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地名考 寺浦と稲葉山

  • 地名考 寺浦と稲葉山
  • 地名考 寺浦と稲葉山

川樋地区にある字寺浦(画像1)と稲葉山(画像2)です。

 

寺浦は松林寺の裏側にあることから名付けられました。寺裏とも書きます。

以前は水田が広がっていました。

お米の生産調整が始まるまでは、水があればどんな山の奥でも田んぼにして、お米を作っていました。

小さい田んぼだと6畳くらいの大きさしかなかったと教えていただきました。

川樋字吉蔵田も山の中にあるのですが、国土地理院HPの空中写真を見ると田んぼが確認できます。

 

稲葉は稲の干場のことです。

南向きで日当たりが良いことから、寺浦の田の稲を稲葉山麓の道沿いに干していたことから名付けられました。

2022.02.15:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

花窪坂の記念碑

  • 花窪坂の記念碑
  • 花窪坂の記念碑

元中山地区の幹線道路である県道は、大正2年(1913)と昭和9年(1934)に花窪坂の掘り下げ工事が行われています。

また、昭和58年頃より県道原中川停車場線の拡幅工事が行われ、平成9年に花窪地内までの工事が完成しました。

 

画像は大正時代に行われた道路改修の記念碑です。

(以前撮影したものです)

正面に「記念碑」、

側面に「大正二年九月為道路堀下工事記念」(下と工は異体字)

「大正三年七月建設之」と刻まれ、下部に發起人6名の名前も見られます。

 

大きな立派な石碑ですので、当時の人々の道路改修を喜ぶ思いが窺えます。

 

参考:ふるさと中川

2022.02.10:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 花窪

  • 地名考 花窪
  • 地名考 花窪

元中山地区の花窪の地名が出て来る最も古い文書は元禄9年(1696)宮内の蓮蔵院文書です。

 

中山村内、花窪稲初尾取集に付

本寺、従大佛頂院、北條郷之内都合三拾ケ村と貴院江御奉書被下置候ニ付而、中山村之内花窪も貴院江稲初穂尾取集可被成候 (以下略)

 

簡単に略すと

「中山村のうち花窪の稲初穂※は貴院のです」という証文です。

 

花窪の地名ですが、ハナ(花=鼻・端)は山から突き出た半島のような地形の様子を表します。

(画像1は下流側の諏訪原から見た花窪の風景)

クボ(窪・久保)は開けた場所に使われる場合が多く、沢によって土砂が堆積した地形に因む地名のようです。

窪地は水が溜まる水田適地なので、県内各地にクボがつく地名があります。

 

※稲初穂は、修験寺院が五穀成就のため、稲の刈りはじめを一軒に一束ずつ集める習わし

 

引用:南陽市史編集資料 第7号

参考:地名のなぞを探る~やまがた~ 木村正太郎著

   やまがた地名伝説 山形新聞社

2022.02.10:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 兀

  • 地名考 兀

川樋地区に兀(ハゲ)のつく字名が「兀山」「大兀」「小兀」と3つあります。

いずれも急傾斜地に付けられた地名です。

画像は字「兀山」で宮内秋葉山の中川地区側の光景です。

地すべりによって地面が露出していることから名付けられました。

 

ハゲの字ですが、禿だと禿(ツブレ)百姓を連想させ縁起が悪いことから、兀の字を当てたと考えられます。

 

2022.02.07:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 元中山の日影・代

  • 地名考 元中山の日影・代
  • 地名考 元中山の日影・代

元中山地区の地名が出て来る最も古い文書は、天文22年(1553)の伊達晴宗采地下賜録です。

 

「やしろ中山のうち、一、たい(代)の在け 一、うきめん三千かり 一、ひかけ(日影)在け (中略) をのをのかをん(各々加恩)としてくたしおき(下し置き)候所不可有相違也 あハのゑもん(粟野右衛門)」

 

この伊達文書から、粟野右衛門は「屋代中山の内、代在家※1と浮免※2三千刈※3と日影在家」を下賜されたことが分かります。

なお、伊達領下の時代、「村」にあたるのものが「在家」「由緒」になります。明治2年に分村するまで元中山は中山村に入っていました。

 

さて、日影(ヒカゲ)の地名については、山に囲まれ山の影になる地形から付けられたと考えられます。

小岩沢地区にある字、日向(ヒナタ)は南向きの場所で、沢を挟んだ北向きの場所は影沢(カゲサワ)です。

 

続いて代(ダイ)ですが、ダイ(代=台)とすると、前川による河岸段丘の平らな場所(台地)をさす、地形に因む地名のようです。

 

※1 百姓の小集団のことで、在家がいくつか集って村になる

   置賜で在家がつく地名は慶長年間以前に開墾された場所

※2 面積だけ決めて、場所を特定しない非課税の田地

※3 約3町歩

 

参考資料 山形県史資料編15上、南陽市史

     山形県の地名研究 長井政太郎著

 

2022.02.04:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]