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特別展「戊辰戦争と米沢」紹介記事のお知らせ

現在、上杉博物館で好評開催中の特別展「戊辰戦争と米沢」ですが、新聞やテレビでも紹介されています。

 

9月25日付の河北新報さんの記事は、こちら からご覧いただけます。

展示の詳細は、こちら の当館ホームページをご覧ください。

 

皆様のご来館、お待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2018.09.28:denkoku:[博物館情報]

上杉文華館「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」

2018年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。

 

【展示期間】平成30年9月27日(木)~10月23日(火)  

 

《第7回 上杉斉憲の参内》

 国宝上杉家文書の近世文書には上杉鷹山周辺の多くの内政文書や幕末・明治期資料が含まれています。今回は、特別展「戊辰戦争と米沢」の開催に合わせ、一二代藩主上杉斉憲が文久三年(一八六三)に上洛し、参内するにあたっての具体的な動向を知ることができる文書を紹介します。

 

 江戸幕府一四代将軍徳川家茂が公武合体を推し進めるために上洛する際、上杉斉憲は忠誠心を示して米沢藩士六四六人を従えて同行し、京都での警護にあたりました。斉憲は文久三年正月二日に米沢を発ち、江戸着は正月九日。正月二一日に江戸を出発し、東海道を通って京都には二月一〇日に着きました。米沢藩は江戸時代初期には京都屋敷を持っていましたが幕末にはすでになかったため、清水寺塔頭の成就院を本陣として、斉憲以下、重臣、側近、医者、右筆などが宿舎とし、その他多くの家臣は複数の寺院と近江屋、辰巳屋などの旅館に分かれて宿泊しました。

 

 徳川家茂が孝明天皇に謁見するために参内したのは、三月七日のことでした。上杉斉憲も諸大名とともに供奉しました。暁七時(午前四時)に供揃を従えて成就院を出ました。まず飛鳥井邸に入り、その後幕府から割当てられていた西洞院下ル長者町上ル但馬屋に入って衣冠束帯の装束に調え行列に臨みました。九半時(午後一時)を過ぎていました。参内を終え宿舎に戻ったのは、日付をまたいだ夜八時(午前二時)という長い一日でした。

 

 将軍家茂は京都滞在三カ月を経た六月三日、江戸に戻るため暇挨拶に再び参内しました。斉憲もこれに供奉しました。京都警護中の八月五日、斉憲は松平容保(会津)、池田慶徳(因幡)、蜂須賀茂韶(阿波)、池田茂政(備前)の四藩とともに建春門前で洋式操練を行い天覧に供しました。斉憲は自ら馬に乗り西洋銃隊と火縄銃三〇目筒を指揮しました。一〇月、朝廷(孝明天皇)より陣羽織用にと錦二巻が贈られ、それで作られた陣羽織を特別展で展示中です。斉憲の陣羽織を製作した後の残りの布で世子茂憲の陣羽織も作られましたが、長さが足りず袖なしの陣羽織となりました(後期展示)。

 

 また、姉小路公知が暗殺された際、米沢藩家老の竹股美作久綱へお預けとなっていた容疑者の召使小者の脱走を許すという事件が起きました。その探索に奔走し帰国が延期になりました。結局逃亡した召使太郎は発見されませんでしたが、斉憲の帰国は許され九月二三日京都を出発し、中山道を経て一〇月一〇日、江戸に到着しました。

 

 また、織田信長が謙信に贈った狩野永徳筆の国宝「上杉本洛中洛外図屏風」は、

9月27日(木)~10月19日(金)は複製(1作目=複製A)展示

10月20日(土)~10月23日(火)は原本展示となります。

 

▼ コレクショントーク

  平成30年9月29日(土)

  14:00~

  場所: 常設展示室 上杉文華館

  ※入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2018.09.28:denkoku:[博物館情報]

なせばなる秋まつりシャトルバスのお知らせ

9月22日(土)23日(日)は伝国の杜前広場にて

上杉メモリアルフェスタ なせばなる秋まつりが開催されます。

 

それに伴いまして22、23日限定のシャトルバス(有料)

米沢市役所、伝国の杜間で運行いたします。

 

22日(土) 9:30(米沢市役所発)~ 17:30(会場発最終)

23日(日) 9:30(米沢市役所発)~ 16:30(会場発最終)

片道 大人200円 小学生100円(※幼児無料)

シャトルバスはおおむね20分間隔での運行となります。

なせばなる秋まつりの詳細はこちら

 

シャトルバス乗車特典(当日有効)として当館の団体割引適用券がございます。

当館では現在 特別展「戊辰戦争と米沢」 をおこなっております。

秋まつりにお越しの際はぜひ当館にも足をお運びください。

 

特別展「戊辰戦争と米沢」

【期間】 平成30年9月15日(土) ~ 平成30年11月18日(日)

【休館日】9月26日(水)、10月24日(水)

【展示替】10月15日(月)~10月19日(金)※常設展示はご覧になれます。

【開館時間】9:00~17:00(チケット販売は16:30まで)

【入館料】 一般 620円(490円)高大生 400円(320円)小中生 250円(200円)

     ※( )は20名以上の団体料金

 

みなさまのご来館をお待ちしております!

