2025年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。
戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。
永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。
2025年度はこの解明に取り組んでいきます。
第11回《大名家の事情Ⅴ・主人と家臣》
【展示期間】1月27日(火)~2月23日(月祝)
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第11回目は、一向宗 いっこうしゅう 寺院および伊達氏に着目します。ともに「山内殿」の宛名表記は用いませんが、その書札礼からそれぞれの階層性をみていきます。 越中 えっちゅう (富山県)の一向宗寺院である勝興寺 しょうこうじ と瑞泉寺 ずいせんじ は、上杉謙信が天正5年(1577)に文字の手本として書いたとされる「上杉家家中名字尽 うえすぎけかちゅうみょうじづくし 」(上杉家文書)にその寺号 じ ご う が記され、その当時謙信に従属していたことが分かります。それぞれの住職から謙信あるいは景勝に対する書状の書札礼には、違いがあり、勝興寺よりも瑞泉寺が厚礼 こうれい でした。ここに両者の間に格差があったことが分かります。 また伊達氏は「上杉殿」と宛名を記し、上杉氏に対して対等の関係を主張していました。また、近臣の片倉景綱 かたくらかげつな は、小路名 こ う じ な 「府内 ふ な い 」を宛名としました。譜代家臣の場合、 上杉氏当主に直接宛てられる大名家(武田)と、その近臣宛に報告を要請する披露状 ひろうじょう しか出せない大名家(蘆名 あ し な ・北条ら)とに区別されますが、伊達氏は前者であったとみ られます。伊達氏と武田氏は関東の書札礼秩序の外にあった大名であったことが注目されますが、関東の秩序に則っていた佐竹氏もその可能性があり、共通する性格を明ら かにするにはまだ検討が必要です。
▼ コレクショントーク
日時:2月1日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※入館料が必要です。
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【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001






