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国宝「上杉本洛中洛外図屏風」原本展示のお知らせ

  • 国宝「上杉本洛中洛外図屏風」原本展示のお知らせ

4月19日(土)~5月18日(日)の期間、企画展示室にて

国宝「上杉本洛中洛外図屏風」の原本を展示致します。

 

国宝「上杉本洛中洛外図屏風」は天正2年(1574)に織田信長が上杉謙信に贈ったもので、桃山時代の代表的な絵師である狩野永徳によって描かれました。

この屏風は、京の市街地(洛中)と郊外(洛外)の四季と、そこに生活する人々のすがたを描いたもので、芸術的美術史的価値ばかりでなく、歴史資料としての価値も高く、民俗学的見地からも貴重な史料であることから国宝に指定されました。

ぜひご来館いただき、国宝の魅力をご覧ください。

 

※特別展「上杉家の御殿 ~城・藩邸・伯爵邸~」のチケットでご覧いただけます。

展覧会詳細はこちら

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております!

 

【お問い合わせ】

 米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.04.07:denkoku:[博物館情報]

【次回展示予告】特別展「上杉家の御殿 ~城・藩邸・伯爵邸~」

  • 【次回展示予告】特別展「上杉家の御殿 ~城・藩邸・伯爵邸~」
  • 【次回展示予告】特別展「上杉家の御殿 ~城・藩邸・伯爵邸~」

4月19日(土)よりはじまる特別展のお知らせです。

特別展「上杉家の御殿 ~城・藩邸・伯爵邸~」

 

 江戸時代、米沢城の本丸御殿は、上杉家当主の生活と儀礼の場であり、藩政の中枢としても機能しました。また、二の丸と三の丸には上杉家一族が住む複数の屋敷がありました。江戸には桜田の上屋敷をはじめ、麻布の中屋敷、白金の下屋敷があり、これらの屋敷には上杉家の人々を警固し、暮らしを助け、藩政を担う多数の藩士や奥勤めの女性が働いていました。
 米沢城は大判の城絵図が、江戸藩邸は精緻かつ美麗な平面図が、「上杉文書」(当館蔵)を中心に数多く伝来し、その変遷を知ることができます。本展示では特に第9代藩主上杉鷹山在世中の絵図を通して、鷹山がいつ、どの場所で、どのような生涯を送り、藩政改革に取り組んだのかをご紹介します。また、国宝「上杉家文書」や儀式の手引書などを読み解きながら、表と奥に代表される御殿の空間構成と部屋ごとの機能、上杉家の人々の暮らしと儀礼、そして藩士の職制や仕事ぶりを探ります。
 さらに、当館の西隣には上杉伯爵邸(国登録有形文化財)が現存し、今年は大正14年(1915)の再建から100年にあたります。これを記念し、上杉伯爵邸の特徴と見どころなどを紹介します。 

 

【会期】前期:4月19日(土)~5月18日(日)

    後期:5月24日(土)~6月22日(日)

     ※展示替え:5月19日(月)~5月23日(金)

 

【休館日】4月23日(水)、5月28日(水)

 

【開館時間】9:00~17:00(チケット販売は16:30まで)

 

【入館料】一般800円(640円)/高大生500円(400円)/小中生300円(240円)

    ※( )は20名以上の団体料金

    ※常設展とのセットのみ販売

 

 

♦入館料無料の日

 5月5日(月・祝)   こどもの日 小中高生無料!

 5月18日(日)     国際博物館の日 どなたでも無料!

 

【ギャラリートーク】展示解説 ※申し込み不要

 日   時 : 前期 4月19日(土) 御殿の空間と機能、そして働き方

            5月10日(土) 殿様の暮らし、表と奥

           後期 5月24日(土) 上杉鷹山の改革と御殿

         ※いずれも14:00開始

 会   場 : 米沢市上杉博物館 企画展示室

 定   員 : なし

 参 加 費 : 特別展入館料

 担当学芸員 : 佐藤 正三郎

 

【講演会】 ※事前申込制 4月9日(水)9:00から受付開始

「上杉伯爵邸の魅力と見どころ~近世から近代へ~」

 日   時 : 6月8日(日)14:00~16:00

 会   場 : 伝国の杜 2階大会議室

 定   員 : 80名

 参 加 費 : 無料

 講   師 : 山形大学工学部教授(建築史) 永井 康雄 氏

※お申し込みは TEL:0238-26-8001 へお願い致します。

 

特別展の主な展示資料等、詳しくは当館ホームページをご覧ください。

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております!

