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ふるさと納税の闇…上田市長へ公開質問状~賢治“利権”の実態、露わに!!??

  • ふるさと納税の闇…上田市長へ公開質問状~賢治“利権”の実態、露わに!!??

 

 「ダブルスタンダードは行政運営上、絶対に許されない禁じ手ではないのか」―。イーハトーブ花巻応援寄付金(ふるさと納税)の総額が90億円(令和5年度)を超え、全国自治体で第13位にランクされた当市で、見方によっては“虚偽宣伝”とも受け取られかねない事態が起きている。その実態については当ブログでその都度、明らかにしてきたが、肝心の行政サイドは見て見ぬふりの体(てい)である。そこで直接、上田東一市長にその胸の内を問いただすため、11日付で以下のような公開質問状を提出した。回答があり次第、公開する。

 

 

 花巻市長 上田 東一 様

2024年10月11日

花巻市桜町3-57-11

増子 義久

 

 

公 開 質 問 状

―ふるさとチョイスの宣伝広告について

 

 

 貴殿は市内御田屋町に現存する旧菊池捍邸が賢治寓話『黒ぶだう』の舞台だとする、いわゆる「モデル説」に関連し、令和5年3月の定例記者会見でこう述べています。「宮沢賢治の寓話『黒ぶだう』の舞台になったということを仰(おっしゃ)る方もいますが、それが正しいかどうか分かりません」。その一方で、イーハトーブ花巻応援寄付金(ふるさと納税)の返礼品のひとつである「花巻黒ぶだう牛」の宣伝広告には以下のように記されています。

 

 

●「花巻黒ぶだう牛」は、花巻が世界に誇る株式会社エーデルワインが製造するワインのぶどうの搾りかすを飼料として給与しており、さらりとした脂と豊かな風味が特徴です。花巻出身の詩人で童話作家の宮沢賢治の寓話(ぐうわ)「黒ぶだう」で仔牛がぶどうを食べる描写があることから名づけられた、花巻ならではの「ブランド牛」です。

 

●寓話「黒ぶだう」は、花巻市御田屋町の旧菊池捍邸が舞台とされ、赤狐に誘われた仔牛が、留守の人間の別荘に入り込み勝手に「黒ぶだう」を食べていたところに住人の公爵一行が帰宅し、逃げ遅れた仔牛は見つかってしまいますが、怒られもせず、逆に黄色いリボンを結んでもらうというものです。物語の中で、赤狐はぶだうの汁ばかり吸って他は全部吐き出しますが、仔牛は「うん、大へんおいしいよ」と種まで噛み砕いて食べてしまいます。賢治は当時すでに、ぶどうの搾りかす(皮と種)が家畜の餌として使えることに気づいていたのかもしれません(2024年10月11日現在の市HP「ふるさとチョイス」から)

 

 

 

 

 以上の観点から次の諸点について、見解を伺います。選挙をはさんだ多忙な時期に重なりますが、11月21日までに文書(メール可)での回答をお願いします。

 

1)モデル説に疑義を呈するようになった根拠はどこにあるのか。その一方で、返礼品の宣伝広告では逆にそのモデル説を強調しているのはなぜか。「ダブルスタンダード(二重基準)」は行政運営の基本原則に反する行為だと言われる。この間の経緯を納税者も納得できるように説明願いたい。

 

 

2)モデル説について、当方(増子)が提唱者に問いただしたところ、「賢治と旧菊池捍邸や本人を結び付ける接点は最後まで見つからなかった。モデル説だけがひとり歩きしてしまった」として事実上、自説を撤回した。ふるさと納税に財源の多くを依存している行政としても、提唱者本人に真意を確かめた上で、今後の対応を再考すべきではないか。

 

 

 

 

(写真は賢治ミックス(白金豚×黒ぶだう牛)の花巻ハンバーグ。返礼品の人気商品のひとつ=インタネット上に公開の「ふるさとチョイス」から)

 

 

 

《追記》~ノーベル平和賞と「イーハトーブ」

 

 今年のノーベル平和賞が日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に与えられるというビッグニュースをかたわらのテレビが伝えている。そして、目の前のブログには賢治“利権”というおどろおどろしい文字が躍っている。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」)―。「平和」のメッセージを発信し続けてきた「イーハトーブ」の創造主はいま、何を思うのだろうか…。賢治のこの理想郷の崩壊を食い止めるための、残された時間はもう「待ったなし」である。

 

 

 


 

 

 

 

賢治の「トリセツ」(取扱説明書)…“利権化”が進むイーハトーブ!!??~その受容と非受容のはざまにて

  • 賢治の「トリセツ」(取扱説明書)…“利権化”が進むイーハトーブ!!??~その受容と非受容のはざまにて

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。自らを幽霊、すなわち“お化け”と称して憚(はばか)らない宮沢賢治につきまとわれて、早や2年が過ぎようとしている。そして最近、言い知れない不毛感に襲われるようになった。そのきっかけは「駅前か病院跡地か」という新花巻図書館の立地論争に起因するような気がする。ある意味で、図書館との親和性が一番強いはずの、賢治を軸にした「図書館」論議かほとんどなかったからである。その間隙をぬうようにして、表面化したのがいわゆる賢治をめぐる“利権”騒動だった。

