「上杉家文書」は、やりとりされた当時の形を留める文書が
数多く伝わることが国宝指定の理由の一つです。
現在開催中の「戦国武将、手紙を書く」展ではそこに注目しました。
手紙の内容よりも、書き方や形を紹介しています。
写真は、上杉謙信宛の北条氏政の手紙。
手紙の折筋がより分かるように、
けさん(ガラスの押さえ)などを使わずに、あえて展示しています。
コレクション展の主な展示資料等、詳しくは当館ホームページをご覧ください。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001
令和5年度の上杉文華館は「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。
上杉文華館では、国宝「上杉家文書」を毎月入れ替えながら常時展示しています。上杉家文書は、江戸時代以降に行われた文書の管理や歴史編纂を通じて、中世以来の上杉家の由緒や権威、特定の当主の事績を示す文書が収集、選別され、移動や変化を続けながら、現在の構成(2018通、4帖、26冊、保存容器として両掛入文書箱、精撰古案両掛入文書箱、黒塗掛硯箱、赤箪笥 乾・坤2棹、附として歴代年譜325冊)になったことが明らかになっています。
また、「上杉家文書」とは別に「上杉文書」と呼ばれる藩政文書を中心とした1万点弱の史料群があり、米沢市では令和3年度から文化庁の「地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業」の補助を受け、調査に取り組んでいます。その中核は文書管理や歴史編纂を担った、江戸時代の御記録方や、近代の上杉家記録編纂所総裁伊佐早謙の関連文書です。上杉文書には、国宝「上杉家文書」を深く理解するための手がかりが、豊富に含まれています。
今年度は本調査事業の成果を活用して2つの史料群を紐解きながら、江戸時代から近代にかけて、文書の具体的な管理方法と歴史や記録の編纂事業、その背景にある藩政の状況や世情をご紹介します。永年にわたり文書を守り伝え、活用してきた人々の営為にご注目下さい。
「上杉文書」調査の詳細はこちら
《近代の文書管理と歴史編纂》
展示目録はこちらよりご覧ください。
【展示期間】2月27日(火)~3月24日(日)
明治4年(1871)の廃藩置県により、藩政機構の一部として文書管理と歴史編纂を担ってきた御記録所も廃止されます。同年、上杉家は東 京に移住しますが、家伝文書を含む宝物類の一部は、米沢の元商社(上杉家の資産管理組織)で管理されたようです。明治14年、明治天皇の 東北巡幸を前に赤箪笥第一号(乾)文書が政府の修史館に貸し出されて謄写され、天覧に供されました。編纂事業としては、明治初期から戊 辰戦争関係の戦功調査や戦史編纂が行われました。明治21年、上杉家では12代藩主斉憲の年譜編纂を再開し、主に元御記録方の伊佐早謙に よって、幕末維新期の史料収集も進められました。明治29年には宝物蔵を含む本邸が完成し、上杉家は米沢に戻りました。翌年には伊佐早に 「御家旧歴史編纂」を命じ、同人宅に編纂所を設置しました。「上杉文書」は、伊佐早の収集・編纂・執筆資料が一つの核となっています。 また明治35年には主に鷹山以降の「貴重の古書類」を選別した赤箪笥第二号(坤)が成立し、当主の茂憲自ら文書の点検を進めました。 上杉家文書は、大正期に入っても茂憲の辞令類や伊佐早謙収集文書が追加され、収納容器間の移動も行われました。昭和4年(1929)には 東京帝国大学史料編纂所から『大日本古文書』として中世文書の大部分が刊行され、広く研究に供されました。上杉家文書は、昭和54年に重 要文化財に指定されて員数や構成が確定し、平成元年(1989)に上杉家から米沢市に寄贈、同13年に国宝に指定され、現在に至ります。
▼ コレクショントーク
日時:3月3日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※参加には入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001
令和5年度の上杉文華館は「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。
上杉文華館では、国宝「上杉家文書」を毎月入れ替えながら常時展示しています。上杉家文書は、江戸時代以降に行われた文書の管理や歴史編纂を通じて、中世以来の上杉家の由緒や権威、特定の当主の事績を示す文書が収集、選別され、移動や変化を続けながら、現在の構成(2018通、4帖、26冊、保存容器として両掛入文書箱、精撰古案両掛入文書箱、黒塗掛硯箱、赤箪笥 乾・坤2棹、附として歴代年譜325冊)になったことが明らかになっています。
