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下小松古墳群

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一昨日の休み粗大ゴミ出しで千代田に行ったのでその帰り道、少し川西町によって買い物とついでにヒメサユリ咲く下小松古墳群見てきました、小学4,5年から中学にかけて土器に石器集めと米沢の成島に友人とか誘って一人でも掘りに行ったり、古墳時代までの歴史書物そのころは興味がありよんでました、昔から下小松古墳群というのは言われていて少し入りこんだのが中学だったか??何が何だかただの雑木林という感じで何もわからなかったのですが2000年に国の史跡に指定され散策路に案内板や駐車場にトイレと整備されよくわかるようになりました、下小松古墳群は、川西町大字下小松の低丘陵に築かれた約200基からなる古墳群、北から陣が峰支群・永松寺支群・薬師沢支群・鷹待場支群・小森山支群・尼が沢支群の6つのグループがあり、このうち薬師沢、鷹待場、小森山の3支群179基が国指定史跡になっています。古墳の築造は、古墳時代前期の4世紀後半から散発的に行われ、古墳時代後期の6世紀に盛期を迎え小森山支群では、山形県下の約半数となる19基の前方後円墳が造られるなど、当時の東北経営のあり方を示す重要な古墳群と案内板にあります。下小松古墳群には未調査で眠っているところもあります・・いまヒメサユリの花が盛りでさいてました、ここには体長2cmほどの日本最小のトンボを観ることができます、5月から9月頃残念ながらトンボは見られませんでした。

2019.06.15:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

金池山心光寺

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米沢市金池6丁目3-16にある金池山心光寺の脇道、車が入れない狭い道、いい雰囲気で小道が残っています、地蔵に六角地蔵もありここだけ数百年前の小道といった風情があります、寺の入り口に古い松の木と水屋があり、この地が金池となった由来が掲げてあります、その昔この松の木の下の池から湧き出す清水で”松の下酒造店”という造り酒屋をはじめこの清水で作った酒が大変おいしく大評判となり上杉6代藩主を迎えたお茶会の席であまりのお茶のうまさに黄金のような水であると言われそれ以降黄金池と呼ぶようになり。後に黄金ではあまりにもったいないということから黄がとれて金池となったと記されています・当時酒屋は順風満帆で2千坪の大屋敷があったとされています・・酒屋はどうしてなくなったのか気になるところです・

2018.08.26:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

北山原殉教遺跡(ほくさんばらじゅんきょういせき)

  • 北山原殉教遺跡(ほくさんばらじゅんきょういせき)
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昨日はお休みで、来週孫たちに逢いに行くので従妹の美容院へ髪切りいこうとしたら、お盆期間は連休でした・・残念ですが場所が金池5丁目というところにありその100m先6丁目のところに北山原殉教遺跡があり寄ってきました、風情のある小道がありそのよこにあります、ここは昔の処刑場だったところで、ルイス甘糟右衛門はじめとする米沢の信徒たちが殉教した場所です、1669年に刑場が松原に移されたため、この地でのキリシタンの殉教は忘れられ、のちにこの場所を特定し、米沢の教会にてこの殉教地を譲り受け1929年には、殉教300年を記念して碑が建てられたということです。寛永5年12月18日(1629年1月12日)のことです・・殉教者の名前が刻まれた碑がありますが中には3歳5歳といった幼子の名前があります・・この寛永5、6年という年は、調べるとわが国のキリシタン史上稀にみる大迫害の行なわれた年という、全国で何千人という信者が処刑されたいうことです・・孫と同じような幼女たち天に召された幼子のため祈りを捧げました・・

2018.08.18:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

薬師如来尊堂(白布温泉)

  • 薬師如来尊堂(白布温泉)
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米沢市の白布温泉・通勤で素通りしてるが一昨日帰り道何十年ぶりかで薬師堂みに行ってきた、江戸時代より「東屋」さん「中屋」さん「西屋」さんと3軒の大きな茅葺屋根の並ぶ景観で有名な温泉地でしたが、平成12年の火災で「東屋」さん「中屋」さんが消失しました、新築となると消防法の規制があり、葺屋根の復元には至らず「中屋」さんは場所を移し営業、東屋さんは日本風の木造建物で営業を再開、残念ながら、茅葺き屋根を残している宿は「西屋」さんのみとなってしまいました。西屋さんところのバス亭には下側に白布大滝と左に白布薬師如来尊堂の看板があります、薬師如来は古くから医療、医薬の仏として信仰されている為、多くの温泉地で薬師堂を見ることが出来ます。この3旅館のところも温泉浴槽から階段でつながった薬師堂を観ることができます西屋尊堂(一間社、流造り、茅葺、正面向拝付)、中屋尊堂(一間社、入母屋造り、茅葺、正面向拝付、規模は3棟の中で最大)、東屋尊堂(入母屋、鉄板葺)の3棟、内2棟が茅葺屋根になっている。境内には六角地蔵石塔や石仏、石塔など共に石鳥居もある、階段は急でちょっと危ないので降りるのやめました・・茅屋根の旅館は消失しましたが薬師堂は 古いまま残ってるようです・・

2018.07.23:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

川西町中小松のしゃぎり

  • 川西町中小松のしゃぎり

諏訪神社の祭礼で街中を練り歩く『しゃぎり』は小松の3地区・・西区、北区、南区から山車がでてきます、旧小松村のお祭りで昔から続いている、この他にも虫送り、神送りといった神事もありその隣村である中小松村でも同じようにしゃぎりや虫送り、神送りの神事がある、残念ながら現在しゃぎりは中小松では消滅している・・・中小松のしゃぎり・・新山神社に置かれていてその社殿前で記念撮影している写真がある、歴史おたくの幼馴染の話によると台車は残っているそうですが上の屋台はもうなくなっているとのこと何とか復元できないかと思っているようだ・・何年かかるかわからないが3地区のしゃぎりに新山神社のしゃぎり模型でいいから残しておきたいと思っている、貴重な中小松のしゃぎり写真ですが他にないものか図面が残ってないものなのか?

2018.07.16:li-no:コメント(0):[歴史探訪]