 

 「実在する建物を賢治が気に入り、逆に建物に合わせて物語を創った例が見つかった」―。宮沢賢治学会の「イーハトーブセンタ―会報」(2007年9月30日発行、第35号)にこんな記述がある。「花巻・菊池捍邸と賢治寓話『黒ぶだう』」と題する論考の中の一節で、筆者は「黒ぶだう」モデル説の提唱者のひとりである。賢治研究の専門家は会報の中で「作品の推定執筆時期の再考を迫る事柄」と太鼓判を押し、この主張に“お墨付き”を与えた形になっている。37歳という「夭折」(ようせつ)はそれ故に時代の波に翻弄(ほんろう)される運命にあったのかもしれない。

 

 「玄米四合から三合へ」―。賢治の詩「雨ニモマケズ」が戦後の国定教科書で改ざんされた事件(10月1日付当ブログ参照)について、当時検定を担当した作家の石森延男(故人)は賢治の弟、清六さんの話として、こんな会話を書き残している。「かまいませんよ。兄はそんなことにこだわりませんし、笑っているでしょう」。旧菊池捍邸の『黒ぶだう』モデル説もある意味で、賢治学会という“権威”の後ろ盾によって生み出されたと言える。本来なら、その作品性を固守すべきはずの親族や賢治研究者が率先して、賢治“利権”の構築に加担。そのあげく、ふるさと納税獲得のための“広告塔”に利用されるに至っては、おらが賢治は余りにも哀れすぎないか。

 

 ”賢治教”ともいうべき神格化された賢治と「食わず嫌い」の賢治知らず…。“両刃の剣”という意味でこの郷土の偉人は「取扱注意」の人物である。だからこそ、不断から「トリセツ」をきちんと整えておかなければならない。時と所をかまわずにひょいと目の前に出現する、賢治のその神出鬼没ぶりが私は好きである。ある種の“憑依”(ひょうい)感覚と言ってもいいかもしれない。私は以前、新図書館の構想について、以下のような「私論」(一部抜粋)を書いた。登場人物たちの賢治との距離感に同じ感覚を抱いたからである。そんな人物たちが行き交う「IHATOV・LIBRARY」(「まるごと賢治」図書館)を私は夢想している。しかし、その図書館周辺にも”利権”疑惑が…

 

 

●賢治を「師」と仰いだ人材は世界各国にキラ星のように存在する。例えば、原子物理学者の故高木仁三郎さんが反原発運動の拠点である「原子力資料情報室」を立ち上げたのは賢治の「羅須地人協会」の精神に学んだのがきっかけだった。また、アフガンでテロに倒れた医師の中村哲さんの愛読書は『セロ弾きのゴーシュ』で、絶筆となった自著のタイトルはずばり『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』だった」

 

●さらには、シンガーソングライターの宇多田ヒカルのヒット曲「テイク5」は『銀河鉄道の夜』をイメ-ジした曲として知られる。一方、戦後最大の思想家と言われた故吉本隆明さんに至っては「雨ニモマケズ」を天井に張り付けて暗唱していたというから、「賢治」という存在がまるで“エイリアン”のようにさえ思えてくる。こうしたほとばしるような“人脈図”がひと目で分かるようなコーナーを設置し、賢治という巨木がどのように枝分かれしていったのかーその思想の全体像を「見える化」したい。

 

 

 

 

(写真は賢治のイラスト。“お化け”は死なないので、「没後」90年以上たった今も賢治は生きている=インターネット上に公開のイラストから)

 

 

 

 

《追記ー1》~「無罪」という名の”死刑”!!??

 

 

 「無実の罪(えん罪)によって、袴田巌さん(88)の失われた58年間は実質的な”死刑”執行ではなかったのか」―。検察側の控訴断念によって、袴田さんの無罪が確定した「この日」(10月8日)のその姿をテレビで見ながら、法の残酷さを思い知らされた。その一方で、弟を支え続けた姉の秀子さん(91)は「(無罪を)信じていたので…」と満面の笑みを見せた。その表情が何とも神々(こうごう)しく輝いていた。この人は「神」ではないかと、心底そう思った。おらが賢治に降りかかった”えん罪”も晴らしてやらなければ…

 

 

 

《追記―2》~「高瀬露」のえん罪も晴らしたい!!??