また、「上杉家文書」とは別に「上杉文書」と呼ばれる藩政文書を中心とした1万点弱の史料群があり、米沢市では令和3年度から文化庁の「地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業」の補助を受け、調査に取り組んでいます。その中核は文書管理や歴史編纂を担った、江戸時代の御記録方や、近代の上杉家記録編纂所総裁伊佐早謙の関連文書です。上杉文書には、国宝「上杉家文書」を深く理解するための手がかりが、豊富に含まれています。
今年度は本調査事業の成果を活用して2つの史料群を紐解きながら、江戸時代から近代にかけて、文書の具体的な管理方法と歴史や記録の編纂事業、その背景にある藩政の状況や世情をご紹介します。永年にわたり文書を守り伝え、活用してきた人々の営為にご注目下さい。
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《茂憲と戊辰戦争》
展示目録はこちらよりご覧ください。
【展示期間】1月30日(火)~2月25日(日)
慶応3年(1867)10月、将軍徳川慶喜は大政奉還を朝廷に願い出、12月には王政復古により新政府が成立します。翌正月、米沢藩は慶喜の要請を受け大坂に向けて出兵(上坂)しますが、鳥羽伏見の戦いでの旧幕府側の敗走を知り、途中の福島で兵を引きました。
新政府が会津藩征討を命じると、東北諸藩は連携して寛大な処置を求め、閏4月には奥羽列藩同盟が成立、後に越後諸藩も同盟に加わります。5月以降、米沢藩は越後を主戦場に戦いますが、7月末に新潟港を失い、8月に入って藩境に新政府軍が迫ると、降伏交渉を進めます。9月、世子上杉茂憲は謝罪降伏のため藩主斉憲の名代として越後新発田の総督府に赴き、米沢藩は新政府側として庄内と会津に出兵しました。12月、同盟側の諸大名に一斉に処罰が下され、斉憲の隠居と茂憲への藩主交代が命じられました。
さて、国宝「上杉家文書」には、慶応3年の大政奉還関係の文書が10点伝来しています。慶応4年の文書は9点あり、うち7点は12月の同盟側諸大名処罰の達書類です。2月から11月にかけての文書は皆無です。これと対照的に、「上杉文書」には外交文書や重臣の日記、各地の戦線から米沢に届いた重要書類などが、300点ほど伝来しています。
明治時代中期以降、茂憲のもとで行われた文書管理に際し、戊辰戦争期の文書は、宝物として扱う家伝文書(上杉家文書)にはほとんど選ばれませんでした。その多くは茂憲の指示で歴史編纂に取り組んだ伊佐早謙の参考資料(上杉文書)として伝来したと考えられます。
▼ コレクショントーク
日時:2月4日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※参加には入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001
2月10日(土)よりはじまる特別展のお知らせです。
コレクション展
「国宝「上杉家文書」の世界Ⅶ 戦国武将、手紙を書く」
米沢藩上杉家に伝来した「上杉家文書」は、家の由緒を証するものとして、何よりも大事に伝えられてきました。平成元年(1989)、米沢市に寄贈後、同13年に国宝指定されました。鎌倉時代から明治・大正に至る2,000点余に及ぶ古文書は、その充実した内容はもとより、やり取りされた当時のままの姿で伝えられているものが非常に多いことが高く評価された結果でした。それは、文書がどのように扱われたのかという事実を理解するとともに、料紙の持つ意味を考える素材としての評価でした。
この展覧会では、40点程度の戦国時代の文書を中心に、内容ややりとりする人たちの関係、送られる行程など、様々な視点から、文書の形について考えていきます。また、開いた形や折りたたんだ形、折りたたみ方、封のされ方などを、手紙の書き方(書札礼)などもふまえてみていきます。
果たして、どのような特徴が出てくるのでしょうか?
【会期】2024年2月10日(土)~3月10日(日)
【休館日】毎週月曜日 ※月曜日が祝日の場合、その翌平日
【開館時間】9:00~17:00(チケット販売は16:30まで)
【入館料】一般420円(330円)/高大生220円(170円)/小中生110円(80円)
※( )は20名以上の団体料金
※常設展とのセットのみ販売
【ギャラリートーク】展示解説 ※申し込み不要
日 時 : ①2月10日(土) 14:00~
②3月9日(土) 14:00~
会 場 : 米沢市上杉博物館 企画展示室
定 員 : なし
参 加 費 : 入館料
担当学芸員 : 阿部 哲人
コレクション展の主な展示資料等、詳しくは当館ホームページをご覧ください。
皆様のご来館を心よりお待ちしております!
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米沢市上杉博物館 0238-26-8001