 

【お問い合わせ】

 米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.04.04:denkoku:[博物館情報]

令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」①

  • 令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」①

 令和7年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。

 永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。

2025年度はこの解明に取り組んでいきます。

 

 

第1回《「上杉殿」と「上杉弾正少弼殿」》

 【展示期間】3月25日(火)~4月22日(火)

  展示目録はこちら

 第1回目は、「上杉殿」と「上杉弾正少弼殿」の宛名、側近に宛てた書状の違いに着目して、その理由を駿河の戦国大名、今川氏真が謙信に宛てた書状に探ります。氏真は、謙信の宿敵武田信玄・北条氏政らと同盟関係にありましたが、信玄との関係に不信感を持ち、永禄10年、秘かに謙信と交渉を始めました。

 そこから 元亀元年(1570)まで確認できる交渉で、氏真からの書状の宛先は「上杉殿」→「上杉弾正少弼殿」→「上杉殿」→側近宛と変化しました。それは東国社会に大きな変動をもたらした事件と関わったものでした。

 政治情勢の変化に伴う氏真と謙信の関係の展開を具体的に明らかにするとともに、書札礼の特徴にも言及していきます。

 

▼ コレクショントーク

 日時:4月6日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

令和7年度上杉文華館展示スケジュールはこちら

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.03.25:denkoku:[博物館情報]

コレクション展「新収蔵品展 米沢・上杉の歴史と文化」展示紹介②

  • コレクション展「新収蔵品展 米沢・上杉の歴史と文化」展示紹介②

⑦刀剣手入用具(栗林政克所用)一式

画像

幕末に活躍した米沢藩士(上級)・栗林政克の刀剣手入れ道具です。

「大小小道具箱」と墨書された木箱には、打粉や目釘抜き小槌などの道具類が納められています。

実戦が起こりうる状況の中で、自身の刀剣を手入れするために普段使いしていたものと考えられます。

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております!

【お問い合わせ】

 米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.02.27:denkoku:[博物館情報]

令和6年度 上杉文華館「本能寺の変と北陸情勢」⑫

  • 令和6年度 上杉文華館「本能寺の変と北陸情勢」⑫

 令和6年度の上杉文華館では、16世紀の長尾上杉氏と北陸地域(主に越中・能登)の歴史的関係について、国宝「上杉家文書」を中心に通時的に紹介します。

 越後と隣接する北陸地域への侵攻は、上杉氏の領国(領土)形成の上で重要であり、北陸の諸勢力をいかに統合するかがカギとなりました。ただし、上杉謙信の北陸侵攻は、武田信玄や北条氏康といった関東甲信勢力のほか、一向一揆や織田信長などとの関係・動向に規定される側面があり、謙信を取り巻く当時の政治状況に配慮したなかで行われました。

 謙信の北陸侵攻は、関東侵攻(17回)に次いで多く行われており、その数は11回に及びます。小田原北条氏・甲斐武田氏との関係変化により、信濃・関東の攻略が足踏みする中で、北陸地域は上杉氏の領国化が叶った地であり、謙信の晩年になって越中と能登が上杉氏の版図に組み込まれています。

 北陸地域における同盟者の裏切り、敵対勢力との和睦・合力など、目まぐるしく変わる情勢に、長尾上杉氏がどのように対応していったのか、一進一退の攻防を繰り返した長尾上杉氏の北陸侵攻を主軸に据えて、その内容を深めていきます。

 

第12回「本能寺の変と北陸情勢」

 【展示期間】2月26日(水)~3月23日(日)

  展示目録はこちら

 

 天正10年(1582)になると、越中では富山城(富山県富山市)・魚津城(同魚津市)を中心に、織田と上杉の激しい攻防が繰り広げられます(資料1~3参照)。また、上杉景勝と同盟関係にあった武田勝頼は、木曽義昌の逆心などで織田勢の侵攻を許した結果自害し、武田氏は滅亡しました(3月11日)。信長に対抗する同盟主を失った景勝は、越中(柴田勝家)・信州(森長可)・上野(滝川一益)、下越(新発田重家)から包囲され、窮地に陥りました。景勝は、5月上旬に越中へ出馬しますが、森長可が越後へ侵入すると、急いで帰還し春日山の防備に徹せざるを得ない状況でした。その結果、天神山城(同魚津市、5月26日)、魚津城(6月3日)が相次いで落城し、景勝は存亡の危機に見舞われました。しかし、本能寺の変で信長が横死したことにより事態は一変し、景勝はこの窮地を脱しました。織田勢が北陸を撤退するなか、景勝は富山城まで勢力を挽回しますが、信長の旧臣佐々成政と対立するなど、北陸情勢は依然として不安定な状況でした(資料4)。

 今回の展示では、本能寺の変前後の北陸情勢を取り上げ、当該期における上杉景勝の動向を紹介します。

 

 

▼ コレクショントーク

 日時:3月2日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2025.02.26:denkoku:[博物館情報]