 

 

 花巻市在住の賢治研究者である鈴木守さんは袴田巌さんの無罪確定を受けて、自らのブログ「みちのくの山野草」(10月8日付)に以下のような所感を掲載した。鈴木さんは賢治の恋人と言われた「高瀬露」さんが各種研究書などによって、“悪女”に仕立て上げられた経緯を実証的に検証。『本統の賢治と本当の露』などの著書で、その”悪女伝説”の実態を明らかにし続けている。

 

 

 私は、袴田巌さんおめでとうございますと、お姉さんのひで子さんには、お疲れ様でしたと言った。そして、そうか、やはり冤罪だったのかと私は安堵した。次に、己を鼓舞した。私も、高瀬露の濡れ衣を晴らすためにこれからも粘り強く取り組んでゆかねば、と。それは、巌さんもひで子さんも共に58年間闘って勝ち取ったわけだが、私がコツコツと取り組んできたのはまだ18年目なのだから、まだまだ頑張り続けねば。老い先短い私ではありますが……。
 

 それにしてもおぞましく思うのは、捜査機関が証拠を捏造したことだ。そして、高瀬露の場合もある出版社によってそのようなことが為されていたという蓋然性が頗る高いことだ。つきましては、このブログ等を通じて〈高瀬露悪女伝説〉は濡れ衣であり、謂わば冤罪ですよ、と今後も皆様に訴え続けてまいりますのでどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

《追記―3》~「当時の報道、おわびします」!!??

 

 

 「葬儀にも参列/顔色も変えず」「検察側の追及をふてぶてしい態度ではねつけてきたが、ついに自供した」―。袴田さんの無罪確定を受け、かつて在籍した朝日新聞は9日付一面で東京本社編集局長名の謝罪文を掲載した。「明らかに人権感覚を欠いてしました」という58年を経た末の詫び状に思わず、身を固くした。袴田さんが逮捕された1966年当時、私は26歳の新人記者として、初任地の西部本社(九州)管内で取材活動をしていた。

 

 遠い静岡の地で起きたこの凄惨な事件の記憶はいまも、頭の片隅にこびりついている。しかし当時、袴田さんに寄り添うような姿勢があったかと自問すればまったく、自信がない。むしろ逆だったのではないか…。ただ、その後の取材活動の軸足がたとえば、足元の被差別部落問題や北海道ではアイヌ民族の差別問題へと向かって行った軌跡をたどれば、あるいはこの「事件」の教訓をどこかで引きずっていたのかもしれないと思う。目の前では賢治が理想郷と呼んだ「イーハトーブ」の腐敗が止まるところを知らない。目を背けるわけにはいかない。

      

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

旧菊池捍邸は賢治寓話『黒ぶだう』のモデルではなかった!!??…提唱者が自説の撤回へ~後を絶たない賢治“受難劇”

  • 旧菊池捍邸は賢治寓話『黒ぶだう』のモデルではなかった!!??…提唱者が自説の撤回へ~後を絶たない賢治“受難劇”

 

 「宮沢賢治が実際に旧菊池捍邸を訪れたり、捍(まもる)さんと対面したという確証は最後まで得られなかった」―。『黒ぶだう』モデル説の提唱者のひとりで、花巻市文化財調査委員の木村清且さん(74)は足かけ20年近くにわたって主張してきた「モデル説」が実は、最初からこの建物を作品の舞台(モデル)に見立てた“見切り発車”だったことを初めて、明らかにした。花巻市の上田東一市長がこのモデル説に疑義を呈しながら、一方でふるさと納税の返礼品のひとつである「花巻黒ぶだう牛」を宣伝するための“広告塔”に利用している事実が発覚。”二枚舌”手法によるある種の官製”詐欺”ではないかと批判したのがきっかけになった。市民の間には二重の”犯罪行為”ではないかという批判が出ている。

 

 『黒ぶだう』モデル説の定説化にあずかったのが木村さんら二人の共編になるガイドブック「賢治寓話『黒ぶだう』の素敵な洋館はここです」(2016年刊)である。現在、市内御田屋町に現存する旧菊池捍邸についてはこう書かれている。「江戸時代さながらの茅葺き平屋の武家屋敷の並ぶ通りに忽然と現れた二階建ての西洋館、それは賢治が夢見たイーハトヴの出現でした。『黒ぶだう』はこの建物が賢治の想像力をかきたて、産みだされたお話しなのです」

 

 木村さんはこの間の経緯をこう話した。「当時、衰退する一方の中心市街地を活性させるため、賢治を軸としたまちづくりや景観づくりを模索していた。そんな時、賢治に詳しい共編者の方がこの建物とぴったりの賢治作品があると…。それが『黒ぶだう』だった。その作品を改めて読んでみると、イメージが旧菊池捍邸に違和感なく、重なった。しかし裏付けが必要なので、捍さんの日記や名刺類など膨大な資料を精査し、さらに賢治との接点を捜して捍さんが勤務したことがある台湾にまで足を延ばした。しかし結局、それを立証する根拠を発見することはできなかった。そんな中、モデル説だけがひとり歩きしてしまった」

 

 賢治“受難劇”は上田市政になってから顕著になった。90億円を超える莫大なふるさと納税の寄付額(全国自治体で第13位)を支えているのは牛や豚などの食肉関係が大半で、付加価値を付けるための“賢治利用”も目に余るようになっていた(「モデル説をめぐるミステリー・シリーズ」や7月27日付と8月17日付の当ブログ参照)。この件に関して、木村さんは「返礼品の宣伝にモデル説が利用されているとは知らなかった。いまは(旧菊池捍邸は)『黒ぶだう』が読みとれる作品だと説明することにしている」と話した。しかし見方によっては、ある種の“捏(ねつ)造”とさえ受け取られかねないモデル説とそれを利用した“錬金術”……賢治を“食い物”にしてきたという意味では双方ともに同罪と言わざるを得ない。