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2018.09.19:denkoku:[博物館情報]

【次回展示予告】特別展「戊辰戦争と米沢」

9月15日(土)よりはじまる特別展のお知らせです。

 

特別展「戊辰戦争と米沢」

 

 本年は、明治元年(1868)の戊辰戦争から150年に当あたります。これを機に、幕末から明治初期に至る社会の激変の中で米沢藩がどのような選択をしていったのかご紹介します。

 開国か攘夷かをめぐり国論が二分される中、米沢藩は文久3年(1863)に将軍徳川家茂に供奉し上洛して以降、京都を軸にした全国的な政治状況に深く関与していきます。朝廷と幕府が一致協力して国難に対応する体制を目指し、諸藩とともに周旋にあたりました。

 そして明治元年、「朝敵」とされた会津藩を救うため、奥羽列藩同盟の結成に主要な役割を果たし、越後を主戦場に、秋田・磐城などで激戦を繰り広げました。降伏後は新政府のもと、新たな体制を模索していきます。

 本展示では、政治的な動向に加え、銃器の発達により戦の仕方、ひいては社会そのものを変えるきっかけとなった軍制改革、戦場に赴いた兵士の行動や想い、これまでほとんど知られていなかった病院隊の活動、農民の戦争負担など、戦の現実も取り上げます。

 

【期間】 平成30年9月15日(土) ~ 平成30年11月18日(日)

【休館日】9月26日(水)、10月24日(水)

【展示替】10月15日(月)~10月19日(金)※常設展示はご覧になれます。

【開館時間】9:00~17:00(チケット販売は16:30まで)

【入館料】 一般 620円(490円)高大生 400円(320円)小中生 250円(200円)

     ※( )は20名以上の団体料金

♦入館料無料の日 

 11月3日(土・祝) 東北文化の日 どなたでも入館無料!

 

【ギャラリートーク】展示解説

 日 時 : 9月15日(土)「幕末維新期の米沢藩」佐藤 正三郎(当館学芸員)

       10月6日(土)「米沢藩の軍制改革」布施 賢治 氏(山形県立米沢女子短期大学教授)

                 10月20日(土)「戦場の現実」佐藤 正三郎(当館学芸員)

       ※いずれも14:00より開始いたします。

 場 所 : 米沢市上杉博物館 企画展示室

 ※特別展の入館料が必要です。

 

【講演会】

「戊辰戦争の社会史 ―軍隊と民衆―」

 10月28日(日)14:00~16:00

 会 場 : 伝国の杜 2階大会議室

 料 金 : 無料

 定 員 : 120名(先着)

 講 師 : 保谷 徹 氏(東京大学史学編纂所所長)

 

国宝「洛中洛外図屏風」原本展示

 期 間 : 10月20日(土)~11月18日(日)

 場 所 : 常設展示室「文華館」

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております!

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2018.08.29:denkoku:[博物館情報]

上杉文華館「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」

2018年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。

 

【展示期間】平成30年8月23日(木)~9月25日(火)  

 

《第6回 上杉鷹山の息子、顕孝》

国宝上杉家文書の近世文書には上杉鷹山周辺の多くの内政文書が含まれています。今回の文書は、上杉顕孝が一〇代藩主上杉治広の世子(跡継ぎ)として初めて江戸に登った寛政四年(一七九二)、最初の宿泊地板谷御殿と江戸に到着してから、実父鷹山に送ったものです。顕孝一七歳の筆跡で、鷹山は四二歳でした。

 顕孝は、九代藩主上杉治憲(鷹山)と側室お豊の方の長男として安永五年(一七七六)米沢に生まれ、直丸と称しました。鷹山の正室幸姫は前藩主重定の娘でしたが、病弱で世継の誕生が望めなかったため重臣たちは上杉氏一族の娘であるお豊の方をすすめたのでした。治憲が米沢に初入部した翌年、明和八年(一七七一)に結婚しました。鷹山二〇歳、お豊の方三〇歳でした。

 顕孝は天明二年(一七八二)、治広の養子となり、翌年土佐藩主山内豊雍の娘采姫と縁組をしました。天明五年(一七八五)、父鷹山が三五歳の若さで隠居し、顕孝も母お豊の方と共に米沢城三の丸の屋敷に移りました。そこは餐霞館あるいは城の南にあたるので南亭と呼ばれました。餐霞館に移ると、鷹山は顕孝に仕える家臣に教育の心得として一篇の書を示しました。「壁書」と呼ばれるものです。孟子の故事を引き、若殿顕孝に接する時の基準にせよと、一四か条を挙げて説明しています。その最後に、有名な「なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり」の和歌がありました。

 寛政四年(一七九二)、藩主治広とともに、顕孝は初めて江戸に出府し上杉家の江戸下屋敷白銀邸に入りました。学問の師は父鷹山の師でもあった細井平洲でした。聡明で将来を嘱望された顕孝でしたが、寛政六年一月五日、疱瘡(天然痘)のため白銀邸で亡くなりました。遺骸は米沢に運ばれ、二月七日、歴代藩主の御廟所に葬られました。顕孝は一〇代藩主の養子になっており、藩主候補ではありましたがまだ藩主にはなっていませんでした。御廟所に埋葬されたのは特別な計らいで、鷹山の悲しみがいかに大きかったかを察することができます。鷹山の左隣の一段下がった小さな廟所です。

世子を失った米沢藩は、治広の長女三姫に一族の男子斉定(八代藩主上杉重定の孫)を婿養子として迎え相続させることになりました。

 また、織田信長が謙信に贈った狩野永徳筆の「上杉本洛中洛外図屏風」は、複製(1作目=複製A)の展示となります。

 

▼ コレクショントーク

  平成30年8月25日(土)

  14:00~14:30

  場所: 常設展示室 上杉文華館

  ※入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2018.08.23:denkoku:[博物館情報]