるりっぱな部屋、久しぶりにゆったりした部屋に落ち着くことが出来たが、中庭にある池の蛙がうるさくゆっりは休めず翌日も人口3000人の町の半数の人が押しかけた』という記載が残る、その金子邸現在はガソリンスタンドでその中庭伺うことができました、当時のまま残ってるわけではないですが庭石と庭木は当時のものだそうです・・まちなか歩きのポイントになってるようで庭に看板が掲げてあります・・

イザベラ・バードの通った道(山形県小国町編)

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 小国の船渡獅子を観に行った帰りに黒沢峠に立ち寄った、この峠は越後米沢十三峠のほぼ中間に位置し、天保10(1839)年から慶応3(1867)年3回の工事で敷石の道に改修されている、明治17年の小国新道開通と共に忘れ去られ、長い間土に埋もれていたところを「黒沢峠敷石道保存会」により昭和55年から活動し古道が甦っている現在の黒沢峠の敷石道は全長2.6kmで、内1.8kmに石が敷かれており、その段数は3,600段といわれている。昨年入り口に栃の実がたくさん落ちていて期待していたがまだ9月10日早かったようである。。田舎に戻ったH27年に川西町小松を散策、H28年には飯豊町を散策しH29年小国と思っていたが、どんどんやることが増えていけないでいるのがもどかしい・・