 

 戦後の一時期、賢治の詩「雨ニモマケズ」の中の「玄米四合」が「三合」に改ざんされた“事件”があった。新しい国語(中学用)に採用する際、「戦後の耐乏生活の中で四合では贅沢すぎる」というのがその理由だった。作家の井伏鱒二は広島原爆を描いた代表作『黒い雨』の中で、ある女性からの伝言の形でこのエピソードに触れている。「子供がこの事実を知ったら、どういうことになりますか。おそらく、学校で教わる日本歴史も信じなくなるでしょう。もし宮沢賢治が生きかえって、自分で書きなおしたとすれば話は別ですが…」―

 

 旧菊池捍邸の『黒ぶだう』モデル説も賢治が銀河宇宙から舞い戻って、執筆したというのなら「話は別」であろう。しかし、ガイドブックはこんな「見てきたようなウソ」で終わっている。「賢治が(花巻黒ぶだう牛のことを)知ったら、きっと喜んでホッホーと飛び上がったことでしょう」。一方の上田市政はと言えば、将来の都市像をこう謳いあげている。「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。足下に視線を下ろしてみる。賢治を”懐(ふところ)肥やし”に利用する一方で、賢治自身の思索のホームグランド(原点)でもあった「新興製作所跡地」(花巻城址)は残骸を残したまま、放置されている。賢治が夢の国とか理想郷と呼んだ「イーハトーブ」のこれが舞台裏の実態である。

 

 わたしはいま、58年ぶりに再審無罪を勝ち取った袴田巌さんの「無実の罪」の重さに打ちのめされている。捜査当局が衣類などの証拠品を捏造するという前代未聞の国家犯罪である。今回の「モデル説」騒動を見ていると、賢治もまたある意味で“冤(えん)罪”の被害者ではないかとさえ思ってしまう。賢治“利権”というおぞましい言葉がまたぞろ、頭の中をグルグル徘徊し始めている。いまこそ、「まるごと」賢治を体現する真の「イーハトーブ」の実現を目指すべき時ではないのか。

 

 

 

 

(写真の「雨ニモマケズ」詩碑には連日、観光客が訪れる。この日は埼玉県の慶応義塾大学附属志木高校の生徒たちがガイドから説明を受けていた=花巻市桜町4丁目で)

 

 

 

 

 

『注記』~花巻黒ぶだう牛(サーロインステーキ用)の宣伝広告(市HPふるさとチョイスから。再掲=10月6日現在)

 

 

 「花巻黒ぶだう牛」は、花巻が世界に誇る株式会社エーデルワインが製造するワインのぶどうの搾りかすを飼料として給与しており、さらりとした脂と豊かな風味が特徴です。花巻出身の詩人で童話作家の宮沢賢治の寓話(ぐうわ)『黒ぶだう』で仔牛がぶどうを食べる描写があることから名づけられた、花巻ならではの「ブランド牛です!

 

 寓話『黒ぶだう』は、花巻市御田屋町の旧菊池捍邸が舞台とされ、赤狐に誘われた仔牛が、留守の人間の別荘に入り込み勝手に「黒ぶだう」を食べていたところに住人の公爵一行が帰宅し、逃げ遅れた仔牛は見つかってしまいますが、怒られもせず、逆に黄色いリボンを結んでもらうというものです。物語の中で、赤狐はぶだうの汁ばかり吸って他は全部吐き出しますが、仔牛は「うん、大へんおいしいよ」と種まで噛み砕いて食べてしまいます。賢治は、当時すでに、ぶどうの搾りかす(皮と種)が家畜の餌として使えることに気づいていたのかもしれません

 

 

 

 

 

 

孤高の裁判を闘うとは…花巻病院「訴訟」傍聴記~まるで、“魔女狩り”/袴田「孤高」裁判は無罪に!!!

  • 孤高の裁判を闘うとは…花巻病院「訴訟」傍聴記~まるで、“魔女狩り”/袴田「孤高」裁判は無罪に!!!

