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川西町下奥田の田護神社追い獅子人形製作

  • 川西町下奥田の田護神社追い獅子人形製作
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川西町下奥田にある田護神社の獅子。獅子舞の形態はなく、お祓いだけの追い獅子の形態です、ここら辺では”ほえど獅子”と呼んでいました。昔は一対の獅子が左右に分かれ町に繰り出し、一軒一軒回ったそうですが、現在はほんの一部にしか廻らないそうです・・今日は第4回目のこまつ朝市で新作披露・・少しずつ制作してはいるのですが・・いつも余裕はなく前日ぎりぎり制作する羽目になります・昨日は深夜から明け方まで獅子人形製作で市には30分ほど遅刻でした・・・

2017.08.12:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

川西町下奥田田護神社追い獅子

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  • 川西町下奥田田護神社追い獅子
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先月こまつ市で7月28日に川西町下奥田の田護神社の例祭があるというので観に行った、昨日午前中は晴れでしたが祭りのはじまる15時ころからどしゃ降りの雨になる、4時過ぎからはすこし小雨になったのですが神輿に追い獅子雨の中大変そうです。。。友人の建設屋さんがいてその案内で獅子頭、幕も開いて写真撮らせていただきました。田護神社創立が731年と古いものですが創立当初は現在の場所とは違っているようです。。追い獅子の形態でここも一対の獅子で昔は左右に分かれ一軒一軒まわったようです・・いまは若者が減り主要な個所だけになったようです、追い獅子は勢いよく家になだれ込み酒に酔い花代をせしめるので”ほえど獅子”と呼んでました・・それはそれは怖いという思いでだけなのです

2017.07.29:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

康寿橋『こうじゅばし』南陽市

  • 康寿橋『こうじゅばし』南陽市
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  • 康寿橋『こうじゅばし』南陽市
  • 康寿橋『こうじゅばし』南陽市

めがね橋の愛称で親しまれている洋風石造のアーチ橋、明治時代になり洋風技術の導入で多く作られたようです、南陽市の烏帽子山にある橋、市指定文化財「吉田橋」や「石造大鳥居」をつくった名石工 吉田善之助の弟子である川合兄弟の作とあります、この橋のちかくにエドヒガン桜の”こうじゅさくら”というのもあります。康寿”こうじゅ”はうちの長男と同じ名前です長男は”やすひさ”と呼びますが・・この橋の名前を知ったのはつい最近なのです・・子と同じ名前とは驚いたものです。

2017.06.22:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

舞鶴橋 『まいづるばし』米沢市

  • 舞鶴橋 『まいづるばし』米沢市
  • 舞鶴橋 『まいづるばし』米沢市
  • 舞鶴橋 『まいづるばし』米沢市
  • 舞鶴橋 『まいづるばし』米沢市

米沢城本丸跡の堀に架かるアーチ式の石橋で、上杉神社の参道として明治19年に作られたもの。江戸時代は米沢城の正面にあたり、木製の太鼓橋が架けられていたとあります。舞鶴橋の名称は米沢城の別称「舞鶴城」に由来するもので、平成10年に国の登録有形文化財に指定されています、明治に入り洋風技術の導入で数多く作られているようです、置賜にある石橋散策してます。

2017.06.22:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

米沢市窪田町東江股の板碑(その2)

  • 米沢市窪田町東江股の板碑(その2)
  • 米沢市窪田町東江股の板碑(その2)

東江俣集落の板碑は三基目がお堂の近くで、四基目が春日神社の近くで観られます、春日神社の近くのものは比較的大きな板碑です、いずれも個人宅の敷地内にあるようです。

2017.06.06:li-no:コメント(0):[歴史探訪]