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実施します

令和4年度の「中川地区給食サービス」を開催します。

第1回目 令和4年11月26日(土)

第2回目 令和5年 1月21日(土)

対象者の方には食改さん手作りの温かいお弁当をお届けいたします(*^^*)

※諸事情で変更・中止になる可能性もございます。

 

2022.10.18:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

冷やしファン

  • 冷やしファン
パソコンが不機嫌ならば、スマホでやったらいーじゃーないか!と思いすかさずアップ!

宮内地区 麺屋 葵  冷やし坦々麺

冷やしファンのあたしとしては欠かせない逸品!
今年、最初で最後の冷やし坦々麺を先日食してまいりました(^^)
美味しかったです!
2022.09.14:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

神明神社の手水石

  • 神明神社の手水石
  • 神明神社の手水石
  • 神明神社の手水石
  • 神明神社の手水石

神明神社へ行く石段の左側に手水石(ちょうずいし)が置かれています。

石に刻まれた年号を見ると、創立された嘉永(1848~1855)のはずですが、寶(宝の旧字)永に見えます。

 

宝永三年は西暦1706年なので、神社創立から1世紀以上も前になってしまいます。

もっと古い寛永(1624~1645)ということはないでしょうし、嘉の異体字でもなさそうです。

 

石段の入口にある「奉納御石塔」も「明和七庚寅天」と刻銘があり西暦1770年になります。

(和の字は偏(へん)と旁(つくり)を上下にした異体字)

 

神明神社の近くには江戸時代※から北ノ沢鉱山があり石祠が残っています。

(刻銘がなく建立年・神様も不明)

また秋葉山への山道を利用して木材の切り出しを行っていました。

神明神社が出来たことで、元々あった石造物を設置したと考えられます。

 

※寛政4年(1792)の「樹蓄建議」に記載あり

 

私事ですが、この度転勤となりました。

中川地区の皆様には大変お世話になりました。ありがとうごございました。

「中川地区の歴史」の投稿はこれで最後になりますが、今後も「中川公民館日記」をお楽しみいただければ幸いです。

2022.03.31:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

川樋 神明神社

  • 川樋 神明神社
  • 川樋 神明神社
  • 川樋 神明神社

川樋地区下にある神明神社です。

(画像は昨年撮影したものです)

地域の人は「オスメサマ」と呼びます。

川樋から日影道を進むと、左側に神明鳥居があります。鳥居から社殿まで約300m位です。

途中で道が分かれますが右に進むと神明神社で、左に進むと秋葉神社への参道です。

嘉永(1848~1855)年中創立ですので、地区内では比較的新しい神社になります。

 

神明神社の総本山は伊勢神宮です。江戸時代に伊勢参りが盛んになり全国各地に神明神社が創建されました。

 

以前は川樋の法印様、不在になってからは元中山の法印様、現在は川樋松林寺住職がご祈祷を執り行っています。

祭神の一柱が大日如来であることから、神仏習合の形が見てとれます。

 

赤湯町史(昭和43年)より

 神明神社

 祭神:天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

    大日如来(だいにちにょらい)

 由緒:嘉永年中創立

2022.03.29:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

地名考 碇田

  • 地名考 碇田
  • 地名考 碇田

小岩沢地区の字碇田(イカリダ)です。

 

イカリという地名には、漢字で「碇」「猪狩」「五十嵐(イカラシ)といった字が使われます。

川(自然)がイカル=「怒る」「溢れる」という意味を持ち、洪水の被害に遭いやすい場所や水はけの悪い場所を示しているということです。

 

碇田も前川のそばにあり、大雨になるとすぐ冠水する場所です。

(画像2は大雨の時の様子です)

中川地区は山に囲まれた地域ということもあり、災害地名が数多く残されています。

 

参考文献:災害・崩壊・津波地名解~地名に込められた伝言 太宰幸子著

2022.03.23:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]