 

 盛岡地方裁判所花巻支部で25日、公益財団法人「総合花巻病院」(大島俊克理事長)を相手取って、「降格処分」の無効などを求めた民事訴訟の証人尋問が行われた。裁判を起こしているのは40代男性技士のAさん。訴状によると、Aさんは2020(令和2)年2月1日付で、移転・新築前の同病院に臨床工学室技士長として採用されたが、2023(令和5)年2月1日付で、技士長から「主任級」に降格された。提訴は同年5月30日付で、精神的な苦痛などに対する慰謝料を含め、総額1,160万円の賠償を求めている。

 

 「言葉使いが威圧的」「自己顕示欲が強い」「職場風土を乱す」…。この日、被告の病院側は専務理事ら3人を証人に立てたが、Aさんへの“人格攻撃”(人身御供=ひとみごくう)に終始した。被告側の陳述書に記載された看護師らへの誹謗中傷について、平古場郁弥裁判長は「その経緯を記録した議事録など証拠品は存在するのか」と何度もしつこく質したが、「その種の記録はない」と答えるにとどまった。さらに、処分後に提出された始末書について、Aさんは「これではダメだ。言われたとおりに書き直せと要求された。逆らったら、処分が重くなると思った。今後、このようなことをしないことを決意します、と末尾に書くよう強要された」と証言した。

 

 また、Aさんが不在中、臨床工学室の自室に病院幹部が立ち入った写真が証拠として提出された。これについて、「置いたものが不自然に動いている感じがしたので、気持ち悪くなってカメラを設置した。私に不利になる証拠を探しているのではないかと思った」とAさんが証言したのに対し、被告側は「業務の必要上、中に入った」と反論した。双方の尋問の中で注目されたのは米国の心理学者が提唱した「心理的安全性」についてのやり取り。この学者はこの言葉について、「職員同士が職位に関係なく健全な意見を戦わせ、生産的で良い仕事をすることに力を集中させる組織風土」と定義しており、Aさんはある会議でこの必要性を提言した。ところが、被告側は「短絡的な組織批判だ」として、提言の書き直しを命じたことも明らかになった。

 

 口裏を合わせたような被告側の証言を聞きながら、私は中世末期から近世にかけてヨーロッパで行われた、異端者を排除する”魔女狩り”(魔女裁判)の光景を重ね合わせていた。傍聴者は私を入れて、2人だけだった。この日の尋問は約4時間に及んだが、11月29日までに双方の弁護人が最終書面を提出し、12月29日の口頭弁論で結審となる。

 

 

 

【裁判をめぐる経緯】(7月1日付当ブログ参照)

 

 「総合花巻病院は、経営もひどいですが、パワハラも日常的に行われています。花巻市民の税金によって助けられた病院の将来はどうなるのでしょうか。私はいまこの病院で勤務しながら、病院相手に訴訟中です」―。今年4月下旬、こんな文面のメールが突然、ブログのコメント欄に送られてきた。実名を名乗っていたが、記憶に覚えはなかった。この1カ月ほど前の3月22日、花巻市議会の臨時会が開かれ、同病院に対する総額5億円の財政支援が決まっていた。私は末尾の「訴訟」という二文字が気になった。さっそく、メールでやりとりをし、翌日、花巻駅前の居酒屋で落ち合った。

 

 「職場改善の提言をしただけで処分を受けた上、始末書も書かされた。地獄のような職場だった」―。40代半ばのその男性技士はまるで、ダムが決壊したかのように一気に話し始めた。降格処分に伴う慰謝料請求の裁判を起こしたのは実は1年ほど前の令和5年5月のことだと分かった。孤立無援の裁判闘争の中で、心身ともにすり減らしてきた様子が手に取るように伝わってきた。「精神的に追い込まれ、もうだめかと思ったこともあった」と言って、絞り出すようにつぶやいた。「ある時、クリーニングをしたばかりの白衣のポケットに虫の死骸が入っていた。かと思ったら、今度は泥みたいなものを塗られたり。嫌がらせにしても…」

 

 総合花巻病院は2020(令和2)年3月2日、現在地〈市内御田屋町〉に移転・新築した。総工費86億9千万円のうち、市側の補助金は19億7500万円で、病院側の自己資金はわずかに1億円。私は当初から行政主導型の強引とも思えるこの構想には警鐘を鳴らし続けていた。そして、今回の追加の財政支援。オープンからわずか4年余りでの“経営破綻”だった。医師不足を棚に上げたままの“見切り発車”は当然、医療現場の荒廃を招いていた。私はその都度、この病院の舞台裏に目を光らせ、ブログ上で批判を続けてきた。

 

 「アクセスにアクセスを繰り返すうちにやっと、あなたのブログにたどり着いた。あの時は本当に藁(わら)をもつかみたい気持ちだった」―。彼の「万が一」を心配し、私はできるだけ連絡を取るように心掛けた。「それまで親しかった同僚が突然、くるりと背中を向けたり…」―。“四面楚歌”や“衆人環視”による敵意の壁の恐ろしさを私自身、肌身で知っていた。自慢にもならないが、“一匹狼”だった己の体験がこんな時に少しでも役立つとは…

 

 一方で、ハッとする言葉にこっちが救われることも。たとえばある時突然、彼はこう言った。「『夜と霧』をしっかりと読み直しました」。第2次世界大戦中、ナチスの強制収容所に収監された人たちの拘禁心理を描いたヴィクトール・フランクルの代表作(1946年)である。こんな本まで手に取っていたのか…。悩みを打ち明けた直後には、気持ちを取り直すようなかのようにオクターブを上げた。「今日も花巻の皆さんのために、一隅(ぐう)の光になります」とー。「一隅を照らす」という最澄のメッセージに自分を仮託する姿を見ながら、私は少しずつ安堵(あんど)を覚えるようになった。そして、この日を迎えた。

 

 

 

 

 

(写真は法廷への案内表示=花巻市花城町で)

 

 

 

 

《追記》~袴田さん、無罪…現代版“魔女狩り”の闇が白日の下に!!!

