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白鷹町 下山地区獅子舞

  • 白鷹町 下山地区獅子舞
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お盆の時期は毎日どこかで獅子舞がある、昨日白鷹町の獅子舞を観にいく白鷹町のやな公園近く下山地区の熊野神社獅子舞、長井、川西、飯豊の黒獅子系とは全く異なる獅子、動きも笛もそれぞれ特徴がある、委員長さんにいろいろ話を伺ったが、どこも後継者不足、少ない人数で交代ができないから朝から獅子舞踊りにお酒浴びて疲れたと・・ほんとお疲れさんです、夕方神社に戻りクライマックスを迎える、最後の力を振り絞って神社に向かいます、田んぼの中をあるく獅子行列、絵になるねーその光景はむかしそのもの、服装もいいよね・

2016.08.15:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

飯豊町 中地区中獅子踊り

  • 飯豊町 中地区中獅子踊り
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 飯豊町の中地区に古くから伝わる獅子踊り、昨年見逃して今年初めて観にいきました、毎年8月14日に五穀豊穣、豊年満作を願って踊ります。 おはやし、長唄衆の唄に合わせて雌獅子、雄獅子、友獅子、三匹による花吸いの踊り、三角踊り、そして輪くぐりがあります、中地区6ヶ所の公民館前で踊ります午後5時夕方スタート、見たのは2番目の沖公民館夕日にはえる田んぼと獅子、ここだけ見てると昔のままなんでしょうね、飯豊町の無形民俗文化財に指定されてますが、起源は明確ではないようです、今から600~700年前と言われており、実家のある川西町小松の獅子踊りもそのあたりであるので同時期に伝わったようですね、昔はいくつかあった獅子踊りもこの中地区のみとなったようで頑張って残してほしいものです。

2016.08.15:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

虫送り(二日目)

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7月25日小松の西区、南区、北区から集められた虫は村境に置かれる、それはたまらんと隣村はその翌26日にその村境から自分たちの村を廻り、その次の村境に集め最後に梵天を指して終了となる、中小松を見たのは初めて、まといの虫送りは子供の字らしい、まといも車に積んで運ばず、手で昔ながら行列組んで『ヨーセ、ヨッセ、ヨセー』と唱えながら行列は進む、ここ提灯は手提げ提灯でかわいい、でも子供の頃大きいお兄さんは競って2段、3段と提灯を持っていた提灯のほうが好きだな。。昔はさらに次の下小松が虫を送っていたらしいがとっくの昔に無くなっている、現在は町村合併で同じ川西町となっているが昔の単位で神事が残っているのが面白い、ここ札は新山神社になる。

2016.07.26:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

虫おくり

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日本の稲作文化伝統行事の一つ、農作物の病害虫を追い払い豊作を祈願する、村単位で行われ、たいまつをたいて、鉦(かね)や太鼓をたたきながら行列して村境まで行く、農薬が普及するまで全国各地で見られたが、たいまつは火事の危険があり、農薬の普及とともに行われなくなったところが多いという。  実家のある川西町は提灯を持って『ヨーセ、ヨッセ、ヨッセー』と唱えながらながら、村境まで行く、子供の頃、単純にお菓子がもらえる日(7月25日)として楽しみにしていた行事だった、現在も残っているのはうれしい、今年初めて各地区のスタート点から村境まで追ってみた。西区は遠く塩ノ沢から日が落ちる前にスタート、そのころ南は小松皇太神社の100m先で待機、(本来はもっと先)北は小松駅前の長井街道を北におよそ300m先、加藤歯科医院前で準備、やがて小松の中心、川西町役場から西に100m先の伏見屋、十印菓子店のある交差点で合流し、小松町を旧道伝いに村境まで進む、村境はやまよ食堂さんのある十字路角、ここに札をさして終了となる。翌日26日は、この隣の中小松地区がこの境から長井街道を北に村境まで進むことになる。中区の行列は見たことないので今日も撮影に向かう、因みに昨日カメラとビデオを廻して追いかけていたが、ひとりカメラで追いかけていたやつがいた、、誰かと思えば歴史おたくの幼馴染・・毎年記録してるそうだ。 

2016.07.26:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

結城豊太郎記念館

  • 結城豊太郎記念館
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ARTS SEED OKItamaのイベントで南陽市に行った折、その近くの結城豊太郎記念館を見学した、結城豊太郎は、赤湯の酒造業結城家の長男として生まれ、才知才能すぐれ、小学校では児童たちの日常行動の中心となり、卒業後待望の旧山形中学、旧制二校(仙台)、更に東京帝国大学に進む、いずれも成績抜群で無試験進学、在学中は特待生として級友を率い、学業も教科の学習だけでなく、広い視野から学んで豊かな教養を身につけたということです、日本銀行に入り各支店長を歴任、大正10年に安田財閥、昭和5年に日本興業銀行総裁に迎えられ、昭和初期の不況対策に腕をふるい、また後に経済界で活躍する多くの人材を育てた。日本銀行総裁は、昭和193月まで6年半にわたり戦時金融の最高責任者として活躍した。 郷里の青少年のため赤湯町に贈った図書館「臨雲文庫」、りんうん文庫、その表門は、元薩摩藩 島津公江戸屋敷の門を移築したもので有意な人材が出ることを願ったとのことである、明治維新、多くの志士が出入りしたであろう門はたいへん立派な建物です、現在、南陽市立結城記念館となっていて、見学は無料。

2016.07.22:li-no:コメント(0):[歴史探訪]