 

 

 強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さん(88)の裁判をやり直す再審公判で、静岡地裁(岡井恒志裁判長)は26日、無罪を言い渡した。新聞に踊る大見出しは袴田さんが背負い続けた「無実の罪」(えん罪)の底知れない闇の深さを暴き出している(9月27日付「朝日新聞」より)

 

 

●58年、やっと「自由の扉」/裁判長が謝罪、姉「巌の半生、生かして」

●衣類・自白など捏造認定/死刑再審、戦後5件目

●「三つの捏造」捜査断罪/「自白を強要、非人道的」

●取り返せない司法の過ち

 

 

「これって、重大な人権の侵害、あるいは蹂躙ではないのか」…噛み合わない図書館論議と「ドキュメント72時間」のはざまにて~そして、「パワハラ」東西対決の行方はいかに!!??

  • 「これって、重大な人権の侵害、あるいは蹂躙ではないのか」…噛み合わない図書館論議と「ドキュメント72時間」のはざまにて~そして、「パワハラ」東西対決の行方はいかに!!??

 

 「たまには変わった料理を提供したい」と拡大鏡をのぞきながら、レシピ本と首っ引きの老人施設の料理人、「少し株で儲かったら、家を新築しようかと思って」と会社四季報のデータをメモする男性、「私、(コミュニケーションが少し苦手な)アスペルガーなんです」という女子高校生の手には文学書や詩集が。そうかと思えば、朝一で新聞閲覧室に駆け込むお年寄りたち…。最近、NHKの「ドキュメント72時間」で放映された「金沢/大きな図書館で」(8月30日放映)のひとこまひとこまが脳裏を行ったり来たりしている。

 

 まるで、ローマの円形劇場を思わせる「石川県立図書館」は2年前にリニューアルオープンした。蔵書数110万冊、閲覧席500席…。「知は無限にめくり、めぐっていく。そして知はまた、あなたのもとへ」というコンセプトを掲げたこの図書館には老若男女がひっきりなしに行き交う。1日の来館者数は平均で2140人(2022年度)にのぼる。プラネタリウムみたいな読書空間、カフェで談笑を楽しむ親子連れ、「今日は観たい映画があるので」と映画ブースに急ぐ人も…。「図書館とはある意味で人生の隠家」―こんな図書館像を彷彿させる巨大空間である。ところで、当地「イーハトーブ」にもこんな夢のよう図書館がとっくにできているはずだったのだが…

 

 「知の泉/豊かな時(とき)/出会いの広場」―。有志の市民でつくる「花巻図書館整備市民懇話会」が新図書館建設に向けた提言をまとめたのは、平成24(2012)年10月。その約2年後の平成26年、上田(東一)市政が誕生した。それからさらに10年以上の歳月が流れた。そして今、提言が求めた新図書館建設は立地場所さえ決まらないという迷走状態をさ迷っている。

 

 「意見集約さえ自力で出来ないというのはまさに、行政の自殺行為。しかも、肝心の予算の執行がとん挫するに至ってはその責任も問われなければならない」―。開会中の花巻市議会9月定例会一般質問の質疑の中で厳しいやり取りが続いた。発端はこうである。「駅前か病院跡地か」…市側は今年6月議会に新図書館の立地場所に関する市民の意見集約に関し、外部の業者に委託する「公募プロポーザル」方式を提案。必要な経費約1千万円の予算を計上した。賛否がぶつかり合う中で、この予算は僅差で可決された。

 

 ところがである。公募に応じたのはわずか1社で、その業者も各種評価点が低く、不採択になった。さ~て、どうする。市側がひねり出したのがいったん、可決された当該予算の“流用”である。この際の通常の行政手続きとしてはまず、公募プロポーザルに伴う予算執行ができなかった責任を謝罪し、改めて予算措置をするというのが筋である。今回はまるで逆。議会側の議決権を無視した上、二元代表制などはどこ吹く風の“強行”突破の雲行きである。こんな時にひょいと、顔を見せるのが上田“強権”支配の素顔である。この人はこう言ってのけた。

 

 「現在、連携関係にある慶応大学FSC研究所に改めて意見集約をするためのファシリテーターの仲介をお願いしている。公募プロ―ポーザルは失敗したが、結果的にはこっちの選択肢の方が良かったかもしれない。新たな予算措置の必要はない。6月議会で議決をいただいた範囲内の正当な行為だ」―。10年間もの遅れを棚に上げ、こんな暴言も飛び出した。「我々も早く建てたいと思っているんですよ。(原点に戻れという議員の指摘は)ちゃぶ台返しを求めているようなもんだ。もっと遅れていいのか」…”狂気の沙汰”ーまるで、ヤクザの啖呵(たんか)。質疑応答の合間に時の人でもある兵庫県知事が話題にのぼった。それにしても似た者同士の口吻(こうふん)ではないか。最近、上田市政の惨(むご)さにしょっちゅう、キレている。そしてまた、キレそうになった。

 

 「ごめんなさい。ちょっと今だけ、今だけ来させてください」―。「ドキュメント72時間」の最終場面の映像がよみがえった。ひとりの男性が図書館の一角で、じっと外を眺めている。今年元旦の能登半島地震で被災し、いまは珠洲市から金沢市内の仮設住宅で暮らしている。七輪づくりの職人で、自宅も作業場も全壊、再建のメドはついていない。マイクを向けられた冒頭の言葉を引き合いに出しながら、哲学者の鷲田清一さんは以下のように書いている(9月6日付朝日新聞「折々のことば」)

 

 「能登半島地震で家が崩れ、家族とともに金沢市に避難した男性は、先行きが見えない中、石川県立図書館をよく訪れ、窓辺で遠くを眺める。みな『ピシッ』としていて『気が引き締まる』感じになると言う。いつか途(みち)が見つかるまでこの空気の中にいたいと。人それぞれの人生の一ステージを支える図書館。NHKテレビの番組「ドキュメント72時間」(8月30日放送)から」

 

 「人それぞれの人生のステージ」という言葉と出会った瞬間、怒りは沸点を超えた。表題のタイトルにその怒りの気持ちが込められている。新図書館の建設が長引けば長引くほど、「人それぞれの人生のステージ」は奪われていく。これこそがまさに「人権」の侵害あるいは蹂躙(じゅうりん)の最たるものではないのか。さらには、品性のひとかけらもない議員個人に対する誹謗中傷も含めて、その責任のすべては行政トップの上田市長にあることをここに記しておきたい。

 

 4年前、市民や議会の頭越しに突然、「住宅付き図書館」の駅前立地という前代未聞の構想が公にされた。のちに、白紙撤回されることになるこの”青天の霹靂”(せいてんのへきれき)こそが図書館建設を遅らせることになった最大の原因であることを、あなた、まさかお忘れになっているんじゃありませんよね。まったくどっちが、ちゃぶ台返しなんだか。当時の議員たちはこの構想に一斉にブーイングを浴びせたが、剣ヶ峰の今議会ではまなじりを決する緊迫した場面はほとんどなし。公募プロポーザルの関連予算にもろ手を挙げて賛成した議員たちは今回の市側の不手際にもっと、怒らんかねぇ。二元代表制などはもう夢のまた夢…当局と議会とが一心同体と化した「一元代表制」の出現である。バカを見るのは市民だけ…

 

 

 

 

 

(写真はプラネタリウムさながらの石川県立図書館。その宇宙観に圧倒される=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記ー1》~「ちゃぶ台返し」発言から、今度は「色眼鏡」発言へ

 

 またもや、「花の東大卒」の“迷言”が…。この人たちには何が共通しているのか。病理学的な観点から、興味がわいてきた。記事中の木幡市長は兵庫県知事と同じ総務官僚の出身

 

 

 10日に行われた福島市の9月議会の一般質問で、再三の計画変更を余儀なくされているJR福島駅東口の再開発事業を巡る市議からの質問に対し、木幡浩市長が「色眼鏡で見ているのでは」と答弁し、いら立ちを見せる場面があった。質問に立ったのは市議会第2会派・真結の会の鈴木正実議員。再開発事業について市民の理解を深める目的で市が開いているタウンミーティングに対し、市民から「形だけのパフォーマンスで、意見がどこに生かされているのか」「意見を聞いたというアリバイづくりでは」などの声が上がっていると指摘した。

 

 これに対し、木幡市長は「(議員は)色眼鏡で見ている。そういう視点ばかりの発言がされているが、丁寧に市民とコミュニケーションを取っている」と強調。議場には一時どよめきが広がった。鈴木議員は「議論というのは賛成意見も反対意見も必要。再開発施設は、一人でも多くの市民に歓迎してもらうため議論を重ねることが大事」として「色眼鏡」も必要だと締めくくった(12日付「福島民友」電子版)

 

 

 

《追記―2》~またも、東大首長…もう、止まらない!!??

 

 今回の登場人物は宮崎県延岡市の読谷山洋司市長。この人も総務官僚の出身。なお、東大出身の首長は親睦団体「赤門市長会」を結成しており、当市の上田市長も名前を連ねている。

 

 

(その1)延岡市の定期人事異動で、読谷山洋司市長と当時議長だった松田満男議員(自民党きずなの会)が異なる人物に議会事務局長の内示を出すなど混乱した人事問題を巡り、11日の市議会一般質問で両者が言い分をぶつけ合った。同事務局人事が“決着”して以降、公の場で同事案について意見を交わしたのは初。議長名で出された人事異動に関する公文書に捏造(ねつぞう)があった恐れがあると主張する市長発言などを巡り、1時間近く応酬が続いたが、議論はかみ合わなかった(12日付「宮崎日日新聞」電子版)

 

(その2)宮崎県延岡市の読谷山洋司市長(60)が勤務中の男性職員に、性的な言葉を使って文章の表現変更を指示していたことがわかった。男性職員は「不快に感じた」としており、市職員労働組合が3月に行った職場の実態調査でも「市長からハラスメントを受けた」との趣旨の回答を行ったという。読谷山市長は読売新聞の取材に発言を認めた上で「不快に思われるのであれば適切ではなく、申し訳ない」としている。

 

 指示を受けたという管理職の男性職員によると、昨年の庁内協議で市長から、所属部署が作成した事業計画書に記載された文章の表現を改めるよう求められた。職員が意見を述べると、市長は男性器を指す俗語を使って「この文章には×××がない。覚悟がないんだよ」と変更を指示。別の資料に関しても後日、市長から同じ俗語を使った言葉で修正を指示されたという(6月7日付「読売新聞」電子版、要旨)

 

(その3)宮崎県延岡市の読谷山洋司市長は7日、上下水道局職員による組織ぐるみでの公文書偽造事案に絡んで昨夏に開かれた庁内の部課長会で、演台をたたき、同局について「ボウフラが集まったような腐った組織」と発言したことを明らかにした。市議会一般質問で猪之鼻哲議員(自民党きずなの会)に事実の有無を問われて認める一方、パワーハラスメントは否定した。取材に対し、読谷山市長はボウフラ発言について「正論をはく職員がすめない職場になっているとの例え話だった」と話した(3月8日付「読売新聞」電子版、要旨)

 

 

 

《追記―3》~暴走する首長(9月13日付朝日新聞「耕論」より)

 

 

 「あらゆる組織にとって重要なのは、共感性の欠如や強い支配欲、嗜虐(しぎゃく)性など邪悪な性格特性を持つ人に決してパワーを与えないことです。『地位が人を作る』からパワハラをするのではなく、そういう人がパワーを持つからいけないのです。…パワハラは人の尊厳を侵害する、非常にダメージの大きい行為です。危険な人が上に立った時のための事前の備えが必要です」(津野香奈実・神奈川県立保健福祉大学大学院教授=パワハラ研究者、要旨)

 

 

 

《追記―4》~悲鳴を上げる職員たち!!??

 

 

 兵庫県議会で斎藤元彦知事への不信任決議案が全会一致で可決された19日、県民からの意見を受ける広報広聴課では、職員が電話の対応に追われていた。同課によると、問題が浮上して以降、開庁時間中は常に電話対応に追われているような状態で、通常の6人体制では対応できず、ほかの課などから2、3人を補充。多いときには1日200件以上の電話を受けることもあったという。

 

 大半は県の内部調査の正当性や、公益通報として扱わなかった理由を問う声のほか、知事のパワハラ疑惑や贈答品に関する批判だが、「公約を達成している」「県の旧体制を改革した」など、知事を擁護する声もあるという。ある職員は「知事への苦情でも、直接電話を聞くのは職員。1時間半以上の電話や、『職員も知事の犬』『職員も前県民局長を見殺しにした』などと言われることもあり、精神的に参ってしまいそうになる」と話した(20日付「読売新聞」電子版、要旨)

 

 

 

《追記―5》~当世戯作百選から…これも誰かさんとそっくりだなぁ!!??

 

 

 「私は知事だぞ!と言ったかどうかですが、言いました。私は知事ですから。知事じゃないのに知事だぞと言ったとすれば虚偽になりますが、私は知事なんですから、知事だぞと申し上げただけ。まあ指導の範疇とはいえ、先方にとって不快だったとすれば、お詫びを申し上げなければならない。自分で言うのもなんですが、一度手に入れた権限は絶対に手放しません。そのうえ、粘着質。弱いやつらは徹底的に焼きを入れる。なんたら構文のヒト(石丸伸二・前広島県安芸吉田市長)と同じ?あっちは京大か知らんがこっちは東大。しかも、2番じゃなくて1番で選ばれたんだよ、民意で」。これって、“東大話法”っていうんだっけ(9月20日発行週刊金曜日「松崎菊也/あの人の独り言」、要旨)

 

 

《追記―6》~「勧善懲悪省」(徳の奨励と悪徳の禁止の省)!!!???

 

 

 アフガニスタンを支配するタリバン(イスラム主義組織)の「勧善懲悪省」が女性の“歌う権利”を禁止したというニューを見ながら、ふと英国人作家、ジョージ・オーウェルの代表作『1984』(1949年刊)を思い出した。オーウェルはその中で監視社会の近未来の恐怖を描き、「ビッグ・ブラザー」が率いる一党独裁の政体をアイロニカルに「真理省」や「愛情省」などと表現した。その予言が的中したわけだが、待てよ、この風景は日本全体そして海の向こう、いや足元の「イーハトーブ国」にも共通するたたずまいではないのか。思わず、背筋がざわッとしてしまった。